The Vocaleers

ニューヨーク州
Joe Duncan(lead)・Herman Dunham(aka Herman Curtis・tenor)・Melvin Walton(tenor)・William 'Red' Walker(baritone)・Teddy Williams(bass)

■Be true・Oh where ?(Red Robbin-113)52
■Is it a dream ?・Hurry home(Red Robbin-114)52
■I walk alone・How soon ?(Red Robbin-119)53
■Love you・Will you be true ?(Red Robbin-125)54
■Angel face・Lovin' baby(Red Robbin-132)54
■I need your love so bad・Have you ever loved someone ?(Paradise-113)59
■Love and devotion・This is the night(Old Town-1089)60
■The night is quiet・Hear my plea(Vest-832)60
■The cootie snap・A golden tear(Twisttime-11)62

The Vocaleers
45s Is it a dream?
Red Robin LP-5094
1992年

14曲入りLP盤。リリースはRelicからです。

50年代初期に全米ヒットを持ち、ニューヨークを中心に活動した。Davegaというスポーツ用品のチェーン店は、52年にソフトボールチームの後援をしていた。 このマーケティング戦略の結果、一つのチームがハーレムの142番街・アムステルダム通りの仲間で結成された。The Crusadersというチームで、このメンバーの中にはJoe Duncan Martinez(レフト)・Herman Dunham(センター)・Melvin Walton(ピッチャー)が在籍していた。この3人は同じ16歳で、同時に歌うことも大好きな仲間を集めてThe Rainbowsというグループを結成した。メンバーはJoe Duncan・Herman Dunham・William Walker・Melvin Walton・Teddy Williamsの5人であった。彼らはソフトボールの練習が終わってから毎日練習をくり返した。52年4月頃にはグループにJimmy Manningがマネージャに就任した。彼はすでにLucky Millinderのマネージメントを行っており、Benjamin Peay(のちにBrook Bentonとして大スターとなる)やFrankie Lyomonの在籍したThe Harlemairesでゴスペルを歌っていたシンガーでもあった。そしてJames Evansが彼らのスケジュール調整を担当するようになった。しかし当初は無名でもあり、グループの出演はかなり限定されたものだった。学校(観客の前ではなく、PAを通して全校に放送した)・Elks Club・アポロ劇場のアマチュアショウなどに出場し演奏を行った。ちなみに当時のアポロ劇場で行われたアマチュアショウへの出場手順は、劇場に行き、記名し、Bobby Schiffman(劇場のオーナー)のオーディションを受けるというものであった。このオーディションに合格した者には水曜日に劇場へ来るようにとの葉書が送られた。アマチュアショウは、その週に行われている通常公演の合間の午後10時に始まった。このショウはアマチュアにとってまさに戦いの場で、常に誰かが野次を飛ばし、観客はこの野次に対処できるだけの素晴しいステージを求めた。もしも観客に受け入れられなかった場合は、すぐさまステージ脇に控えたPorto Ricoによってステージからおろされた。彼はガンも持っていたし、ひきずりおろすための巨大なフックも持っていた。Joe Duncanによると「とりあえず最初の8小節を聞いてもらったら、無事に家に帰ることができた」という。ともかく観客の要求はきびしいもので、このショウでは非常に大きな役割を果たした。彼らは、出演者に華があるかどうかをすぐに嗅ぎ分けた。The Rainbowsは、52年2月頃にMy love(Joe Duncan作)というオリジナルで初出場した。この週はKing Pleasure(ジャズ・シンガー)が出演していた。グループは聴衆に大いに歓迎され、アポロはグループに再びチャレンジカードを送った。しかし彼らが次に出場するのは8月頃となる。この間にThe RainbowsはKingのオーディションを受けたが不合格となっている。再びアポロに出場したグループは、同じくMy loveを歌い、Roy Hamiltonを打ち負かし優勝を勝ち取る。優勝者には、次の週に出場する権利を与えられたが、グループはこれを辞退した。今回の出場で優勝する自信はあったし、次回の優勝も信じていたメンバーは、再出場よりもさらに前進する時だと考えた。(なぜか、彼らはMy loveをレコーディングすることはなかった)およそ1カ月後に、「Recorded your voice」という機械が設置されていた116番街の店に向かった。グループはJoe DuncanのオリジナルBe trueのデモをレコーディングした。この店のオーナーはこの収録にウクレレで参加した。オーナーはこのデモに感銘を受け、グループを125番街にあるBobby Robinsonの店に連れて行き、紹介した。数日後にオーナーへBobby Robinsonからメンバーを事務所に連れてくるようにと連絡がはいった。The Rainbowsは数曲を歌ってみせた。この場にはBobbyの他にも、彼の兄弟のDanny Robinsonや家族も同席していた。Bobby Robinsonはグループのリハーサルの日時を尋ね、次のリハーサルを含む2度(およそ1ケ月)にわたって非公式なオーディションを行った。いよいよBobby Robinsonはレコーディングの準備を整えセッションが行われた。