The Five Discs

1954年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・ブルックリン
Mario DeAndrade(lead)・Paul Albano(tenor)・Tony Basile(tenor)
・Joe Barselona(baritone)・Andrew Jackson(bass)

■I remember・The world is a beutiful(Emge-1004)58
■I remember・The world is a beutiful(Vik-0327)58
■Roses・My Chinese girl(Dwain-6072)59
■I remember・The world is a beutiful(Rust-5027)60
■Adios・My baby loves me(Calo-202)61
■I don't know・Come on baby(Yale-243)61
■Never let you go・That was the time(Cheer-1000)62

The Five Discs
LP Sing again
Magic Carpet
MCLP-1002

見るからにブートですが、当時はやはり貴重LP盤でした。全14曲入り。

54年に、The Lovenotesに在籍していたMario DeAndrade・Andy Jacksonが中心となって結成したThe Flamesが母体。メンバーは、Mario DeAndrade・Andy Jackson・Joe Barsalona・Paul Albano・Tony Basile・Joe Brocco。Paul Albanoの兄弟であるJoe Albano(救急車の運転手だった)が彼らのマネージャーになった。56年のバレンタインデーに、The Flamesは地元での公演などで活動をはじめる。57年に彼らは、最初のデモ盤を作り、マンハッタンへ売り込みにいく。ブロードウェーのHull・Old Town・Gone(George Goldner設立)などを回ったが契約できなかったが、ある時、Billy Martin(ソングライター)がデモを聞き、彼のすすめからEmge(Gene Schwartz設立)とようやく契約することとなった。その頃、Paul Albanoの姉の意見で、彼らはThe FlamesからThe Five Discsに改名している。58年にグループは最初のI rememberをレコーディングした。Emgeからのシングルは、ニューヨークのチャートで第28位、ボストンで第2位まで登ることとなった。 その頃、Gene SchwartzはDion & The BelmontsのI wonder whyでもヒットを得て、Laurieを設立したばかりで、Five Discsのプロモーションにまで手が回らなくなっていた。グループの要請に応じ、彼はRCAのVikから、彼等の2度目のI rememberをリリースしたが、そのレーベルはまもなく破産してしまう(ちなみに61年に、Laurieの子会社Rustから3度目のI rememberをリリースしている)。彼らはEmge で、ほかのアーティストのバッキングなどの仕事を続けたが、たいした稼ぎにはならなかった。59年に、Billy Martin・Jack Astor(弁護士)・Jack Levinthal(ソフトドリンクのセールスマン)の3人がDwainを設立。Jack Levinthalの息子の強いすすめでThe Five Discsは新しいレーベルに迎えられ、2枚のシングルを残した(ちなみにオレンジ色のラベルには最初から傷があり、すぐに緑色のラベルのDwain 803で再プレス盤に置き換えられた。今日コレクター間で高額で取り引きされている)が、ほとんどラジオから流れることはなかった。60年頃、Mario DeAndradeは結婚しており、グループを抜けた。代わりにAndy Jackson(The Chaletsにいた)・Lenny Hutter・John Russellを加え、Yaleへ移籍し何枚かのシングルを残している。61年頃には、John CarboneがLenny Hutterに代わって加入し、Tap(Andy Leonetti設立)の子会社Caloからシングルを発表するが、商業的には失敗した。間もなく、John RussellはブルックリンのThe Del-Vonsに加入した。新たなThe Five DiscsはCheerでシングルをリリース後、John Carboneがグループ抜け、Pardocchi Eddie(The Del-Vons・The Darcelsに在籍していた)が加入する。シングルNever let you goがRecord of the Night(Murray the KがDJ のラジオ番組)とRecord of the Weekでローカルチャートヒットとなった。63年には、Herb Kesslerが彼らのマネージャーとなり、Kappに移籍し、The Boyfriendsと改名し、3枚のシングルを残している。そして64年には、オリジナルのメンバー、Paul Albano・Tony Basile、そしてCharlie DiBellaも脱退を決意する。The Boyfriendsの残ったメンバーは、Eddie Pardocchi・Donnie LaRuffa(The Darcelsに在籍した)・Frank Arrioneを加えて68年、Rustに移籍するが、聴衆を見いだすことができなかった。しばらく後の72年、The Five Discsとして、Pardocchi Eddie・Joe Barsalona・Frank Arrione・Paul Albano・Charlie DiBellaが再結成したが、彼らの最初のショーのすぐ後に、Paul Albano・Charlie DiBellaが抜け、Donnie LaRuffa・Mike Strippoliが加入した。The Five Discsとして最後のレーベルLaurieと契約したが成功のないままに解散してしまう。その後、Eddie PardocchiはThe Impalasを結成、Vito Balsamoは再びVito & the Salutationsに加入している。80年頃にThe Five DiscsはPardocchi Eddie・Joe Barsalona・Paul Albano・Mike Strippoli・Shelly Buchanskyのメンバーで数々のショーに出演したが、82年に解散した。90年に、Pardocchi EddieはPaul Albano・Joe Barsalona・Mike Strippoli・Jack Scandura(Roulette・AmyでThe Uniques・Ricky and The Hallmarksとして在籍していた)をメンバーに再結成した。70~80年代に、Pardocchi Eddieは2つのアカペラグループThe BlendairesとThe Blue Starsで歌っている。Joe BarcelonaはUGHAコンサートに出演の後、94年に死去した。