The Valiants / The Sabers / The Gents / The Chades / Happy Tones

カリフォルニア州・ロサンゼルス
Billy Spicer(lead)・Chester Pipkin(tenor)・Sheridan 'Rip' Spencer・Brice Coefield(baritone)

The Sabers
■Always forever・Cool, cool christmas(Cal West-847)55
The Chavelles
■Valley of love・Red tape(Vita-127)56.05
The Gents
■Happenin' after school・My unfaithful love(Aladdin-3387)57.08
■Happenin' after school・My unfaithful love(Lamp-2010)57
The Valiants
■This is the night・Good golly miss molly(Keen-34004)57.11
■Lover, lover・Walkin' girl(Keen-34007)58.02
■Temptation of my heart・Frieda-frieda(Keen-34008)58
■Please wait my love・Frieda-frieda(Keen-4026)58
■Please wait my love・Frieda-frieda(Andex-4026)58
■We knew・Walkin' girl(Ensign-4035)58
■This is the nite・Walkin' girl(Keen-2120)59
■Dear Cindy・Surprise(Shar Dee-703)59
■Love comes in many ways・You are sweeter than wine(Imperial-5843)62
■Living in paradise・I'm in a world of my own(Imperial-5915)63.02
The Chardes
■Flamingo・Someone's in the kitchen with Dinah(Skylark-108)64.01
The Untouchables
■New fad・Poor boy needs a preacher(Madison-128)60
■Goodnight sweetheart goodnight・Vickie Lee(Madison-134)60
■60 minute man・Everybody's laughing(Madison-139)60.11
■Raisin' sugar Cane・Do your best(Madison-147)61.01
Happy Tones
■Summertime nights(DJコピー盤・Screen Gems-)61
■You're on top・Lovely Dee(Liberty-55335)61.04
■You're on top・Lovely Dee(Astra-1031)
■Papa・(My baby loves a) medicine man(Liberty-55423)62
■Summertime nights・Papa, shame(Colpix-693)63
The Electras
■You lied・Ten steps to love(Infinity-012)61
■Boo babe・The stomp(Infinity-016)62
■You know・Can't you see it in my eyes(Lola-100)62.07
■You know・Don't tell me(The Surgeons)(Cee Jam-100)63.04
■Can't you see it in my eyes・Boo babe(Lola-100)64.02
■Can't you see it in my eyes・Boo babe(Challenge-59243)64.04
■Mary Mary・Little girl of mine(Ruby Doo-2)66
The Freedoms
■You lied・Ten steps to love(Constellation-105)63
The Nuggets
■Just a friend・Cap snapper(RCA-47 8031)62
The Alley Cats
■Puddin n' tain・Feel so good(Phillies-108)62
The Del-Mars
■You Know・That's my desire(ABC Paramount-10426)63
■Snacky poo・Snacky poo(Mercury-72244)63
Africa
■Here I stand・Widow(ZS7-116)68.02
■From Africa with love・Savin' all my love(ZS7-126)69.12
■Here I stand・Widow(再発・Epic-5 10848)72.04
The Brothers and Sisters of Los Angeles
■Mighty quinn・The chimes of freedom(Ode-121)69
■The times they are a changin'・Mr. tambourine man(Ode-123)69
Billy Fortune and The Squires
■Every word of the song・Listen to your heart(Dice-478)58
Billy Storm and The Squires
