The Cleftones

1955年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・クイーンズ
Herbie Cox(lead・36.05.06~)・Charles James(tenor・40.~)・Berman Patterson(tenor・39.~)・Willam McClain(baritone・38.~)・Waren Cobin(bass・38.09.12~78.06.)

■You baby you・I was dreaming(Gee-1001)56.1
■Little girl of mine・You're driving me bad(Gee- 1011)56.5
■Can't we be sweetheart・Neki-honkey(Gee-1016)56.6
■String around my heart・Happy memories(Gee-1025)56.9
■Why do you do me like you do・I like your style of making love(Gee-1031)56.12
■See you next year・Ten pair of shoes(Gee-1038)57.8
■Hey babe・What did I do that was wrong(Gee-1041)58.9
■Lover boy・Beginners at love(Gee-1048)58.1
■She's so fine・Trudy(Roulette-4094)58.8
■Cuzin Casanova・Mish mash baby(Roulette-4161)59
■She's gone・Shadows on the very last row(Roulette-4302)60
■Heart & soul・How do you feel(Gee-1064)61.4
■For sentimental reason・Deed I do(Gee-1067)61.5
■Earth angel・Blues in the night(Gee-1074)61.6
■Again・Do you(Gee-1077)61.8
■Lover come back to me・There she goes(Gee-1079)61.10
■How deep is the ocean・Some kind of blue(Gee-1080)61
■She's forgotten you・Right from the git go(Ware-501)64
■Since I fell fot you・Heavenly fathert(Robbin Hood-132)70
■Please say you want me・So you and I can climb(Robbin Hood-133)70
■My angel lover・You lost the game of love(Classic Artist-)91.03
■My angel lover・You lost the game of love(Car-121)
LP
■Heart & Soul(Gee-705)61.08
■For Sentimental Reasons(Gee-707)61.12
■The Cleftones(Tone-25290)

