The Leaders / The Corvairs / The West Siders

1952年・バージニア州・ニューポート
Harry Burton(lead・tenor)・Edward 'Snipper' Alston(tenor)・Nelson Shields(tenor)・Ronald Judge(baritone)・Charles Simpson(bass)The Leaders

The Leaders
■Stormy weather・A lover of the time(Glory-235)55.09
■Nobody loves me・Dearest beloved darling(Glory-239)56.01
■Can't help lovin' That girl of mine・Lovers(Glory-243)56.05
The Corvairs
■True true love・Hey, Sally Mae(Comet-2145)62.02
■I don't wanna be without you baby・Girl with the wind in her hair(Leopard-5005)63.
■Victim of her charms・Love is such a beautiful thing(Sylvia-5003)60年代
■Swinging little government・Love, love my friend(Columbia-43603)66.04
■Ain't no soul (in these old shoes) ・Get a job(Columbia-43861)66.10
■True true love・Hey Sally Mae(Collectables-013917)81
The Westsiders
■Don't you know・No tears left for crying(Leopard-5004)63.04
The West Siders
■Don't you know・No tears left for crying(United Artists-600)63.04

The Leaders
LP Meet The Kodoks
Glory G-1001


70年代に見かけたブート盤ですが、Leaders時代の全シングル曲が収録されています。B面がKodoksサイドとなっています。

バージニア州のニューポートニュースからはThe Five KeysやThe Avalons・The Chateausなど多くのグループを輩出した。52年に結成されたトランプゲームにちなんだ名を持つThe Pokersはもこれらのひとつで、このグループが母体となっている。メンバーは、Harry Burton・Edward Alston・James Burton(セカンドテナー・Harry Burtonの兄弟)・James 'Buster' Moore(バリトン)・Charles Simpsonの5人によって結成された。メンバーは全員が近所の友人で、同じHuntington High Schoolに通う生徒であった。グループ結成の初期から、Harry Burton・Edward Alston・Charles Simpsonの3人は、よく歌詞を変えて歌ったり、変わった声で歌ったりするのがお得意の変わり者でもあったという。やがてThe Pokenoesという名前に新鮮味を感じなくなりThe Five Swansと改名している。53年にJames Mooreがグループを抜け、Ronald Judgeが加入。また1年後にはJames Burtonが徴兵され、Nelson Shields・Charles Simpsonの従兄弟が加入した。グループのお気に入りは地元のスターThe Five Keysで、いつもリハーサルを行っていたすぐ近所にはHarry Burtonが住んでいた。彼らは大先輩の練習を生で聞く事ができた。The Five Swansにとってこれは又とない練習でもありおよそ数年間をリハーサルの観客として過ごした。The Five Keysがショーのための新曲のリハーサルも耳にしており、The Five Keysの最新のナンバーを最初に聞けたのもThe Five Swansのメンバーであった。グループは他にもThe Moonglows・The Drifters・The Cardinalsらの曲を好んで取り上げ、ElvisのHeartbreak hotelやGene & EuniceのKokomoなどもレパートリーにしていた。地元のジェファーソン劇場で開催されたアマチュアショウに何度も挑戦していた。この劇場は、近所に住んで弁護士を目指していた若者Melvin Nachmanの家族(本業は洋服屋であった)が所有していた。Melvin Nachmanはグループを聞き、即座にグループのマネージャーになりたいと申し出る。実際にIke Burton(The Five Keysのマネージャー)は、すでにグループを知っていたもののThe Five Swansには興味を示さなかった。なぜならグループはあまりにもThe Five Keysに似ていたからである。Melvin Nachmanは早速グループのステージ衣装を作り、オーディションの手配をした。彼はグループのためにワゴン車まで購入するほどの熱の入れようであった。しかし彼は具体的なマネージメントのノウハウを持っていなかった。Ike BurtonならもっとうまくやっただろうとNelson Shieldsは回顧している。The Five Swansは地元のアマチュアショーを含めて多くの出演をし、54年にジェファーソン劇場で開催された地元エリアの他のグループとの競争で優勝した。この優勝でアポロ劇場への出場権を得たグループは、55年春に水曜日の夜のアマチュアナイトに出演するためにニューヨークへ出かけた。グループの衣装は、上下ともピンク色で、真っ赤なジャケットを着ている。司会のLeonard Reedはステージ上で緊張しているメンバーに「やや、君たちは南部からやって来たのかい?」といったジョークでからかったという。しかし、グループはここでThe Five Keysの新曲The verdictを歌いコンテストで見事に優勝を果たし、4週連続の出場権を手に入れた。アポロ劇場はアマチュアにとっては全米で最も耳の肥えた聴衆のいる劇場の一つであり、4週連続出場というのまさに例外中の例外といえる褒美であった。そして同じくパフォーマーとして1週間の出場が賞金がわりとなった。