■Every word of the song・Listen to your heart(Deck-478)58
Billy Storm
■The way to my heart・Angel of mine(バッキングに The Squires が参加・Barbary Coast-1001)58.08
■I've come of age・This is always(Columbia-41356)59.03
■Easy chair・You just can't planthese things(Columbia-41431)59.07
■Emotion・I can't stop crying for you(Columbia-41494)59.10
■When the whole world smiles again・Enchanted(Columbia-41545)59.12
■Sure as you're born・In the chapel in the moonlight(Atlantic-2076)60
■Dear one・When you dance(Atlantic-2098)61
■A kiss from your lips・Honey love(Atlantic-2112)61
■Puppy love is here to stay・Push over(Buena Vista-403)62
■Cee cee rider・Love theme from 'El Cid'(Buena Vista-413)62
■He knows how much we can bear・Sometimes I feel like a motherless child(Buena Vista-424)63
■Down home・Monday, monday(Ode-ZS7 117)69.01
■Down home・Coal mine(Ode-ZS7 117)69.02
■Tonight I'll be staying with you・Coal mine(Ode-ZS7 120)69.07
LP
■The Africa(subsidiary of Columbia)
■Music From 'Lil Brown(Ode-Z12 44010)68.10

The Valiants
CD This is the night
for love
V.S.O.P. 82CD
2008年

Keen時代のマスター(1957年6月26日と1958年2月4日に行われたRadioレコードスタジオでのセッションで収録されています)からです。全16曲入りのCD。このVSOPという会社はサンディエゴにあるインディーズではないでしょうか。

The Sabers・The Chavelles・The Gents・The Valiants・The Untouchables・The Electras・The Freedoms・The Alley Cats・The Africaなどいくつものグループを変遷している。ロサンゼルスのJordan High Schoolの生徒Sheridan 'Rip' Spencerと彼の従兄弟であるBrice Coefieldが中心となって結成した。彼らが結成したThe Sabersは、Sheridan Spencer(セカンドテナー)・Brice Coefield(バリトン)・Walter Carter(ベース) そしてHerbieとだけ記された4人編成であった。55年秋、シルバーレイク(ハリウッド)のあるCa West(Hite Morgan・Jack Arbuckle設立)のオーディションを受け、Sheridan Spencerの自作ナンバーAlways, foreverを収録した。この時は1曲だけをレコーディングした。翌日に、ロサンゼルス高校の聖歌隊のメンバーだったBilly Spicer(テナー、ベース・自身をBilly Jonesと名乗り、Billy Fortune・Billy Stormとしても知られた)がグループに加入している。メンバーたちは彼のClyde McPhatterに似た声を愛していた。Billy Spicerを加えて5人編成となったグループは、すぐにAlway, foreverの裏面用にCool, cool chrirstmasという作品をレコーディングした。このシングルは55年末リリースされたが殆ど売れないままにThe Sabersの名前は消えていった。やがてグループはThe Chavellesと改名する。Brice Coefieldの父親は、シュガーヒル地区(ロサンゼルス)を担当する郵便局員で、この界隈にはLena Horne・Joe Louis・Eddie 'Rochester' Andersonといった黒人スターが住んでいた。彼がいつものように郵便を配達したスターの一人がLloyd Glenn(ジャズ・ピアニスト)であった。父親は息子のグループについて彼に話したところ、Lloyd Glennは興味を持ち、間もなくThe Chavellesと会い、Red tapeという作品を提供した。Lloyd Glennが最もグループに貢献したのは、Robert 'Bump' Blackwell(Speciality設立)に彼らを紹介したことである。ほどなくRobert BlackwellはBrice Coefieldの家を訪れThe Chavellesの練習を見に行き、Red tape・Valley of love(Billy Spicer・Brice Coefield共作のバラード)のレコーディングを決定、すぐさまセッションの手配をした。レコーディングは、The PenguinsのEarth angelをレコーディングしたTed Brinsonのスタジオで行われた。Robert Blackwellはマスターを収録し、Vita (Larry Mead・Mike Gradny設立・パサデナ)に持ち込んだ。