The Cleftones
LP Heart & Soul
Gee-705
1961年

LP For sentimental
reasons
Gee-707
1961年

The Cleftonesはニューヨークのクイーンズ区にあるJamaica High School(Doo Wopに関しては名門校といってもよい)の生徒会の選挙活動のために結成されたThe Clefsが母体となったグループである。当初のメンバーはHerb Cox・Berman Patterson・Warren Corbinであったが、間もなく、もう1つの地元のグループからCharlie James・Buzzy McClainが加入しThe Silvertonesと改名した。Hillcrest Jewish Center・Battalion Hall・Fresh Meadows Community Center・Jamaica YMCAなどで新人コンテストなどに出場するなどの活動を始める。おもにBaisley Park周辺で練習を重ねた。そこにはThe Heartbeats・The Cellos・The Rivileersなどまだデビュー前の多くのグループがいた。この時期に三たびThe Cleftonesと改名している。グループの友人David Rollnickがマネージャーとなり、彼はR&Bをリリースしていた地元周辺のレコード会社にグループの売り込みを始める。55年秋、Tico・RamaのオーナーであったGeorge Goldnerとの交渉に成功し最初のセッションが行われた。George Goldnerは11月19日にグループとの契約成立を発表した。George Goldnerとの契約は、ロイヤリティと著作権の保護に関して明記されている(当時としては珍しい)。11月下旬日にMastertoneレコーディングスタジオ(ニューヨーク)で行われたセッションにはJimmy Wright and His Comboがバッキングミュージシャンで参加している。ギターはKenny Burrellが参加していると言われている。グループのデビューシングルYou baby you(Berman Patterson作)は、Ramaではなく、新設したGeeから発売され、東海岸・デトロイトで好評となり15万枚のセールスとなった。グループはフォックス劇場(デトロイト)で開催された大規模なR&Bショウに、Bobby Charles・The Three Chuckles・Della Reese・The Cadillacs・The Four Tunes・The Royal Jokersらと出演を果たし、このショウは大成功となった。この頃にはシンシナティ・コロンブスでもトップセールスとなっている。56年3月、The Cleftonesの2枚目のシングルLittle girl of mine(George Goldner・Herb Cox作)がリリースされ、この歌は150万枚以上を売り全米で大いに支持され、ニューヨークのドゥーワップグループのトップクラスに仲間入りする。このヒットでグループはThe Moonglows・The Penguins・The Spanielsらとともに盛んにラジオで特集を組まれるようになり、56年に発売されたAlan Freedのライブ盤にも収録されている。ちなみにグループはAlan Freedのショウには計9回出演している。4月初旬にAlan Freedがパラマウント劇場(ブルックリン)で開催したEaster Jubilee of Starsショウに、Frankie Lymon & The Teenagers・The Valentines・The Platters・The Willows・The Flamingos・The Royaltones with Ruth McFadden・The Rover Boys・Jodimars(元Bill HaleyのThe Cometsのメンバー)・Cindy Gray・Lindy Gray・Dori Anne Grayらとともに出演を果たす。Jimmy Wright(Gee在籍)はSam the Man Taylor and Big Al Searsとジョイントを行った。このショウはボーカルグループファンにとって最も素晴らしいプログラムの一つとなっている。当時のショウ、特にAlan Freedの開催するショーは治安が乱れることを理由にその開催許可の降りるのが困難になっていった時期だったが、グループが続いて出演したステート劇場(ハートフォード・コネチカット州)での公演(Larry Dixon主催・WJKOのDJ・スプリングフィールド)はなんとか開催された。The Cleftonesの他に、The Moonglows・The Teen Queens・The Willows・The Schoolboys・The Solitaires・Sugar & Spice・Dean Barlowe・The Buddy Griffin band with Claudia Swannらが出演している。6月、アポロ劇場ではGee所属アーティストによる公演が行われ、The Cleftones・Frankie Lymon & The Teenagers・The Valentines・The Pretenders・Mabel KingらとともにGee以外からもClyde MacPhatter・Sil Austinが出演した。同月Can't we be sweetheart(両面ともにHerb Cox・Berman Patterson作)がリリースされ、全米チャートを急上昇し、わずか2週間で25万枚を売り上げることとなり、その地位を不動のものしたかに思えた。7月、Carr's Beach Ampitheater(アナポリス・メイランド)で開催されたショウは、8000枚のチケットもすぐに完売し、当日は75,000人以上の群集が会場周辺に集まり5マイル四方にわたって道路をふさいだほどの狂乱ぶりとなった。あのウッドストックの13年前である。この公演にはCarl Perkins・Al Hibbler・Cathy Carr・Frankie Lymon & The Teenagers・Chuck Berry・Shirley & Lee・Bobby Charles・Della Reese・The Spaniels・Illinois Jacquet and his bandらが出演している。この出演者たちはBill Cook(DJ)やバルチモア・ワシントンのDJとともにおよそ1ケ月後にMaple Leaf gardens(トロント)での公演も行った。8月下旬、Alan Freed主催のSecond Anniversary Showがパラマウント劇場(ブルックリン)で開催された。The CleftonesはFrankie Lymon & The Teenagers・The Harptones・ThePenguins・Joe Turner・Fats Domino・Jean Chapel・Mabel King・Jimmy Cavello & The Houserockers・TheAlan Freed band・Big Al Sears・Freddie Mitchell・Jimmy Wrightらとともに出演している。10月にString around my heartがリリースされた。北部・東部では人気を集めたが、前作の3枚ほどの大きなヒットになることはなかった。Geeからの4枚の大小ヒットはすべてテンポのある作品だった。The Cleftonesはグループのサウンドを試行しながら57年へと向かうことになる。この兆しが、次のWhy you do me like you do(Berman Patterson作)で垣間見られる。しかしこのシングルもあまり話題にはならなかった。57年8月、The Cleftonesとして初めてのバラードSee you next yearがリリースされた。ファンの間では評価の高い曲で、57年当時のバラードとしては現代的な歌詞を持った歌であったが、このシングルはファンに支持されず不発に終わっている。ここ数カ月にヒットを出せず、大きな公演にブッキングされることも少なくなっていた。グループが苦闘するなか、58年8月にGeeとして最後のシングルLover boy(Herb Cox作)がリリースされたが良い結果は得られなかった。同月GeeはRouletteの傘下となる。すでにThe Cleftonesにあまり興味を示さなくなっていたGeorge Goldnerは、新たにEndを設立し、The ChantelsやThe Flamingosに集中するようになっていった。Geeの看板スターだったThe Teenagersも解散状態、またThe Cleftonesもヒットが出せなくなっていた。間もなくグループはHenry Glover(Federal・Kingで長年A&Rを担当していた)のはからいでRouletteと契約し、58年夏にShe's so fineをリリースする。しかしこのシングルも、翌59年の次作Cuzzin' casanovaもまったく売れなかった。60年遅くのShadows on the very last rowのリリースを最後に、Buzzy McClain・Berman Patterson(~00.04.06)はグループを去り、The Rivileerに加入した。The Cleftonesは終わりを迎えるかと思われたが、Lee Corso(TVアナウンサー)の仲介によりHenry GloverとGeorge Treadwell(Ben E. Kingによる新しいThe Driftersのマネージャー)がマネージメントを担当し、The Cleftonesの残ったメンバーに女性シンガーPatricia SpannとGene Pearson(元The Rivileersのリードシンガー)を加え、Geeから再出発をすることとなった。61年4月に代表作となるHeart and soulがリリースされ、全米ポップチャートトップ20・全米R&Bチャートトップ10の両方にランクイン。35万枚のセールスという5年に渡る活動の中でも最大のヒット記録となり、見事にヒットアーティストに返り咲いた。翌5月(Labor Day)に続いてFor sentimental reasonsがリリースされた。6年前にThe Rivileers(Baton)がヒットさせた曲で、メンバーのGene Pearsonがヒット当時在籍していた。こちらのシングルも全米ポップスチャートに登場するほどのビッグヒットとなった。この時RouletteからはVacation in the mountains(B面はLeave my woman alone)が準備されていたが、Geeからの最初の2枚が予想以上のヒットとなったため、最終的にはRamaからHerb Cox名義でリリースしている。このシングルはほとんど売れなかったためにコレクターの間では人気が高い珍品の1枚となっている。The CleftonesはGeeにおいてスタンダードナンバーをドゥーワップスタイルでカバーした曲を次々とシングルで出していく。62年にはEarth angel・Again(The TeenagersのベースシンガーSherman Garnesが参加しているとも言われる)・Lover come back to me・How deep is the ocean? などをリリースした。しかしこれがマンネリ化し、次第にチャートから姿を消していくことになる。The Cleftones最後のシングルHe's forgotten you(Ware)が63年の遅くにリリースされたが、ヒットには至らなかった。そしてグループはR&Bボーカルグループシーンから去っていった。70年にThe Cleftonesは、ニューヨークで開催されたリバイバルショウに出演するために再結成を果たす。Gene Pearson以外(Buzzy McClainが加入している)は全てオリジナルメンバーで、観客におおいに支持された。90年代にもThe Cleftonesは活動している。90年にHerb Cox・Tony Gaines・Nicky Saunders・Charlie JamesのメンバーでThe Cleftonesを結成し、You lost the game of love(B面はMy angel lover・Classic Artists)をリリースした。またPBSテレビのスペシャル番組「Fifty Years of Doo Wop」(のちにDoo Wop 50としてCD・ビデオがリリースされた)にも出演し、Little girl of mine・Heart and soulを熱唱した。