The Chanters / The Voice Five

1957年・ニューヨーク州・クイーンズ
Larry Pendergrass(lead)・Fred Paige(tenor)・Bud Johnson Jr.(tenor)・Elliot Green(baritone)・Bobby Thompson(bass)

The Chanters
■My my darling・I need your tenderness(DeLuxe-6162)58.04
■Row your boat・Stars in the skies(DeLuxe-6166)58.06
■Five little kisses・Angel darling(DeLuxe-6172)58.08
■No, no, no・Over the rainbow(DeLuxe-6177)58.10
■I make this pledge・No, no , no(DeLuxe-6191)61.05
■At my door・My my darling(DeLuxe-6194)61.09
■Row your boat・No, no, no(DeLuxe-6200)63
Bud Johnson & The Voices Five
■You're Driving Me Crazy・On The Alamo(Stere-O-Craft 111)59.05
■For Sentimental Reasons・All Alone(Craft-116)59.07
LP
Bud Johnson & The Voices Five
■Big Beat Dance Party(RCS-509)59.05

The Chanters
CD Golden classics
Collectable 5820
1996年

彼らもLPアルバムはリリースされていません。こちらは18曲入りのCD、これでコンプ。

LP Big beat dance party
RCS-509
1959年

The Chantersはロー・ティーンのいわゆるキッズ・グループと呼ばれる部類に属した。なかでもFlankie Lymon and The Teenagersはトップクラスの人気を誇った。The Teenagersのデビュー以降は数え切れないキッズ・グループが第二の彼らを目指してデビューした。その多くが惨敗したが、後年高く評価されるグループもいくつか存在し、The Chantersもまたそのひとつである。The Chantersはニューヨークのクイーンズ区で1957年後半に結成された。この地区はハーレムやベッドフォードといったR&Bの中心地からは遠く離れている。彼らはThe Rivileers・The Cleftones・The Videosのようなグループを目指しオリジナルなサウンドを考えていた。 結成当時Fred Paige・ Bud Johnson Jr.は高校生、Larry Pendergrass・Elliot Green・Bobby Thompsonの三人は中学生であった。Fred Paige・Bud Johnson Jr.・Bobby Thompsonの三人はグループ結成以前から一緒に歌っていたが、Bud Johnson Jr.の父親であるAlbert Bud Johnson(バリトン歌手・サックス奏者・バンドリーダー。Since I fell for youを作曲し、40年代から50年代にかけてDeccaレコードやMercuryレコードでレコーディングを行ったアーティスト。有名なBuddy Johnsonとは別人)のアドバイスでさらにテクニックを磨く為にメンバーの補強を行った(ちなみに、レコードにBud Johnson and The Chantersと書かれている場合は、もちろんBud Johnson Jr.のことである。彼は決してリードを歌うことはなかった)。さらにBudの母親であるBernice Johnsonがグループのマネージャーとなっている。「僕らはジャマイカ・クイーンズ区(ニューヨーク市)出身で、たまたま同じクラスにいた友人を通して集まったんだ。友人は上級生の野球チームに所属していいて、同じチームにいたグループの3人のメンバーに私が参加することが偶然にも起こったんだ。この3人というのがBud Johnson・Bobby Thompson・Elliot Greenだった。それからしばらくはパーティーなんかで歌っていたけれど、すぐにレコードというものを意識するようになったんだ。そしてもう一人が間もなく加わるわけさ。僕は知らなかったんだけどある日、メンバーが3日後にBud Johnsonと彼の家で会う約束をしたんだ。そこにやってきたのがFreddie Paigeで、僕たちはそれから美しいサウンドを手に入れたというわけさ」とメンバーの一人Larry Pendergrassがグループ形成についてLou Ralloに話している。メンバーの一人が辞書から探してきたThe Chantersがグループ名に決まると、本格的に歌のリハーサルを開始した。彼らのお手本となったThe Heartbeats・The Videos・The Imperialsらの作品を繰り返し練習した。結果、Albert Bud JohnsonはグループをAndy Gibson(Deluxeレコードの子会社KingのA&R担当)と合わせ、彼はThe Chantersと契約をかわし、すぐさまセッションを開始した。この時のバックバンドのリーダーはAlbert Bud Johnson であった。The Chantersの最初のセッションは1958年3月18日に行われている。すべてLarry Pendergrassによるリードで、Stars in the skies・I need your tenderness・My my darling・I make this pledgeの4曲をレコーディングした。58年4月にDeluxeレコードからMy my darlingでデビュー・リリースを行った。58年4月14日にMy my darlingは「excellent」と評され(B面は「good」の評価)好調なデビューとなった。この週はWhat you say baby(The Dells)・Portable on my shoulder(Frankie Lymon)・Speedo is back(The Cadillacs)・Fathertime(The Turks)が登場している。Larry PendergrassがLou Ralloに語った話によると「僕が初めて書いた曲は生活経験からのものだった。13歳の少女の身の上に起こったちょっとした危機がテーマだったんだ。自分自身は15くらいだったかな。そのあとに書いたラブソングがI need your tendernessだった」ということである。グループの二回目のセッションは1958年5月29日に行われている。リードは同じくLarry Pendergrassで、Row your boat・Over the rainbowの2曲で、すぐさまリリースされたが、二週間後にRow your boatとStars in the skiesのカップリングで再リリースされた。