56年5月にこのシングルはリリースされた。ちなみにこのシングルの手配はすべてRobert Blackwellが独自に行い、グループのメンバーは誰一人としてVitaのスタッフとは会っておらず、このシングルがリリースされた当初はそのことすら知らなかったという。いずれにしてもこのシングルもヒットせず、Herbieは宗教家として活動するためにグループを去り、Walter Carterも別のグループに加入した。メンバーが抜けたThe ChavellesだったがAmerican Legion Hall(パサデナ・ロサンゼルス)で公演を行い、ここで初めて同じVitaレーベルのグループThe Squiresとも出会っている。Chester PipkinはThe Squiresのギタリスト(テナーも担当した)で、この公演ではThe Chavellesの演奏にも参加した。「俺たちが最初にThe Squiresに会ったころにはすでにChesterはグループでギターを弾いていたんだ。一方の俺たちのグループには楽器を引ける奴なんかいなかった。俺は自分のグループにギタリストがいてくれたら…なんていつも思ってたからChesterをグループに誘ったのさ。彼はThe Squiresにはずっと在籍していたけれど、彼らは解散寸前だった。数カ月の間、毎週日曜日にはChesterの家で練習し、やがて彼はコーラスにも参加するようになった。そこで俺達はThe Valiantsを結成したんだ。」とメンバーは語っている。この頃のメンバーは、Billy Spicer・Sheridan Spencer・Brice Coefield・Chester Pipkinで、連載コミックのPrince Valiantからグループ名をつけた。グループは再びRobert Blackwellのもとで3回(日時・場所ともに別)にわたってレコーディングセッションを行い、約10曲を収録した。マスターの最初の2曲にはBilly Spicerは不在でトリオでの収録となっている。Robert Blackwellは、(理由は不明だが)Specialtyのすぐ近くにあったMesner兄弟の設立したAladdinにマスターを持ち込んだ。こうしてThe Valiantsの最初のシングルHappenin' after schoolがAladdinの子会社であるLampからリリースされた。しかしこのシングルにクレジットされたグループ名はThe Gentsであった。Robert Blackwellが起用したセッションミュージシャンの多くはEarl Palmer・Googie Rene・Ernie Freeman・Plas Johnson・Jackie Kelsoらで、彼らは基本的にジャズ・ミュージシャンであった。特にRobert BlackwellはEarl Palmer(Shirley and Leeの多くのセッションに参加している)と親交が深く、のちに彼をAladdinの責任者に就任させている。またSpecialtyに在籍したSam CookeもEarl Palmerが担当していたが、Sam CookeはのちにJohn Siamas(第二次世界大戦において、軍の航空機を供給する会社で大金を得た)とともにKeenレコードを設立(West Third Street・西ロサンゼルス)した時にこのレーベルのA&Rとして移籍した。The Valiantsのマスターの多くはこのKeenや子会社のEnsign・Andexからリリースされた。Robert Blackwellはグループのマネージャーではなかったが、The Valiantsの世話(特に金銭問題に関して)をした。グループはBMI・AFTRA(共に著作権を管理する団体)のメンバーになり、彼らのセッションに対して正当な報酬が団体から支払われた。Robert Blackwellは、The ValiantsをSam Cooke・Johnny 'Guiter' Watson・Young Jessie・Jan and Deanとともにライブコンサートに出演させた。この公演はSam Cookeショウとして行われ、ウエストコーストで開催された時にはThe Valiantsはオープニングを飾った。まもなくRobert Blackwellのもとでもう一度セッションを2回行った。最初ではThis is the night・Good golly miss molly・Lover, lover・Walkin' girl・Frieda, frieda, friedaを、2回目にはTemptation of my heart・Please wait my love・We knewを収録した。57年11月にKeenからリリースしたThis is the nightでついにThe Valiantsは成功した。メンバー全員が書いたこのバラードはポップチャート第69位・R&Bチャート第43位に達した。B面に収録されたGood golly miss mollyはBumps Blackwellとの共作としてLittle Richardが大ヒットさせた曲で、カバーシングルとしてはThe Valiantsバージョンが最初のものである。Little Richard作品よりもさらに速いテンポでレコーディングされ、何度もテイクを重ねた。このセッションにはDon and Deweyもピアノ・ギター(オーバーダブ)・ベースで参加している。Sheridan Spencerは「Bumps BlackwellはすでにGood GollyをLittle Richardと一緒にレコーディングしていたんだけれど、いろいろと試してみたかったんだろうね。もっともっと速くやってみろ、なんて言ってたよ。まいったよ。」と振り返っている。