The Monotones

1954年・ニュージャージー州・ニューアーク
Charles Patrick(lead・38.09.11~)・Warren Davis(tenor・39.03.01~)・George Malone(tenor・40.10.05~)・John 'Frank' Smith(bass・39~00.11.26)・Warren Ryanes(baritone・37.12.14~)・John Ryanes(bass・40.11.16~72.05.30)

■Book of love・You'll never loved me(Mascot-124)58.02
■Book of love・You'll never loved me(Argo-529)58.04
■Tom fooley・Zombi(Argo-5301)58
■Legend of sleepy hollw・Soft shadows(Argo-5321)58.10
■Fools will be fools・Tell it to the judge(Argo-5339)59
■Reading the book of love・Dream(Hull-735)59.10
■Daddy's home but momma's gone・Tatt letale(Hull-743)61.07
■Book of dance・Toast to lovers(Hull-)

The Monotones
45s Who wrote the 
book of love
Murrey Hill 000180

92年にCollectableから同じものがリイシューされましたが、本LPも80年代に出たものです。グループのオリジナルLPというのは存在しません。同じジャケットのCDもリリースされています。

58年度のR&B部門で第4位となるほどの人気のあったグループ。彼らは、The Heartbeats・The Spaniels・The Moonglows・The Cadillacsらにあこがれ、学校のホールなどで練習した。また、彼等も参加していたバプテスト聖歌隊にはDionne Warwick・Dee Dee Warwick・Judy Clay・Cissy Houston・Leroy Hutson(The Impressions)・The Sweet Inspirationsらがいたという。なおLeroy Hutsonは聖歌隊長で、Dionne Warwick・Dee Dee WarwickはCharles Patrickの従兄弟にあたる。56年に、彼らはTed Mackのアマチュアアワーに出演、The CadillacsのZoomで優勝し、次の週にはショーでスポットを浴びている。この頃、メンバーのJames Patrickは、同じショーに出演していたもう1つのグループThe KodacsのCharles Evans Hughesから誘われ、グループから去っている。兄のCharles Patrickはひるむことなく、やがてBook of loveとして知られる曲を書き始めた。Charles Patrickは、歌詞の「you'll wonder where the yellow went」の部分を、歯磨きのCMからインスピレーションを得た。また、ふと立ち寄った楽器店で流れていたラジオから、Book of LoveというAl Stillmanの番組を耳にし、「wonder」という言葉が頭からはなれずに、早速、家に帰り、Warren Davis・George Maloneとともに、その日のうちに歌を書いた、と語っている。一方、Pearl McKinnon(The Kodaksのリーダー)はJames Patrick・Charles PatrickとともにBook of loveを書いたのは自分だと語っている。いずれにしても、57年の夏に、Bobby Robinsonはアポロ劇場で彼らを見た後、彼等と契約し、Book of loveをレコーディングした。ちなみに当時すでに彼はThe Kodaksとも契約している。Atlanticは、所属していたThe Bobbettesの次のシングルとしてBook of loveを使いたがったが、The Monotonesは、この曲のヒットを確信し、自分達で歌うことを望んだ。James Patrickのすすめで、彼らはHullのオーディションを、彼らのヒーローだったThe Heartbeats(当時はすでにJames Sheppard and His Heartbeatsと改名・Rouletteに移籍)の最初の家で受けている。57年にHullと契約し、同年9月にレコーディングを行った。グループがスタジオで録音中に、外で遊んでいた子供のボールが窓から飛び込んできた時の音を気に入り、グループはニューヨークのBellスタジオでのセッションで、バスドラムのキックを加えて、その音をそのまま残したという。そして3カ月後の57年12月、Book of loveがHullの子会社Mascotからリリースされる。58年1月に、Hullは巨額の運転資金が必要となったため、この曲をChessの子会社Argoに売却し、同年2月にArgoから再びリリースされる。58年3月24日~4月7日のあいだ、ビルボードR&Bトップ100にチャートイン、春頃にはポップチャート第3位・R&Bチャート第5位に登り、それは18週にも及ぶほどの大ヒットとなった。58年6月1日に、彼等は次のシングルTom fooleryをリリースしたが、評判はかんばしくなかった。7月に3枚目シングルThe legend of sleepy hollowに馬の音が使われ、呼び物となっが、これらのシングルは商業的には失敗となった。その頃、HullはThe ElegantsのLittle starのプロモーションに力を入れており、グループは58年12月、Aptへ移籍する。彼らはAptからThe ride of Paul Revereを58年10月にリリースした。後に彼等はThe Terrace Tones(Robert Johnson・Andrew Cheathamが在籍)のPaul Revereに著作権があることを知る。59年6月4日に、Tell it to the judge(B面はWhy do fools fall in love ?のイミテーション)をリリースしたが、ヒットしていない。AptでレコーディングしたWhat would you do if there wasn't any Rock & Roll ?はMurray HillからリリースされたThe Monotonesアンソロジーアルバムで公表される80年まで未発表となった。またこの曲はRock & Roll is here to stay(Danny & the Juniorsのアンサーソングといわれた。60年の早くに、彼等はReading the book of loveという彼等自身のレコードへのアンサーソングをHullからリリースした。そして1月27日に彼らの最後のシングルDaddy's home, but Mama's goneをリリースした。この曲は(A thousand miles awayのアンサーソングとして自らうたったShep and The Limelitesの)Daddy's homeへのアンサーソングであった。グループ最後のセッションは62年2月14日におこなわれた。Book of dance(62年にHullからリリースされたコンピレーションアルバムに収録されるまでリリースされていない)・Toast to loversをレコーディング後、The Monotonesは解散ている。64年にHickoryで1枚のシングルをレコーディングしたという記録もあるが、詳しくは不明。グループは70~80年代に、いくつかのリバイバルショウに出演しているが、Warren Ryanes・John Ryanesはすでに死去している。John Ryanesはニューアークで死去。