The Solitaires / The Mello-Moods / The Chances

1953年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・マンハッタン
Herman 'Dunham' Curtis(lead)・Bobby 'Schooby' Williams(tenor・36~61)・Alvin 'Bobby' Baylor(tenor・35.10.27~89.01.?)・Winstone 'Buzzy' Willis(baritone)・Pat Gaston(bass)

The Mello-Moods
■Where are you・How could you(Red Robin-105)52
The Solitaires
■Wonder why・Blue valentine(Old Town-1000)54
■Chapel of st. Clair・If I loved you(未発表・Old Town-1003)54
■Stranger in paradise・Come back to me(未発表?・Old Town-1003)54
■Please remember my heart・South of the border(Old Town-1006)54
■Please remember my heart・South of the border(Old Town-1007)54
■Please remember my heart・Chances I've taken(Old Town-1008)54
■Chances I've taken・Lonely(Old Town-1008)54
■I don't stand a ghost of a chance・Girl of mine(Old Town-1010)54
■My dear・What did she say ?(Old Town-1012)55
■The wedding・Don't fall in love(Old Town-1014)55
■Later for you baby・Magic rose(Old Town-1015)55
■The honeymoon・Fine little girl(Old Town-1019)56
■The angels sang・You've sinned(Old Town-1026)56
■You've sinned・The angels sang(Old Town-1026)56
■Give me one more chance・Nothing like a little love(Old Town-1032)56
■Walking along・Please kiss this letter(Old Town-1034)57
■I really love you so・Thrill of love(Old Town-1044)57
■Walkin' and talkin'・No more sorrows(Old Town-1049)58
■Big Mary's house・Please remember my heart(Old Town-1059)58
■Walking along・Please kiss this letter(Argo-5316)58
■Embraceable you・Round goes my heart(Old Town-1066)58
■Helpless・Light a candle in the chapel(Old Town-1071)59
■Lonsome lover・Pretty thing(Old Town-1096)60
■Honey babe・The time is here(Old Town-1139)63
■Fool that I am・Faie wether lover(MGM-13221)64
■The angels sang・Let the little girl dance(Billy Bland)(Collectables-Col 010397)
Ursula Reed
■You're laughing cause I'm not crying・Ursula's blues(Old Town-1001)54
The Chances
■Through a long and sleepless night・What would you say(Roulette-4549)64
Ray Brewster & The Cadillacs
■Fool・The right kind pf lovin'(Arctic-101)64

The Solitaires
CD Walking Along
Jasmine JASCD-180
2011年

Doowop好きなら何度も耳にするこのグループですが、意外にもアルバムは製作されていません。写真は近年お手頃価格でリリースされた2枚組CDですが、これひとつあればグループを満喫できそうです。

