The Cadillacs

1953年・ニューヨーク州・マンハッタン
Earl Carrol(lead・37.11.2~)・Earl Wade(tenor)・Laverne Drake(tenor・38.~)
Charles Brooks(baritone)・Bobby 'Robert' Phillips(bass・35.~)

■Gloria・I wonder why(Josie-765)54.07.01
■Wishing well・I want to know about love(Josie-769)54.12
■No chance・Sympathy(Josie-773)55.01
■Down the road・Widow lady(Josie-778)55.06
■Sppedoo・Let me explain(Josie-785)55
■Zoom・You are(Josie-792)56.04
■Betty my love・Woe is me(Josie-798)56
■The girl I love・That's all I need(Josie-805)56
■Shock-a-doo・Rudolph the redo nosed reinder(Josie-807)56.11
■Suger, suger・About that gal named Lou(Josie-812)57
■My girl friend・Broken heart(Josie-820)57
■Lucy・Hurry home(Josie-821)57
■Buzz, buzz, buzz・Yea yea baby(Josie-829)58
■Speedo is back・A looka here(Josie-836)58.03
■I want to know・Holy Smoke baby(Josie-842)58
■Peek a boo・Oh oh lolita(Josie-846)58.10
■Jay walker・Copy cat(Josie-857)59
■Cool it fool・Please Mr. Johnson(Josie-861)59
■Romeo・Always my darling(Josie-866)59
■Bad Dan McGoon・Dumbell(Josie-870)59
LP
■The Fabulous Cadillacs(初版盤・青ラベル・Jubilee-JLP 1045)57
■The Fabulous Cadillacs(再発盤・黒ラベル・Jubilee-JLP 1045)59
■The Fabulous Cadillacs(再発盤・黒ラベル・Jubilee-JLP 1045)60
■The Crazy Cadillacs(初版盤・青ラベル・Jubilee-JLP 1089)59
■The Cadillacs Meet the Orioles(Jubilee-JGM 1117)60
■Twisting with the Cadillacs(Jubilee-JGM 5009)62
■The Best of the Cadillacs, Volume One(Murray Hill-M61250)83
■The Best of the Cadillacs, Volume Two(Murray Hill-M61269)83
■For Collectors Only(5枚組Box・Murray Hill-M61285)83
■Please Mr. Johnson(Dr. Horse-)84
■Have You Heard the News ?(Millrose-)96

The Cadillacs
LP The Fabulous
Cadillacs
Jubilee JLP-1045
1957年

LP The Crazy Cadillacs
Jubilee JGM-1089
1959年

LP Meet The Orioles
Jubilee JGM-1117
1960年

LP Twisting Cadillacs
Jubilee JGM-5009
1962年

Jubileeでの4作は、現在全てCD化されています。本グループだけでなく、当サイトに登場するグループの多くのCDは探せば見つけることができるようになりました。ちょっと感慨無量な私です。

