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The Wah-Watusi
South Street
Not Me
Down Memory Lane50年代初頭に結成したAudrey and The Teenettsが母体となる。当時のメンバーは、Audrey Jean・Shirley Brickley・Rosetta Hightower・Marlena Davisの4人。しばらくの活動ののち、Audrey Jeanはフィラデルフィアの小さなクラブで彼女と妹と一緒に出演しているところを母親に見つかりグループをやめさせられた。残った3人は、地元のThe Romeosにいた同級生のStephan Caldwellを加えて活動を続ける。彼等はThe Chantels・Ray Charles・The Moonglowsらがお気に入りだったという。61年秋、グループはCameo(Kal Mann設立)のオーディションを受け見事に合格、契約することとなった。Dave Appell(CameoのA&R担当)はグループに歌を書き、Rosetta Hightowerをリードシンガーとすることに決めた。最初のシングルI'll be trueはほとんど注目されず、続く62年初頭にリリースしたHappy birthday 21も同様の結果となった。また同じ頃にDee Dee SharpのMashed potato timeにバックコーラスで参加している(こちらはポップチャート第2位・R&Bチャート第1位の大ヒット)。そしてナショナルチャート第2位のビッグヒットとなるThe wah watusiをこの年の春にレコーディングした。このセッションでは同時にDee Dee Sharpの2枚目のヒットとなったGravy(For my mashed potatoes)に再びバックコーラスで参加している。The wah watusiに続くDon't hang upは62年の冬にポップチャート第4位・R&Bチャート第3位に達した。グループの最初の公演はアポロ劇場で、The Crystals・Bob B. Soxx and the Blue Jeans・Chuck Jackson・Tommy Hunt・Gene Chandlerなどと共演している。63年にSouth street(ポップチャート第3位・R&Bチャート第4位)・Crossfire(ポップチャート第3位・R&Bチャート第25位)と立て続けにヒットを飛ばした。64年には4枚のシングルをリリース(Shimmy dhimmy・第66位・Rules of love・第66位・Knock knock・第64位)し、そのうち3枚がチャートインするほどの人気を得た。しかしこれがグループ最後のチャートインナンバーとなった。同年Marlena Davis・Steve Caldwellが抜け、Audrey Brickleyが加入したが、以降ヒットには恵まれなかった。66年にはABCへ、67年にはにCallaへ移籍している。70年代も活動を続けたが、Rosetta Hightowerがイギリスへ移住することを決めグループは解散した。また同じ年にShirley Brickleyは死去している。90年代、Marlena Davisはすでに結婚し秘書になっている。Stephan CaldwellはPhiladelphia Board of Educationで働いていた。