The Solitairesはニューヨークサウンドの一翼を担ったグループといえる。グループの活動期はR&B時代からR&R、そして初期のソウルまで及でいる。The Solitairesはハーレム7番街の142番通りに住む若者によって結成(結成当時のグループ名は不明)された。オリジナルのメンバーは、Eddie 'California' Jones(リード)・Nick Anderson(テナー)・Winston 'Buzzy' Willis(ニックネームの Buzzyは高校の頃にバスケットボール観戦が大好きだったために「buzz(興奮)」と呼ばれた)・Rudy 'Angel' Morgan(バリトン)・Pat Gastonの5人。多くのアマチュアグループと同じくストリートミュージシャンとして活動をはじめている。なかでもWinston Willis・Pat Gastonはプロ指向が強く、一流アーティストを盲目的に崇敬、多くの時間をアポロ劇場で過ごしていた。この頃、Alvin Baylorは自身のグループThe Hi-Litesを結成していた。彼は、元The Mello Moodsのテナー&バリトンシンガーで、このグループでWhere are youをリリースしている。またThe Solitairesのメンバーとは近所だった。The Solitaires・The Hi-Litesともに地元ではかなり知られた存在でありすでに多くのファンもいた。またお互いの交流もあった。Alvin Baylorはどちらかのグループがレコーディング契約できたら(どちらのグループにでも)参加したいと考えていた。当時Winston Willisは友人Hal Jackson(DJ・最初のマネジャーとなる)がWLIBで主催するショウのプログラム図書館員として働いていたが、Hal Jacksonは発足したばかりのOld Town(The Five Crownsなどが在籍)をグループを売り込むために訪れた。この頃Eddie JonesがThe Demensに加入(その後フリーのレッスン教師になっている)するためにグループを去った。リードシンガーとしてグループに迎えられたAlvin Baylorにとっては非常にいい話しであった。グループ(Alvin Baylor・Nick Anderson・Winston Willis・Rudy Morgan・Pat Gaston)のプロとして最初の仕事はテレビ番組の出演だった。番組ではHitting my head against the wallを歌った。しかしRudy Morgan・Nick Andersonは次第にリハーサルに参加しなくなったため、新たなメンバーを探しはじめる。ちなみにRudy Morganは歌う事より野球に興味があったといわれている。Alvin Baylorの友人Bobby WilliamsとMonteith 'Monte' Owens(テナー・ギタリスト)を誘った。この2人はいずれもはThe Mello Moodsのメンバーである。一方Winston WillisもHerman Dunhamをリードシンガーとして誘っている。Herman Dunhamは、The Red Robin Vocaleersのメンバーでもあり、Joe Duncanに次ぐリードボーカルを担当していたが、このグループは解散寸前で、彼は両方のグループで歌っている。ちなみに彼は、すでに結婚しておりMarie Curtis(Winston Willisの親戚)からHerman Curtisと呼ばれていたのでグループのメンバーも彼を同じように呼んでいた。グループは6人(Herman Curtis・Winston Willis・Alvin Baylor・Monteith Owens・Bobby Williams・Pat Gaston)となった。以降グループのコーラスはリードと3部のコーラスが基本となる。53年の暮れに、公演を終えたグループはレキシントン通りの125番街にあるOld Town(オフィスは映画館の階段の下にあったという)のオーディションを受け契約することとなった。こうしてOld Townは、結果的に54年から63年までの10年間をThe Solitairesと関係を持つこととなった。Hal JacksonにかわってMaurice 'Chink' Hines(俳優 Gregory Hinesの父)がマネジャーとして就任し、James Kriegsmannスタジオでグループのプロモーション写真の撮影をセッティング、(最もよく知られる)白いジャケットを着たグループの姿を記録していたが間もなくFritz Pollard(ブラウン大学の全米フットボール選手)と交代、彼は125番街のペニーアーケードでスタジオを持っており、Winston Willisの知人であった。Fritz PollardはすでにThe Four Buddies・Leslie Uggamsをマネージメントしており、彼のブッキングでグループは地元のパーティーやショーで出演し、グループが最初のシングル発表するまでマネジャーを続けた。再びHal Jacksonが担当したが、短期間ののちにTeddy Reig(SavoyのA&R担当・Royal Roost設立)に交代し、以降長年にわたってグループをマネージメントする。レコーディングには4~5人の作曲家がそれぞれ2~4曲を用意しており、夜の9時から翌朝までに全てを終えるというマラソンレコーディングとなった。バッキングには4人編成(Buddy Lucas・Sam 'The Man' Taylor・Mickey 'Guitar' Baker・Gil Askey)のスタジオバンドが使われたが、後年には最高で9人編成となったといわれている。中でもサックスプレーヤーのBuddy LucasはOld Townスタジオバンドの中心的存在で、Jubileeでも素晴らしい仕事をしている。Bobby Williamsも以前のレコーディング(The Mello Moodsの頃)にもまして素晴らしいピアノをプレイした。