The Five Swansは、The Latin orchestra of Alfredito・Mae Barnes(ジャズ・ポップシンガー)・The Bonito Sisters・The Malagon Sisters(ラテンシンガーグループ)らとともにアポロバラエティーショウにブッキングされた。まもなくGloryでのオーディションを受け、1年間の契約を結んだ。しかしPhil Roseはグループ名を好ましく思っていなかった。なぜなら彼はBallad(Oscar Washington設立・セントルイス)にThe Swansというグループ(53年にRainbowに在籍したThe Swansのこと?)が、Fortune(デトロイト)にもThe Swansがいることを知っていたからであった。メンバーはもちろんこの事を知らなかったが、さらに翌年にはMusic City(Ray Dobard設立)からThe Five Swansという全く同名のグループがデビューしている。Swans(白鳥)というのは50年代後半においては非常に良い名前であったが、結局Phil Roseのいい返事を得られずThe Leadersに改名している。Gloryでの最初のセッションが55年8月に、47番街・7番目通りのスタジオで行われ、Stormy weather・A lover of the timeを収録する。「Phil RoseはStormy weatherにすっかりマイっちまった。だから俺達もほとんどの時間をこっちに注ぎ込んだのさ。実際のところヤツはブルースっぽいバラードが特に好きだったんじゃないかな。だからThe Five Keys・The Moonglows・The Driftersみたいな難しいハーモニーを歌ったんだ。かなりブルース的に作りたかったのさ」とNelson Shieldsは語っている。ちなみにマスターにはこの2つの歌の間に、欠けているマスターナンバーがある。Harry Burton・Nelson Shieldsの記憶によるとDry your eyes(メンバーの友人が書きEdward Alstonがリードを歌った)とI almost lost my mind(Ivory Joe Hunter作)もレコーディングしているが、このセッションかどうかは不明で、セッションの記録も残っていない。このセッションではすべてのレコーディングでAbie Baker Orchestraがバッキングに参加した。ちなみにAbie Bakerの息子はこのオーケストラにも在籍しているが、伝説のベーシストMickey Bakerである。サックスはSam 'The Man' Taylor、ドラマーにはDavid 'Panama' Francisが在籍している。Stormy weatherは55年9月リリースされた。同時期のリリースにSo fine(The Sheiks)・Perfidia(Lorraine Ellis and The Crows)・Foolish dreams(The Fi-Tones)・Adorable(The Colts)・Don't take your love from me(The Calvanes)・Suddenly(The Keynotes)・Witchcraft(The Spiders)・Burn that candle(The Cues)・Indian fever(The Scarlets)・I had a dream last night(The Aladdins)などがある。Stormy weatherはHarold Arlen・Ted Koehlerの33年の作品で、Ethel WatersがCotton Club Revueで世に広めた曲である。The Leadersのブルース的なリメイク盤はThe Golden Gate Quartetの40年のレコードがベースとなっていた。このシングルは全米チャートに登場することはなかったが、ロザンゼルス・ボストンなどいくつかの都市でローカルヒットを記録した。B面に収録されたLover of the time(Harry Burton・Edward Alston共作)もわずかながらヒットを果たし、The Leadersはいくつかの公演を行っていたが、その出演も限定されたものであった。なぜなら彼らがレコーディングを行った当時、メンバーはまだHuntington高校の学生(卒業まであと1年あった)で、Charles Simpsonだけが56年6月に卒業したばかりだったからである。「俺達の親は、縛り付けてでもツアーには出発させない、とがんばっていたんだ。だから仕事は週末にしかできなかったのさ」とNelson Shieldsは語っている。わずかなヒットだったがそれでもThe Leadersはワシントンで行われたThe Moonglowsの公演に同行することとなった。メンバーの夏休み期間中にはステート劇場(ハートフォード)にThe Nutmegs・The Flamingos・Bill Haley and The Cometsらとともに出演を果たし、ノーフォーク・リッチモンド(バージニア州)でも開催されている。ウィルミントン(デラウェア)でのショウでは車で夜を過ごしたという。55年後半にセッションを行い、Nobody loves me(Nelson Shields・Harry Burton共作)・Dearest beloved darling(Harry Burton・Edward Alston共作)を収録、これらは56年1月にリリースされた。同時期のリリースには、I'll be home(The Flamingos)・Devil or angel(The Clovers)・Maybe it's all for the best(The Hurricanes)・Eddie my love(The Teen Queens)・Bo weevil(Fats Domino)・Rocks in my pillow(The Royal Jokers)・Fallen angel(The Four Fellows)・How(The Jewels)などがある。Nobody loves meは美しいバラードだったがチャートには失敗となった。56年4月、The Leadersは3回目のセッションを行い、Can't help lovin' that girl of mine・Lovers(Edward Alston作)を収録した。このセッションでは数曲レコーディングされたとも言われているが詳細は不明。Can't help lovin' that girl of mineはOscar Hammerstein・Jerome Kernの共作で27年にShowboatから発表されたクラシックである。