Red Robinとの1年契約を成立させ、6曲を収録した。52年10月頃、グループはすでにThe Vocaleersに改名(当時、地元のゴスペルグループが同じ名前を持っていた)していた。52年12月14日、The Vocaleersは夜の9時ごろにマンハッタンのミッドタウンにあるBeltoneスタジオに入り、Be true・Oh whereの2曲を深夜にいたるまで収録を続けた。Joe Duncanによると当日はThe Du Drippersもレコーディングを行っていたという。The Vocaleersのデビューシングルは12月の終わりにリリースされた。Red RobinでのシングルはすべてJoe Duncanがリードを担当した。エコーを利かせたその声にHerman Dunhamがハーモニーを絡ませている。Be trueではSkeeter Best(ギタリスト)だけでなく、116番街の店のオーナーのウクレレも聞くことができる。Joe Duncanは「俺は鼻にかけたような歌い方なんだ。そうまるでヨーヨーみたいな面白い歌声だろ」と語るように、The vocaleersは一風かわったサウンドを持っていた。そして大衆もこの声を支持し、53年1月31日の週にニューヨークで大ヒットする。この週のリリースは、Mama, he treats your daughter mean(Ruth Brown)・Jumpin' in the mornin'(Ray Charles)・River hip mama(Smokey Hogg)である。実際にThe vocaleersのシングルがレビューされたのは2月14日で、Till I waltz again with you(The Five Bills)・Don't mention my name(The Ravens)・Come go my bail, Louise(The Five Keys)・Can't do sixty no more(The Du Droppers・同じRed Robinに在籍)・I miss you so(The Orioles)らとともに取り上げられた。2月のある日、グループはJames Evansが出演を求めているとJimmy Manningから連絡を受けた。Jimmy ManningはすでにThe Four Buddies・Savannah Churchillとともに出演するLloyd's Manor(ニュアーク・ニュージャージー州)での2晩の公演を決定していた。Joe Duncanによると、さらにもう1ケ所(コネチカット州)へ向かうために列車に駆け込んだという。ニューヨークの地下鉄しか知らなかった若者にとってはなかなか大変なことだったという。Lloyd's Manorでの最初の公演では、ベースシンガーのTeddy Williamsがステージに立つのを怖がりひどい演奏となったため、翌日の公演では彼をはずすことにした。グループの友人の一人Lamar Cooper(Joe Duncanによるとあまり良いグループではなかったという)をベースシンガーとして参加させた。Teddy Williamsは間もなく結核にかかり、数カ月もの間グループから離れることとなった。やがて彼は回復したが、Earl WadeのThe Crystals・The Opalsに加入している。このグループはLuna(Charles Lopez設立)からCome to me darling(54年6月)をリリースしている。Be trueは全米ヒットには至らなかったが、ニューヨーク・ニュアーク・フィラデルフィア・ワシントン・ロサンゼルスでは好調な売れ行きを示した。Bobby Robinsonは、グループと5年間にわたりマネージャーとしての契約を提案し、グループはこれを受け入れた。またグループのスケジュール担当をUniversal Attractions(Ben Bart設立)に選定した。53年3月にグループは再びスタジオに入った。同じBeltoneスタジオで、雨の降る午後であった。このセッションでIs it a dream・Hurry home・You're fine(最初はYes you're mineというタイトルだった)・Seems like a cloudy dayを収録し、4月にIs it a dreamがリリースされた。You're fine・Seems like a cloudy dayはシングルリリースされていない。セッションがあまりにも長時間にわたったため、この2曲は未完成であったのがその理由である。Is it a dreamは4月18日の週のフィラデルフィアでの注目シングルとしてレビューされ、5月16日にセントルイス、5月23日にはロサンゼルスでもヒットした。そして最終的には全米R&Bチャート第4位まで上昇するビッグヒットとなった。Is it a dreamの大ヒットでThe Voaleersは再びツアーを行った。53年6月26日のアポロ劇場から始まり、ロイヤル劇場(7月4日・バルチモア)・ハワード劇場(7月10日・ワシントン)でそれぞれ1週間の公演を行った。出演者は、Charles 'Cootie' Williams Orchestra・Dinah Washington・Pigmeat Markham・Arnett Cobb(サックス奏者)・Jimmie Smith(オルガン奏者)・Valentine and Rita(ダンサーチーム)らであった。ハワード劇場の公演を終えたグループは、再びニューヨークに戻りレコーディングセッションのためにスタジオ入りした。この頃はまだIt's a dreamin'がヒット中でBobby Robinsonの次のリリースをあまり望んでいなかったという。このセッションでI walk alone・How soonの2曲を収録し、再びCootie Williams・Dinah Washington・Dolly Cooperらとともにツアーに出発した。アーカンザス・ジョージア・ルイジアナ・北カリフォルニア・南カリフォルニア・カンサス・ミザリー・ミシガン・イリノイなど数多くの州を廻り、ブルックリンのHal Jackson Labor Day showではSylvia Vanderpoolのバッキングコーラスもつとめた。