Earl Carroll・Bobby Phillips・Lavern Drake・Gus Willinghamの4人が結成したThe Carnationsが母体となった。140番街にある聖マーク教会のステージ活動などでグループの名前が徐々に広がり始めた頃シャゥ・エージェンシーのEsther Navarro(作曲家・プロデューサー)と知り合う。この代理店は50年代のR&B界では広く知られており「ショウビジネスのような商売は他にはない」がスローガンだったという。グループに感銘を受けた彼女は最初のレコーディング・セッションを準備し、The Five Crownsなど多くのグループを管理しているLover Pattersonをマネージャにつけた。またJames 'Poppa' Clark(The Crownsに在籍)をグループに加入させ、グループ名を若者のステイタスシンボルともいえるキャディラックからThe Cadillacsと改名した。さらにグループのステージをさらに魅力的にするために振付師Cholly Atkins(Coles and Atkinsとして有名なダンスデュオのひとり・The Nicholas Brothers・Will Mastin Trio with Sammy Davis Jr・The Four Step Brothers・Peg Leg Batesなども担当)の指導も受けさせている。Cholly Atkinsの指導によりのちにトレードマークとなるみごとなステップを発展させていき、グループもステージに立つたびに上達していった。彼女はいくつかのレコード会社を回った結果、Jubileeレコードとの契約に成功する。54年6月にJerry Blaineは出来上がったばかりのスタジオでRene Hall Comboをバックに4曲をレコーディングし、新設したJosie(Jozと呼ばれた)からリリースすることになった。54年7月Gloriaをデビュー・リリースした。大きなセールスにはいたらなかったがニューヨーク・フィラデルフィアではかなりの好評を得た。次のシングルWishing wellのリリース(The Four BarsとThe Fi-Tones Quintetの間にリリースされた)に合わせニューヨークのハドソン河で開催されたMoonlight Sail with The Starsというショウにプロモーションの一環として出演した。このショウには The Scarlets・The Velvets・The Caverliers(のちにThe Fi-Tones Quintetと改名する)・Kenny Dorham・Thelonious Monkなどと共演している。そして年末に2枚目のシングルWishing wellをリリースした。55年にGus Willingham・James Clarkがグループを抜け、Earl Wade・Charles Brooksが加入している。Earl WadeはThe OpalsやThe Crystalsのリードボーカルとしてすでに売れっ子のシンガーであった。Charles Brooksはグループのメンバーと以前から親しかった友人のひとりである。1月下旬にリリースしたNo chanceだったが出だしは不調だった。当時ニューヨークでは、Alan Freedによって流行しはじめた新しいサウンドDoo-Wopにファンは耳を奪われていたということもあったが、2月にニューヨークで開催されたショウ(B'nai Brith organization・Dick 'Ricardo' Sugarの企画)にThe CadillacsはThe Hearts(Baton)とともに出演。見事なダンスワークを体得したグループはそのステージングが話題となりグループの名前は急速に広がりNo chanceもそれに合わせて売り上げを伸ばしていった。55年4月に聖ニックアリーナ(ハーレム)で開催されたR&RフェスティバルにLillian Leach and Mellows・Varetta Dillard・Otis Blackwell・Red Prysock and Joe Morris Bandらとともに出演。数日後には、ロックランドパレス(ハーレム)で開催されたDr. Jive(WWRLラジオ主催)に、Roy Hamilton・The Hearts・Charlie & Ray・Buddy Johnson's Orchestra with Ella Johnson・Nolan Lewis・Billie Holidayらとともにステージに立った。6月中旬にDown the roadをリリースし、No chanceとともにヒットしている。7月にアポロ劇場で開催されたHal Jackson's big R & B showにWillie Mabon(DJ)とともに出演、The Solitaires・Titus Turner・Annisteen Allen・The Honeytones・Little Jimmy Scott・Arnett Cobb bandなどが出演している。9月にDown the roadはニューヨークを中心にビッグヒットを獲得した。グループのステージングはR&B界に新風を巻き起こし、のちにThe Orioles・The Clovers・The Vocaleers・The Ravensらといった先輩グループも彼等風のステップを取り入れていった。55年秋にレコーディングした4ビートの印象的なイントロから始まるSpeedooが同年初冬にリリースされ爆発的なヒットとなりグループのテーマ曲ともなった。55年12月最初の週にアポロ劇場でThe Pearls・Sil Austin comboと共演、またAlan FreedのR&Rホリデーショウに、LaVern Baker・The Wrens・The Valentines・Gloria Mann・The Heartbeats・Three Chuckles・Boyd Bennett & The Rockets・The Count Basie Orchestra with Joe Williams・Sam Taylor・Al Searsらと出演している。年末にSpeedoは全米チャートにランクインするビッグヒットとなりカバーも何枚かリリースされた。B面のLet me explainもSpeedoo同様に多くの地域でオンエアーされ彼らのバラードも注目された。56年にはさらに多くのステージに出演している。多くのショーはニュージャージーで開催され The Valentines・Gloria Mann・The Wrensらと共演した。バレンタインデー(2月14日)にはオペラハウス劇場(ブルックリン)で、Screamin 'Jay' Hawkins・The Heartbeats・Ann Cole・Ruth McFadden・Frank Culley's Combo・Big Al Sears・The Bonnie Sisters・The Valentinesらと出演、ともにHal Jacksonの企画である。3月のほとんどはRay Charlesとともにバージニア州のキャロラインをツアーした。Speedooは春になっても売れ続けグループは全国的に知られるスターとなった。4月にはフォックス劇場(デトロイト)でのRobin Seymour(WKMHのDJ)主催のショーに出演し、Three Chuckles・The Cleftones・Royal Jokers・Bobby Charles・The Four Tunes・Harold Burrageらと共演し、ふたたびニュージャージーに戻りRamon Bruce and his R & B Bandwagon Showに出演。さらに同月にはトップテンR&Bキャラバン公演(ツアーはバージニアからはじまった)へ参加。