一方のLoversは58年にLee Andrews and The HeartsがGlad to be hereというタイトルで発表している。このシングルは56年6月9日に、My pigeon's gone(The Five Keys)・Chicken hop(Billy Bland)・It's all over(The Hawks)・Shattered Ddreams(The Youngsters)・Woe is me(The Cadillacs)・Darlng you(The Four Fellows)・Be cool My heart(Fatso Theus and The Flairs)・The unbeliever(Jimmy Ricks and The Rickateers)・I promise(Jimmy Castor and The Juniors)・Love is true(The Chestnuts)・I'll remember (in the still of the night)(The Five Satins)とともにレビューで取り上げられた。しかしこれもチャートに失敗した。グループは契約更新の時期にさしかかったが、会社側はグループとの更新を見送ってしまう。マネージャのMelvin Nachmanはこれに対して何も手をうつ事ができなかったために、グループは金銭的にも困窮し、The Leadersは苦しい立場に立たされた。地元での小さな公演をおよそ6ケ月続けたが、Charles Simpsonが徴兵されることとなる。58年9月、グループ活動を一旦休止せざるをえなくなったNelson Shields・Ronald Judgeはニューヨークを訪れ、自分達の歌の売り込みを始めようとしていた。昼間はマーシーズデパートで働きながら、いろんな地元グループにも接触していった。およそ1年後、Nelson ShieldsはあるパーティでJoe Shepard(テナー)に出会い、意気投合したことで新しいメンバーが揃うこととなった。Nelson Shields・Joe Shepard・Prince McKnight(テナー)・Ronald Judge・Billy Faison(ベース)であった。彼らは当時の流行の新車シボレーにちなんでThe Corvairsというグループ名を付け、間もなくマネージャとなるFloyd 'Buddy' McRae(The Chordsをマネージメントしていた)に出会い、62年の初頭にCometとのレコーディング契約を手に入れた。ちなみにすでにCub・Clock・CrownといったレーベルにThe Corvairsというグループが在籍していたが、同名の別グループである。またSylviaでレコーディングを行った同名のグループも同じグループの可能性もある。Hey, Sally Mae・True true loveがDave 'Baby' Cortezのアレンジのもとレコーディングが終わり、ついでHarlequin StudiosのGene Redd, Jr.(振付師・45番街やブロードウェイでThe Black IvoryやKool and the Gangらを指導した人物)のレッスンを受ける。ちなみにGene Redd, Jr.はThe Five ChimesやThe Fi-Tonesのメンバーだった人で、彼の兄弟Donald ReddはLarry Galesの結成したThe Starlings・The Twilightersのメンバーである。また彼らの父Gene Redd, Sr.はサックス奏者で、Steve GibsonのThe Red Capsに在籍した。メンバーが7番街の地下鉄ホームで練習していた時、通りかかったJoe Renは彼らの歌を気に入り、ぜひスタジオに来るようにと名刺を渡した。彼はBeltone・Lescay・Leopard(いづれもLes Cahan設立・ブロードウェイ1650)のA&Rであった。63年4月18日、LeopardでNo tears left for crying・Don't you know(Because I love youとして知られた曲をアカペラで歌っている)・I don't wanna be without you baby・The girl with the wind in her hair(The Jive Fiveが取り上げた作品)を収録した。No tears left for cryingでは2人の女性の声が聞けるが、残念ながらNelson Shieldsは彼女たちの名前すら覚えていない。Joe Renは特にNo tears left for cryingが気に入り、The Corvairsは何度も繰りかえし色々なアプローチでこの曲に挑んだという。いっぽうThe girl with the wind in her hairにはあまり感心がなかったのかレコーディングはワンテイクで終わっている。数週間の内にNo tears left for cryingがLeopardからリリースされたが、なぜかグループ名はThe Westsidersと記載され、同月にこのマスターはUnited Artistsに貸出された。こちらではThe West Sidersと記載された。他のI don't wanna be without you baby・The girl with the wind in her hairはThe Corvairsとしてリリースされている。65年、Billy Faisonがグループを去り、Edgar Brown(ベース)が加入し、66年1月にKama-Sutra Productionsとの契約に署名した。しかしKama-Sutraはレコーディングは行ったもののマスターを全てColumbiaに売却した。このなかにはThe SilhouettesのGet a jobのリメイクも含まれているColumbiaからのリリースの後、Prince McKnightが抜けHarold Gilll(セカンドテナー)が加入したが、以降The Corvairsとしてのレコーディングは行っていない。84年、Nelson ShieldsはThe Veloursに加入し95年初頭までこのグループに在籍した。Ronald Judgeは92年に死去したが、95年11月25日に行われたUGHAのショウにThe LeadersとしてNelson Shields・Harry James・Edward Alston・Charles Simpsonが出演し拍手喝采を受けた。