このツアー中にThe VoaleersのニューシングルI walk aloneがリリースされた。Joe Duncanは特にこのシングルリリースの時期に満足していなかった。まだまだ売れたはずであろうIt's a dreamin'はこの新譜により間もなくチャートから姿を消した。次の公演は、The Flamingos・The Five Royales・Willie Mabon・Stan Kenton・Woody Herman's Third Herdらとともに出演し、Renaissance Ballroom(ハーレム)・Turner's Arena(ワシントン)・Rainbow Room(シカゴ)・Crystal Ballroom(デトロイト)などで開催された。この公演でのバック演奏はいつもは加わらないブラスセクションが参加しており、相当な音量で、グループの歌声はほとんど観客に届かなかったという。I walk aloneはしかし予想を下回る低迷を続けていた。Bobby Robinsonは急遽メンバーをスタジオに集め次作のレコーディングに取りかかった。こうして53年12月にWill you be true・Love youが収録された。このレコーディング直後にHerman Dunhamはグループを去ることを公表した。Joe Duncanは詳細を話さなかったが、Herman Dunhamがリードを歌うチャンスがなかったからという理由は断固として否定した。Herman DunhamはのちにThe Solitairesに加入しリードを担当することになり、Herman Curtisと自称するようになる。Hermanは彼の妻の旧姓である。彼女はMargie Curtisといい、Winston 'Buzzy' Willisとも交流があった。間もなくThe SolitairesはOld Townからヒットを放ちスターグループへとなっていった。Herman Dunhamの脱退にともないLamar Cooperの友人だったJoe Powellが加入した。彼はおよそ7カ月の間グループに参加した。Will you be trueは54年1月にリリースされ、2月13日の週に、Are you looking for a sweetheart ?(The Crickets)・The beating of my heart(The Charmers)・Too late for tears(Lloyd Price)・Please help me(B.B. King)・Love is a funny thing(Al Savage)らとともにレビューされた。Red Robinでの次のセッションが54年7月に行われ、Angel face・Lovin' baby(アップテンポで収録された)をレコーディングした。このすぐ後に、かつてJoe Powellが舞台恐怖症になった Rockland Palaceで公演を行っている。これがThe Vocaleersの活動の最後であった。Joe Powellは以降グループを去ってしまう。しかしBobby Robinsonとのマネージメント契約はまだ完了していなかったため、The Voaleersの名前はBobby Robinsonが所有することとなった。William Walker・Melvin WaltonはBobby Moore・Kerry Saxton・Jimmy JonesとともにThe Savoys(のちにThe Jones Boys・The Pretendersへと変遷する)を結成した。残ったメンバーのJoe Duncan・Lamar CooperはThe VocaleersとしてBobby Robinsonのもとに留まったもののグループとしての活動はできなかった。RelicからリリースされたThe Vocaleersのアルバムに収録されたIf your heart achesは、Joe DuncanによるとThe Vocaleersのメンバーの誰の声でもないし、もちろん自分の声でもないと語っている。William Walker・Melvin Waltonが加入したThe Savoysに、Joe DuncanはYou're fineを提供している。この曲はThe Vocaleersの2度目のセッションで未完成だった作品である。The Savoys は56年2月2日の Savoy セッションでこの曲をレコーディングし、Say, you're mineとしてリリースされた。ラベルには Jimmy Jones作とされ、Joe Duncanの名前はクレジットされなかった。しかし、このシングルリリースされた時には、すでにJoe Duncanは兵役中でこのことは知らなかった。またこの頃までにJoe Duncanはすでに2つの歌Tonight・Close your eyesを書いていた。Joe Duncanが休職中にWilliam Walker・Melvin Waltonに聞かせた作品だったが、当初はこの二人はこの歌のレコーディングを望まなかった。しかし後年この作品は2曲ともThe Pretendersとしてレコーディングしている。Close your eyesはWhirin' Disk・TonightはHoliday(兄弟のDanny Robinson設立)からそれぞれ57年にリリースされた。今回はJoe Duncanの名前はクレジットされていたが、無断でのリリースに激怒した彼は訴訟を起こすと二人に話し、まもなくこのシングルはマーケットから姿を消している。Joe Duncanが56年に入隊したとき、彼の兄弟Paul Roland Martinezは彼自身のグループとしてThe Vocaltonesを結成し、56年にApolloでレコーディングを行っている。58年に退役したJoe Duncanは、Paul Roland Martinez・Herman Dunham・Richard Blandonとともに新たにThe Vocaleersを結成した。