The Valiantsは本当の意味でのマネージャーを持たなかったが、John Criner(ShadeやSpotレコードを設立・The Olympicsをマネージメントした・シンガーのEffie Smithと結婚した)が時折ロードマネージャを勤めた。58年2月にKeen2枚目のシングル Lover, lover(Brice Coefield作・B面のWalkin' girlはBilly Spicer作)がリリースされた。このレコーディングでは、Bumps Blackwellがニカラグアのグループをバッキングに起用し、ラテンサウンドの導入を試みた。この曲がチャートに登場すると、すぐさまKeenはTemptation of my heartをリリースした。このシングルはKeenから2度、子会社のAndexからも再発されている。続くPlease wait my loveはほとんどヒットせず、グループ最後のKennでのリリースは、子会社のEnsignから行われたWe knewで、ニューヨークではさかんにオンエアされたもののチャートには失敗した。「この頃の俺達はグループとしてのまとまりも、ハーモニーも実にしっかりとしたものになっていたんだ。でもBillyはちょっと違っていたんだ。We knewはThe Valiantsとしてレコーディングした本当の最後の歌だったのさ。」とメンバーは語っている。この当時はThe Valiantsの危機だけでなく、Keenの倒産が間近に迫っていた。間もなくBilly Spicerはグループを去り、VitaのThe SquiresとともにEvery word of the songをレコーディングし、58年にDeck(Hite Morgan・DorindaMorgan夫妻設立)傘下のDiceレーベルからBilly Fortune and The Squiresとしてリリースしたがヒットしていない。同58年、Billy SpicerはBarbary CoastレーベルからThe SquiresをバックにWay of heartをHite Morganのもとでレコーディングし、8月にリリースしたがこちらも成功しなかった。59年にBilly Spicerの唯一のヒットレコードが出た。彼はColombiaに移籍(資料によると彼の移籍に対しBarbary Coastへ1700ドル支払われた)し、Come of ageでポップチャート第28位の大ヒットを獲得した。Mitch Millerが制作し、ボーカルグループを起用したセッションで収録したものである。59年に行われた2回目のセッションではこのグループは参加していない。60年・61年に彼はAtlanticへ移籍し、Phil Spectorプロデュースのもとに2度にわたるレコーディングセッションを行い3枚のシングルをリリースした。しかしこれらのほとんどが古いR&Bのスタンダード(When you dance・A kiss from your lips・Honey love・In the chapel in the moonlight)で、話題にならなかった。一方のThe Valiantsは2人の新しいメンバーを探していた。 当初Billy Spicerに代わるシンガーを探し出すことは難しかった。夏のある日、バスの中でDon Trotter(フレスノでのThe Valiantsの公演を評価していた人物)と出会ったSheridan Spencerは彼をグループのリハーサルに誘った。Don Trotterはテナーシンガーで、The SpanielsのJames 'Pookie' Hudsonを彷佛とさせる声を持ち、Love land(Charles Wright and The Watts 103rd St. Rhythm Bandの70年のヒット)を作曲した一人であった。彼は空軍で知り合ったベースシンガーのEd Wallaceをグループに紹介し彼もまた加入した。メンバーは59年にThe ValiantsとしてShar Dee(Londonレコードが配給した)から1枚のシングルをリリースした。Dear Cindy(のちにThe SquiresがSindyとしてカバーした)と Surprise(Brice Coefield作)のカップリングで、これがThe Valiants最後のシングルとなった。まもなくThe Untouchablesと改名した。「俺達の歌はとてもいい出来で、誰も感じたことのないサウンドだった(we just felt it was untouchable)」と思ったことからSheridan Spencerが名づけた。そして「あのTV番組からじゃないんだよ」とも言っている。この時点で、グループはHerb Alpert・Lou Adler(ともに元Specialtyに在籍した)というKeenの二人のA&Rが担当となった。当時のBumps Blackwellは、ブラックアーティストに対して大きい影響力を持っており、HerbやLouも彼からビジネス全般にわたる知識を吸収していた。Herb Alpert・Lou Adlerは、ひとつの制作プランを描いてThe Untouchablesのプロデュースに挑んだ。「それまでに俺達はセッションテープを用意したんだ。充分に楽しみながらうまくやったものさ。イーストコーストの地でこれらのトラックは出来上がったのさ。HerbやLouがこのトラックを聞いて、それからこう言うんだ、歌を作ってみなよってね」こうしてPoor boy needs a preacherは生まれ、ニューヨークの新しいレーベルMadison(Lou Adler・Larry Uttal設立)でレコーディングを行った。プロデューサーはもちろんHerb Alpert・Lou Adlerであった。彼らはサンセットストリップに上にオフィスを持っており、グループもたびたびここを訪れては練習をした。Herb Alpertはこの頃からトランペットを演奏しはじめており、グループのリハーサルでも時折演奏したという。