このシングルは58年6月23日にレビューに登場、Over And Over(Thurston Harris)・Over And Over(Bobby Day)・Whipper Snapper(Lavern Baker)・Sapphire(Big Danny Oliver)・From Me(The Plants)・You Cheated(The Shields)・Sherry(The Valets)らとともに評価された。このシングルは思うようにヒットさせる事ができないまま、The Chantersとして最後のセッションを行った。1958年8月4日に、At my door・Five little kisses・Angel darling・No, no, noの4曲を収録した。この中から、リードをFred Paigeが担当したAngel darlingが同8月にリリースされた。B面はLarry PendergrassのリードFive little kissesであった。こちらは58年9月1日に「good」と評され、Baby face(Little Richard)・I'm so young(The Students)・The ten commandments of love(The Moonglows)・Letter to an angel(The Five Shillings)とともに取り上げられている。58年10月に、DeluxeレコードはNo, no, no・Over the rainbowというカップリングでグループにとって最後のシングルを再リリースし、11月17日に、Early One Morning(Little Richard)・Dance With The Teacher(The Olympics)・Nobody But You(Dee Clark)・I Cried A Tear(Lavern Baker)・Flat Tire(The Del Vikings)とともに評価された。Bud Johnsonの両親はThe Chantersに対し歌を続けるよう励ましていたものの、メンバー全員がエンターティナーとしてはあまりにも若過ぎるという事実もあった。The Chantersはニューヨーク界隈でだけ活動を許されたものの、映画館やクラブへの出演は一つもなかった。さらにツアーの企画も持ち上がったが親達がそれを認めなかった。The Chantersとして活動していた頃に、彼らはプログレッシヴ・ジャズ・アルバムのためのバック・ボーカルとして参加している。このセッションのためにテナーのStevie Garnerをメンバーに加え、The Voices Sixという名義でレコーディングしている。Fred Paigeはこのアルバムが今日までにリリースされたかどうかについて全くわからないと話している。グループにツアーを行わせるだけの決断の出来ない親達のために、The Chantersのメンンバーは段々とアクティブでなくなっていった。その頃Fred Paigeは兵役のためにグループを去り、交代にBud Johnsonの従兄弟にあたるFreddy Johnsonが加入した。1959年春、The ChantersはThe Voices Five と改名し、Morty Craftと契約をかわした。ここでもAlbert Bud Johnsonのオーケストラがバッキングを担当している。このレーベルでAll alone・For sentimental reasons・In the Alamo・You're driving me crazyの4曲をレコーディングした。この4曲はすべて1959年5月にStere-O-CraftレーベルからリリースされたBig Beat Dance Partyというアルバムに収録されている(このアルバムに収録された他の作品は、Boy and GirlというグループのSleepy time gal and somebody loves meを除いてインストゥル・ナンバーである)。このレコーディングの中からは、同5月に You're driving me crazyがリリースされた。59年7月にMorty Craft傘下のCraftレコードからからFor sentimental reasonsがリリースされたもののまったく話題にならず、レビューにも取り上げられなかった。この作品はFreddy Johnsonがリードを担当しているようだが、他の曲のリードは不明である。Craftでのレコーディング直後にStevie Garnerが6番目のメンバーとして加入しているがこのメンバーがCraftでレコーディングを行う事は二度となかった。60年代初頭、一人の青年コレクターでもあったSwingin' Slim Roseが設立したTimes Squareレコードは、リバイバルヒットというジャンルを生み出し、かつてのグループが脚光を浴び始めるようになった。The Chantersもたびたび放送されていた。このブームは、1961年にDeLuxeが未リリースだったI make this pledge・At my doorの発売を促した。このシングルは、ポップチャート第41位・R&Bチャート第9位というグループ最大のヒットとなった。しかしオールディーズ・ブームの熱狂的な流行のまっただ中であるにも関わらず、グループはまったく恩恵を受けないままに解散してしまった。Deluxeは1963年に再び同じシングルを再発したが、唯一の買い手はかなり小さなオールディーズ・マーケットであった。60年代後半、Bud JohnsonとStevie GarnerがプロデュースしたHeavenly you・What are you doingをSSPレーベルからThe Chanters名義でリリースしている。このシングルにはレコード・ナンバーはない。Freddy Johnsonはこのグループについては何も知らないと話している。1966年、Freddy JohnsonはThe Del-Vonsに参加している。メンバーはBen Monroe(リード)・Earl Price(テナー)・Mickey Paige(テナー)・Ray Jackson(バリトン)・George Fuller(ギター)の5人。このグループはWellsレーベルでAll I did was cry・What are you doingという唯一のシングルを残している。Freddy Johnsonは1978年にはPages Of Historyというディスコ・バンドのボーカリストとなっている。一方Bud Johnson, Jr.は結婚後、コンピュータ・プログラマとして働いていたがドラッグによりすべてを失い、クィーンズ区(ニューヨーク)にある悪名高いLaFrak市営アパートに住んだが、1996年にエイズで死去した。彼の息子はThe Mobb Deepのメンバーで、Prodigyとしても知られるAlbert Johnson。