Richard Blandonは、すでに解散していたThe Dubsのリードシンガーである。グループはRichard Barrett(元The Valentinesのリードシンガー・この頃はTwentieth Century FoxのA&Rを担当していた)と出会う。Paul Roland Martinezがリードを歌うAin't that so, Columbus ?をFox スタジオでレコーディングしたが、結局リリースされることはなかった。59年中ごろ、Joe Duncan・Herman Dunhamはグループは再結成を試みる。Lamar Cooper・Melvin Waltonが復帰、唯一William Walkerだけが軍役で参加できなかったオリジナルメンバーであった。またRichard Blandonもグループに在籍した。彼らはBobby RobinsonよりもHy Weissに頼った。Herman DunhamはすでにThe Solitaires在籍中に彼と知り合っている。Hy WeissはThe Blenders(Joe Duncanは全くしらないグループだと語っている)をOld Town傘下のParadiseでレコーディングしていた。59年6月25日に、復活したThe VocaleersはこのParadiseでI need your love so bad・Have you ever loved someoneをレコーディングした。60年、Joe Duncanは、Rudy Cooper(Lamar Cooperの兄弟)がリードシンガーとして在籍していたThe Stylistsをレコーディングしている。このグループのメンバーはLamar Cooper(ベース)・Al Black, Jr.(テナー)・George Lithcuitt(バリトン)の4人。The StylistsはRose(Al Browne設立)から1枚のシングル(I wonder・One room)をリリースした(60年にSageに在籍したThe Stylistsとは別グループ)。同60年に、The VocaleersはOld Townで4つの歌をレコーディングしている。この頃のメンバーは、Joe Duncan・Herman Dunham・Melvin Walton・Leo 'Tiny' Fuller(テナー)・Lamar Cooperの5人編成であった。しかしLamar Cooperはこのセッション中に、Hy Weissとの意見の相違でグループを去っている。このためこの時にレコーディングされたLove and devotion・This is the night・One for my baby (and one more for the road)・I'll be thereの4曲にはすべてベースシンガーはいない作品となっている。One for my babyはThe Flamingsスタイルでアレンジされたが、Hy Weissはこの時の仕上がりに満足しなかったために、リリースは見送られた。Henry Glover(King・Federalで長年A&Rを担当した)がセッションを担当したLove and devotion・This is the nightがようやく60年9月にリリースされたがまったくヒットしなかった。この頃に The VocaleersのマネージャにScottyという人物が就任している。彼はHy Weissといさかいを起こし、グループはOld Townを去ることとなった。この頃にはWilliam Walkerは陸軍から戻ってグループに復帰、Lamar Cooperがグループを抜けている。Joe Duncanは、60年遅くにDanny Robinsonのもとを訪れた。The night is quiet・Hear my pleaをレコーディングしたThe Vocaleersの当時のメンバーは、Caesar Williams・Leo 'Tiny' Fuller・William Walker・Melvin Waltonとなっている。Joe Duncanはこのセッションに参加していたが、歌うことよりもピアノを主に担当している。次にグループはAtlantic傘下のTwistimeに移籍し、62年3月31日にThe cootie snap・A golden tearをリリースした。これはJoe Duncanが全く参加しなかった唯一のシングルとなった。この時のメンバーはCurtis Blandon(Richard Blandonの兄弟)・Caesar Williams・William Walker・Melvin Waltonであった。同じく62年にHerman DunhamはOld Townに戻って契約し、Life is but a dream・Muddy waters・You only want me・Adam and eveをレコーディングしたが未発表となった。62年の遅くに、The Vocaleers(Joe Duncan・Lamar Cooper・Leo Fuller・Melvin Walton・Rudy Cooper)はDinah WashingtonのSoulvilleのバッキングに参加したが、グループの名前はクレジットされなかった。またClassic Artists(カリフォルニア)でCould you adore meをレコーディングしたがリリースされていない(のちにこの作品は91年に、アルバムDoo Wop Diner Vol.1に収録された)。この時のメンバーはJoe Duncun・Paul Roland Martinez・Leo Fuller・Frank Morrow・Jimmy Lyonsであった。現在活動しているThe VocaleersはJoe Duncun・Paul Roland Martinez・Leo Fuller・Frank Morrow・Don Cruz(テナー)である。The Vocaleersは96年4月にR&Bへの貢献に対しUGHA Hall of Fameに選出された。Joe Duncanは2002年5月31日に、長年煩った病気で死去した。