「おいおい、ここで吹いちゃだめだよ。俺達の歌声をダメにする気かい…なんて言ったものさ。だってその頃の彼は、本当にトランペット演奏なんてできなかったんだから。それが今じゃ…」とメンバーは語る。The Untouchablesの多くの作品はBrice Coefieldがリードを担当したが、Poor boy needs a preacher・60 minute manではEd Wallaceがリードを、Don Trotter・Brice Coefield・Chester PipkinもThe SpanielsのカバーGoodnight sweetheartでリードを歌っている。またBrice CoefieldもDo your bestを書いた。作品は、他にも Herb Alpert・Lou Adler(Poor boy needs a preacher・New fad・Vickie Leeなど)らが提供している。60 Minute manの裏面に収録されたEverybody's laughing(Chester Pipkin作)ではSheridan Spencerは参加しておらずGary Pipkin(Chester Pipkinの従兄弟)が歌った。またBilly SpicerがGoodnight sweetheart goodnightのセッションでグループに復帰した。The Untouchables はNew fadではThe Olympics的な、Poor boy needs a preacher・Raisin' suger caneではThe Drifters的なサウンドを試みた。The Valiants・The UntouchablesはPacific PalisadesでいくつかのTVにも出演し、ツアーも行ったもののほとんど無一文のような状況が続いていた。The Untouchablesは61年初頭にScreen Gemsからシングルをリリースしている。このレーベルは、映画産業関連の会社が付随的に運営したレコード会社で、グループはこのレーベルでレコーディングした最初のアーティストのひとつであった。Lou Adlerが参加しJerry Moss(のちにA&MをHerb Alpertとともに設立する)が制作にあたり、Summrtime nightsをレコーディングした。グループの名前はまたもやThe Happy Tonesと変えられたサンプル盤がDJたちに配布された。Sheridan Spencerによると、このシングルがラジオから流されたのを聞いたことがないし、シングルを見たこともないと話している。恐らくその市場性をテストするために少数のDJに配布されたものと思われる。やがてMadisonに移籍して2枚のシングルを出すがこちらもヒットせず、グループは61年3月にLibertyへ移籍した。The OlympicsのWestern movieタイプの ( My baby loves a ) Medicine man(Chester and Billy共作)・Lovely Dee・You're on top(Brice and Chester共作)・Papa(Chester and Billy共作)などをリリースした。You're on topではHerb Alpertがトランペットで参加しており、この曲は彼が最初にトランペットをレコーディングした作品であるとSheridan Spencerは語っている。Libertyでの2枚目のシングルがリリースされる直前の61年にグループは解散してしまう。同61年の後半に、Chester Pipkinが中心となってThe Electrasが結成された。メンバーは、Warren Joyner(リード)・Billy Mann(テナー)・Gary Pipkin(テナー)である。Warren JoynerはThe Misfits(Aries)・The Brentwoods(Dore)に在籍したシンガーである。グループはInfinity(John Marascalco設立・Good gollyをBumps Blackwellと共作した)と契約した。グループには、Lonnie Willis(バリトン・テナー)・Sheridan Spencer・Billy Spicerらも時折参加している。You Lied・Ten steps to loveは63年にConstellationから再発されているが、このときにThe Freedomsとクレジットされている。62年には、Lola・Marascalcoといったレーベルからリリースを行った。Marascalcoでは1曲につき25ドルを受け取り、バッキングの仕事にも参加し10ドルから15ドルが支払われた。62年にはBilly SpicerはRCAでThe Nuggetsとセッションを行っている。この頃のメンバーは、Herman Pruitt・Lorenzo Adams・Stewart Crunk・Sydney Dunbar・Warren Joynerである。ここではJust a friend・Cap snapperがリリースされたが、その頃にはすでにBilly Storm・Warren Joynerはグループを抜けている。ちなみに62年・63年にImperialに在籍したThe Valiantsというグループがいるが、Billy Spicerがこちらのグループに在籍している可能性は大きい。62年後半に、Lou AdlerとHerb Alpertは袂を分かち、Herbはトランペット奏者としてまたJerry MossとともにA&Mを設立した。一方のLou Adlerは彼自身のレーベルを持っていたが、独立プロデューサーとして活動を続けた。彼は友人のPhil SpectorとともにPuddin' tainのリリースにも関わった。