すべての歌が2~3テイクで1~2トラックに収録された。ちなみにHy Weiss(プロデュースをおこなった)はセッションについてのメモをマスター添付するようなことはしなかったため、いつ(あるいはどのアーティストによって)どの歌がレコーディングされたかをマスターから知ることが困難になったという。ほとんどのマスターナンバー(ナンバーが連続的でない彼らの最初のレコード以外)がその時々に割り当てられており、曲名で特定のセッションを推察することは非常に困難であるといわれている。グループ最初のセッションは54年1月に行われたようである。最も少さいナンバーのマスターはChapel of St. Claire(799)でその後に、Wonder why・If I loved you・Blue valentine・Come back to me・Stranger in paradiseと続く。グループは、Ursula Reed のバッキングとして(I'm a)Fool about the man I love・You're laughing cause I'm cryingに参加している。54年2月にWonder whyでシングルデビューし、4~5月にかけて2回目のレコーディングを行い、Please remember my heart・Lonely・ South of the border・I don't stand a ghost of a chance・Listen, listen baby(未発表)をレコーディングしている。I don't stand a ghost of a chanceはThe Five Keysもレコーディング(未発表)していが、この曲はバルチモアのロイヤル劇場で公演(The Five Keys・The Cloversと出演したパッケージショウ)中に、劇場の向いにあるホテルでThe Five Keysが歌っているのをBobby Williamsが聞いた歌だった。彼はThe Five Keysが2年以上も前にこの歌をレコーディングしたもののリリースの予定がないだろうと考え、The Solitairesとしてより洗練されたサウンドに発展させることにしたという。54年6月に2枚目のシングルPlease remember my heartをリリース。このリリースに関して、Hy WeissはStranger in paradise(B面はCome back to me)を予定(Old Town-1003?)していたという説もある。2枚目のシングルはニューヨークで順調に売れ行きを伸ばしていった。10月にChances I've taken・Girl of mineをレコーディングし、Chances I've takenを11月にリリースする。12月にI don't stand a ghost of a chanceをリリースし54年を終えた。この年はHunts Point PalaceやRockland Palaceといった地元のショウやダンスパーティーなどに出演している。後年グループの人気が増大するにつれて、Alan Freed・Hal Jackson・Dr. Jiveらが主催する大きなショウでThe FlamingosやBill Haleyらとライブを行うようになる。55年4月にリリースを予定していたWhat did she say・My dearのレコーディングをおこなったが、この時にはHerman Curtisがすでに徴兵されて不在、メンバーのMonte Owensの友人であったMilton Love(The Concordsのリード・Candlelightという作品をレコーディングしている)にHarlem River Projectsで行われるオーディションに参加するように依頼し間もなくグループに加入、7月8日にはアポロ劇場にメンバーとして出演している。この公演にはTitus Turner・Willie Mabon・The Cadillacs・Arnett Cobb Orchestraが出演している。グループの次のセッションは55年の夏に行われている。The wedding(Pat Gaston作・兄弟のPaulの結婚式のあとに10分で書いたといわれる)・Don't fall in love・Magic roseの3つの歌がこのセッションで収録された。8月にThe weddingをリリースし特にニューヨークでは大ヒットした。55年秋、Later for you baby・Davy Crockett(未発表)をレコーディング、55年11月にLater for you babyをリリースした。ちなみに70年代にRuth McFaddenのDarling, listen to the words of this song・Since my baby's been goneにバッキングとしてThe Supremes名義で参加していると伝えられたが、The Supremes自身(実際にOld Townに在籍していた)が参加しておりこのセッションには何も関係はない。11月11日に、ワシントンのハワード劇場で1週間にわたる公演をThe Clovers・The Five Keys・Big Joe Turnerとともにおこなった。11月18日にはアポロ劇場で開催されたHal Jacksonショーにも1週間出演している。こちらはArthur Prysock・The Four Fellows・The Valentines・Chuck Berry・The Buddy Johnson Orchestra・Ella Johnson・Floyd Rylandらと共演している。