Little Richard・Fats Domino・Ruth Brown・The Clovers・Little Willie John・The Turbansなどと共演した。このツアー中にZoomがリリースされSpeedoの販売が若干落ちてきたのと交代するかのようにまずロサンジェルスからヒットしやがて全国的なヒットとなった。B面には名作You areが収録されており過小評価されがちなバラードだがマニア間では評価が高い。56年夏のグループ絶頂期(The Plattersも同じく絶頂期を迎えている)にリリースしたWoe is me(B面のBetty my loveは、The Teen QueensのEddie my loveへのアンサーソング)だったが、これまでのヒット以来初の失敗作となり全米チャートでは成功しなかったものの、アトランタやカンサスあたりでは好調なセールスとなった。この頃、Lavern Drakeがグループを去りJames Baileyが加入している。56年秋にThe girl I loveをリリース。Josieレコードの大々的なプロモーションにもかかわらずまったくヒットしていない。11月に(グループのポップス版ともいわれる)Rudolph the red nosed reindeer(Josieが買い取ったJohnny Marksのオリジナル作品)をリリース。頻繁なオンエアも伴ってR&Bチャートトップ15にランクインしグループはふたたび成功した。続いてSugar sugar(Chuck Willisのリメイク)によってさらなる成功を試みるが期待はずれの結果となった。57年春、グループはついに分裂を起こし同じレーベルでレコーディングする2組のThe Cadillacsが存在するという状態になった。2つのグループはほとんど同時にシングルをリリースした。Please be my girlfriend(Josie-820)をThe Four Cadillacs(後にThe Cadillacsとなる)としてリリース。このグループはBobby Spencer・James Bailey・Roland Martinez・Lavern Drakeの4人編成で、B面もそれまでの低迷にくらべるとずっとヒットしている。一方のLucy(Josie-821)をリリースしたThe Original Cadillacs(Earl Carroll・Earl Wade・Charles Brooks・Bobby Phillips)もある程度の販売をクリアした。Earl Carroll and The Original Cadillacs名義でBuzz buzz buzz(Hollywood Flames・Ebb)をカバーしトップへの復帰を試みる。この状態が続いたままに57年を終える。ちなみに58年早くにJesse Powell and The Caddys名義でAin't you gonna(Josie-834)がリリース、メロディーはPlease be my girlfriend。またB面はTurnpikeというサックスのインストルメンタルである。やがてこの2つのグループ状態は厄介な問題となっていく。Esther NavarroとJesse Powellの話し合いにより「The Cadillacsはレコーディングする時に使用する名前でありシンガーを特定しない」というThe Plattersのような集合体として統一される。Earl Wade・Charles Brooks・Bobby Phillipsのグループと、Earl Carroll・Bobby Spencer・James Bailey・Roland Martinez・Lavern Drakeのグループが同時に同じ名前を持つこととなった。58年3月にSpeedo is backをリリースしたが、明らかにグループそしてJosieレコードにとって十分ではなかった。58年夏にはHoly smoke babyをリリースするがこれも ほとんど話題になっていない。58年秋、グループはThe Coastersの成功に注目しノベルティソングに挑戦し、10月にPeek-a-booをリリースした。これがまたたくまに大ヒットとなり、特にポップスマーケットで大いに売れた。全米チャートトップ25にランクインし、Speedoo以来のスマッシュヒットとなった。59年にJay Walkerと Please mister Johnsonをリリース。ヒットとともにグループの人気は戻り、Alan Freed制作の映画Mr. Rock and Rollに出演している。グループはさらにJosieから2枚のシングルを出し59年を終えたが、この頃Earl Carrollはグループを去りThe Coastersに加入し30年以上も在籍した。60代の中頃になるとThe Cadillacs名義で多くのレーベルからレコードがリリースされている。61年にSmashからはYou are to blame(Smash-1712・B面はWhat you bet)がリリース。Speedo and The PearlsのNaggity Nag(Josie-865・B面はWho You Gonna Kiss)、Speedo and The CadillacsのTell me today(Josie-876・B面はIt's love)とThe boogie man(Josie-883・B面はThat is why)、The Original CadillacsのI'll never let you go(Josie-915・B面はThe wayward wanderer)などが63年にリリースされている。CapitolからはBobby Ray(本名Bobby Spencer)and The CadillacsのGroovy groovy love(Capital-4825・B面はWhite gardenia)とLa Bomba(Capital-4935・B面はI saw you)がリリース。64年、Esther NavarroはThe Cadillacsのために新しいレーベルArcticを設立し、Fool(Arctic-101・B面はThe right kind of loving)をRay Brewster and The Cadillacs名義でリリースしたが話題にもならず、この失敗により、Esther NavarroとThe Cadillacsの10年に及ぶ関係は終わった。これはいろいろな意味で40代後期に起こった Deborah ChesslerとThe Oriolesに類似していた。Bobby Spencerをリードにしたグループが60年代の後半にLana からSpeedoo(Lana-118)とGloria(Lana-119)をリメイクしリリースしている。The Cadillacs名義での最後のレコーディングはPolydorから70年代にリリースされている。Deep in the heart of the ghetto part 1(Polydor-14031・B面はpart 2)がThe Original Cadillacsとしてリリースされ、社会的なメッセージソングであった。時折 Josieの再発盤がVirgoのようなレーベルからリリースされ、4枚のアルバムがJubileeからリリースされた。70年に Academy of Musicは(50代なかばに届いた)グループを選出した。Earl Carroll・Earl Wade・Bobby Spencer・James Baileyの4人がステージに現れ、Lavern Drakeのピアノをバックに2曲のバラードを歌った。Gloriaを歌うシーンではEarl Lewis 、そして次にVito Balsamo・Jimmy Gallagher・Herbie Cox・Johnny Maestroと順にリードをとるという貴重な瞬間があった。