この曲はBrice Coefield・Gary Pipkin・Lonnie Willis・SheridanSpencer(サビの部分を書いたが、彼の名前はクレジットされなかった)の共作であった。次にグループはThe Alley Catsと改名した。この頃のメンバーは、Brice Coefield・Sheridan Spencer・Gary Pipkin・James Barker(ベース)の4人。Bobby Sheen(Bob B. Soxx and The Blue JeansのBob)がPhill Spectorによってセッションに雇われ、レコーディングに参加した。The Alley CatsのシングルはSpectorからリリースされ、Brice Coefield・Sheridan Spencerにとって最大のヒットとなった。R&Bチャートにランクインし、63年2月に第21位というビッグヒットとなった。ちなみにThe Alley Catsのプロモーション写真撮影にはBobby Sheenは参加していない。同じくSheridan Spencerも撮影当日に不在で、Billy Mannが代わりに参加したという。62年から63年にかけてロサンゼルスのナイトクラブではさかんにオールディーズショウが開催されていた。Sheridan Spencerの叔父であるMarvin Phillipsはこの頃Marvin and Johnnyから引退することを決め、Sheridan Spencerはこの名前を引き継いだ。彼はその後の数年にわたりMarvinとして、JohnnyことJames Barkerとともに活動を続けた。Marvin and JohnnyはプロモーターのBob Price(プロモーター・Wolfman Jackの友人)とともにサン・ジョークインのツアーを開始している。Johnnyとして在籍したシンガーはほかにもBobby Sheen・Don Julian・Ron Shy・Johnny Starksがいる。一方、Billy Spicerは62年にBuena Vista(Disney Studios所有)に移籍し、少なくとも3枚のシングルをリリースした。女性グループが参加した作品もあった。ちなみに彼は、Disney在籍中にアニメーションの声優も行った。64年にはThe Charadesを結成しSkylark(The Squiresが在籍した)に移籍し、Flamingo(Herb Jeffries・Duke Ellington作・41年のヒット)というカバー作品をリリースした。66年にはThe Electrasを再結成(Billy Storm・Sheridan Spencer・Brice Coefield・Chester Pipkin・Billy Mann・Warren Joyner)し、Ruby-Dooレーベルから2枚のシングルをリリースした。このセッションではJohn Marascalcoがプロデュースを担当した。68年の後半、彼らはAfricaというソウルグループに変化し、Ode(Lou Adler設立・Columbiaの子会社)でレコーディングを行った。Africaのメンバーは、Billy Storm・Brice Coefield・Rip Spencer・Chester Pipkin・Gary Pipkin・Ed Wallace・Billy Mann・Freddie Willis(テナー・バリトン)である。OdeではLou Adlerの所有した移動式のレコーディングスタジオで8曲をレコーディングし、Music from 'Lil Brown'というアルバムがリリースされた。奇妙なことにAfricaの名前はアルバムのどこにも書かれていない。すべて68年の後半にレコーディングされ、Chester Pipkinはアレンジ面でも活躍した。またアルバムのプロモーションとして、Whiskey a Go Go(サンセット通り)の壁面に数カ月間にわたりAfricaの写真がペイントされた。収録作品のI standはBilly Spicerの作品、Window・Savin' all my loveはChester Pipkin・Gary Pipkin・Brice Coefield・Billy Stormの共作である。Africaは、5年後の63年にMGMに移籍し10曲をレコーディングしたが、このすべてが未発表のままである。Billy SpicerはOdeとソロ契約、William Hamlin Jonesとして署名し、68年10月1日にLou Adlerのもとでセッションを行った。当時の彼は、時折The Valiants・The Alley Catsのメンバーとしても参加している。90年10月にChester Pipkin・Brice Coefieldの二人は、Greek劇場(ロサンゼルス)において'Johnny' Ron Shy・Donald Evans(リード)とともにK-Earth主催のLegends of Rock 'N' Roll Concertに出演した。このショウには、Freddy Cannon・Joanie Sommers・Jack Scott・Bobby Lewis・Jody Reynolds・Ray Peterson・Sonny Knight・Frankie Ervin・Terry Stafford・Paul & Paula・Mel Carter・The Pentagonsらも出演した。Marvin and Johnnyとして活動したSheridan Spencer・Marvin Phillipsは93年に芸能生活から引退した。最近では、Sheridan Spencerは地元アーティストの育成に力を入れ、Levon Harris(Thurston Harrisの孫にあたる)とともにプロデューサとしても活動している。また音楽出版社(S.E. Spencer Music Company)の運営も行っている。