56年1月3日にThe honeymoon・Fine little thing(Fine young thingとも呼ばれる)をレコーディング。このセッションには、兵役中だったがたまたま休暇中で家に帰っていたHerman Curtisも参加しリードを歌っている。数日後にLittle girl(Fine little thingとしてHerman Curtisがレコーディングした歌と同じテイク)・Please kiss this letter・Come back my loveにリードボーカルと楽器をダビングするセッションが行われ、1月19日には残りのテイクをグループがオーバーダブしている。またこの時にはHerman Dunham・Ruth McFaddenによって書かれたLittle heartsもレコーディングしている。The honeymoonは56年2月にリリースされ毎晩のようにAlan Freedによって放送され徐々に注目を集めはじめ、グループは3月30日から始まったDr. Jive主催のEaster R & B Revueに出演し再びアポロ劇場に立った。共演はBo Diddley・The Moonglows・Charlie & Ray・Dean Barlow・Brook Benton・The Fi-Tones・The Schoolboys・Sugar & Spice・The Buddy Griffin Orchestra・Claudia Swann。56年7月、You've sinned・You're back with meをレコーディング、7月にリリースされた。ちなみに最初のプレスでは曲名がYou're back with meだったが、2回目以降のプレスではThe angels sangに変えられている。The angels sangはPat Gastonの最後のセッション(空軍へ徴兵)となった。Pat Gastonは退役後は再びグループへ加入することなく大学へ進学するという道を選んだ。Pat Gastonの代わりにFreddy Barksdale(Winston Willisの友人・The CricketsやThe New Yorkers Fiveに在籍)と交替している。ちなみにFreddy BarksdaleはChuck Barksdale(The Cats・The Fiddleのベース)・Chuck Barksdale(The Dellsのベース)・Andrew Barksdale(The Sparks of Rhythmのベース)とは何ら関係はない。Freddy Barksdaleが参加後まもなく、Bobby Williamsはグループを去りCharlie Mingusのグループに参加、Herman Curtisも同じくグループを去っている。この頃のメンバーはMilton Love・Bobby Baylor・Buzzy Willis・Monte Owens・Freddy Barksdale。56年10月10日にGive me one more chance・Nothing like a little love・How long・Silent grief・Walking alongをレコーディング。すべてのリードをMilton Loveが担当した。ちなみにWalking alongでの足音はHy Weissと彼の兄弟Samによる音である。この2日後にアポロ劇場で1週間にわたって開催されたNew R&B Stars of 1956ショウに、The Pearls・The Dells・The Velours・The Channels・The Flamingos・Ruth McFadden・Titus Turnerと出演した。同じ出演者によるショウがDr. Jive主催でハワード劇場でも開催されている。The Dells・The El Dorados・Screamin' Jay Hawkins・Eddie Cooley & Dimples・Robert & Johnny・The Debutantesらが共演。Give me one more chanceは56年11月にリリースされた。56年末にBobby Williamsは、Old TownでI'll be around・Your tomorrowsのソロレコーディングを行なっているが結局リリースされなかった。57年1月に、Walking alongを発表、ニューヨークでは大きなヒットとなったがナショナルチャートには入らなかった。2月8日から1週間のアポロ劇場公演を開始、R&B Stars of 1957と呼ばれるショウで、The Pearls・The Velours・The Belltones・The Playboys・Ann Cole・Robert & Johnny・Paul Williams Orchestraと出演した。同じショウが5月17日からはClyde McPhatter・Moms Mabley・Buddy Johnson Orchestra・Ella Johnson・Floyd Rylandらの出演で開催されている。また1カ月後にはハワード劇場でThe Cardinals・The Harptones・Nappy Brown・Ocie Smith・Big Maybelleらと1週間の公演をしている。