The Cardinals

1946年・メリーランド州・バルチモア
Ernie Lee Warren(lead・~77)・Meridith Brothers(tenor)・Jack Sam Aydelotte(tenor)・Donald Jack Johnson(baritone)・Leon 'Tree Top' Hardy(bass)

■Shouldn't I know・Please don't leave me(Atlantic-938)51
■Pretty baby blues・I'll always love(Atlantic-952)51
■Wheel of fortune・Shouldn't I know(Atlantic-958)51
■She rocks・The bump(Atlantic-972)52
■Lovie daring・You are my only love(Atlantic-995)53
■Please baby・Blanket of blue(Atlantic-1025)54
■The door is still open・Misirlou(Atlantic-1054)54
■Come back my love・Two things love(Atlantic-1067)55
■Lovely girl・Here goes my heart to you(Atlantic-1079)55
■Off shore・Choo choo(Atlantic-1090)55
■I won't make you cry anymore・The end of the story(Atlantic-1103)55
■One love・Near you(Atlantic-1126)55

The Cardinals
CD Their complete
recordings
Southern Rou
SR-3504CD
2017年

29曲入りのコンプリートCDです。ジャケットはかつてのAtlanticからのシリーズものを摸したデザインですが、LP盤が出ていたわけではありません。

The Cardinalsは51年から57年にかけてAtlanticレコードに12枚のシングルを残した。バルチモア(メイランド州)で46年に結成されたThe Mellotonesが母体となった。この地からは1年前にThe Oriolesがデビューしている。The Mellotonesは、Ernest Warren・Donald Johnson・Meredith Brothers・Leon Hardy・Sam Aydelotte(ギタリスト)の5人。地元の Baltimoreバーで数年間歌いテクニックを磨いた。51年にAtlanticレコードと契約し、レコーディングのチャンスが訪れる。Columbiaに在籍していたThe Mellotonesという同名グループとの混同を避けるため、AtlanticはグループをThe Cardinalsと改名した。彼らの最初のレコーディングは51年3月に行われShouldn't I knowを、2回目のセッションでUnder a blanket of blue・Wheel of foftune・I'll always love you・A pretty baby bluesをレコーディングした。最初のシングルShouldn't I know(51年)というThe Orioles的なサウンドの作品は、R&Bトップ10にランクインし、大都市で開催されたツアーに参加し、スターグループとの共演を果たした。続くI'll always love you(51年)は前作ほどのヒットにはならなかったものの、順調に売り上げを伸した。最初のレコーディングセッションからのカットWheel of fortuneが3枚目としてリリースされた。Atlanticは3枚目のシングル用に4つのポップスナンバーを用意しており、この曲は本来予定されたリリースではなかったという。この作品はSunny Gale・Bobby Wayne・Kay Starr・The Bell Sistersらも同時リリースし、すべてがポップストップ10にランクインしている。The CardinalsはR&Bチャート第6位のランクインした。リリース直後の51年2月にErnest Warrenが徴兵のため一時脱退し、Leander Tarverが加入しThe bumpが発表された。52年の終わり頃にLeander Tarverがグループを去りJames Brown(Kingのシンガーではない)が加入してレコーディングセッションを行った。一方Ernie Lee Warrenも軍役休暇中の53年1月13日にスタジオ入りし、You are my only loveなど3つのレコーディングに参加している。You are my only love(53年)・Under a blanket of blue(54年)をシングルカットしたが、ともにチャートに失敗し、以降Atlanticはグループのプロモートに興味を失っていく。グループはその後55年1月までレコーディングセッションを行っていない。Ernest Warrenは軍役義務が終わった54年にグループに正式に復帰した。新曲のレコーディングセッションが行われ、The door is still open to my heart(Chuck Willis作・55年)をリリースし、R&Bチャート第10位にチャートインするビッグヒットとなった。この頃のメンバーは、Ernest Warren・Johnny Douglas・Meredith Brothers・Leon Hardy・Donald Johnsonである。公演が再開され、The CardinalsはAlan Freed・ Buddy Johnsonらが主催するツアーに、The Ravens・The Moonglows・The Nutmegs・Chuck Berry・Dinah Washingtonらとともにフィラデルフィアアリーナやパラマウント劇場(ブルックリン)などに参加した。The Cardinalsは特にミッドウェストで高い人気を獲得した。サークル劇場(クリーブランド・オハイオ州)では、Luther Bond and The Emeralds・Arthur Prysock・Tiny Grimesらとともに出演し、明るいオレンジ色のスーツでステージをつとめた。55年には、Come back my love・Two things I love・Here goes my heart to you・Lovely girlとリリースしたがヒットにはいたらなかった。グループ最後のレコーディングは57年に発表されたOne love・Near youで、Atlantic最終のシングルをリリースする頃には、グループはすでにばらばらになっていた。まもなくErnest Warrenは新しいメンバーによるThe Cardinalsを再編し58年にThe Cloversと改名して以降スター・グループへとなり、R&B史に名を残す大成功をおさめることとなる。