4月16日にブルックリンパラマウント劇場でおこなわれたAlan FreedのEaster Jubilee Of Starsにも出演、共演者はThe Cleftones・The Harptones・The Del Vikings・The Cellos・The Pearls・Bobby Marchan・Bo Diddley・Buddy Knox・Jimmy Bowen・Charlie Gracie・The Rhythm Jesters・The G-Clefs・The Rosebuds・Anita Ellis。今回は実際にHy Weissから200ドルの小切手を受け取ったといわれている。このように公演に次ぐ公演の日々であった。57年の次のセッションではI really love you so(Honey babe)・Thrill of loveがレコーディングされている。I really love you soは陸軍から退役したばかりのHerman Curtisが復帰してリードをとった。なおこのセッションでは、Freddy Barksdaleが一時的に脱退したため、Milton Loveがベースを担当している(なんらかの理由で休息を求め、Hy WeissがMilton Loveに連絡をとったともいわれる)。この曲は11月にリリースされている。58年2月に、Walkin' and talkin'・No more sorrows・When will the light shine for meをレコーディングした。この3曲は同じ日の録音ではない。Walkin' and talkin'でのベースはFreddy Barksdaleに変わってWally Roker(The Heartbeats)が担当している。Walkin' and talkin'は58年3月にリリースされた。58年夏にHerman Curtisが新生The Vocaleersに加入するために脱退、またFreddy Barksdaleは一時的な脱退から復帰した。Milton Love・Bobby Baylor・Buzzy Willis・Monte Owens・Freddy BarksdaleとなったグループはBig Mary's house(Please remember my heartのリメイク)・Embraceable you・Round goes my heartをレコーディングした。58年7月4日にはアポロ劇場にもClyde McPhatter・Lavern Baker・Doc Bagby・Valerie Carr・Leslie Uggams・Ralph Mathis & Ambersらと出演している。8月にBig Mary's houseをリリースした。58年9月に、Walking along(57年)がThe Diamonds(Mercury)にカバーされヒットする。これに合わせてOld TownはChessのマスターを子会社のArgoから再発している。秋にもセッションが行われ、Hully gully roll・At night・The girl is gone・The bellsがレコーディングされたが、リリースされていない。The bells以外はBobby BaylorがリードをとったThe Dominoesの曲である。58年後半に、September songをレコーディングした。12月にEmbraceable youをリリース、これにあわせて58年12月26日からアポロ劇場へ出演している。今回はショウにはClyde McPhatter・The Olympics・Duane Eddy・Moms Mabley・The Versatones・Billy Barnesらが参加している。59年初頭Buzzy Willis・Bobby Baylorが徴兵され、Cecil Holmes・Reggie Barnesが加入している。ともにThe Fi-Tones(当時すでに解散している)のメンバーである。Milton Love・Cecil Holmes・Reggie Barnes・Monte Owens・Freddy Barksdaleとなったグループは59年5月にHelpless・Light a candle in the chapel・The time is hereをレコーディング、Helplessは同月にリリースされた。7月17日からは再びアポロ劇場へRoy Hamilton・Mauri Leighton・Mattison Trio・Pigmeat & Freddyと出演した。The Solitairesが再びOld Townのスタジオに現れたのはそれから約1年半ののちとなった。この間、メンバーのMilton LoveはThe Harptonesに参加したり、The Cadillacs(I'm willing・Mercury)のレコーディングで歌ったりしている。グループの次のセッションは60年10月25日に行われ、Lonesome lover・Pretty thingをレコーディング、11月にリリースしている。ちなみにJocko Henderson(DJ)はLonesome loverを数ケ月間も流し続けたといわれている。61~63年の間Milton Loveは陸軍に兵役し、グループはBobby Baylor・Cecil Holmes・Reggie Barnes・Monte Owens・Harriet 'Toni' Williams(The Harptonesに在籍)というメンバーだったが、Reggie Barnesは結婚してグループを去っている。63年早くにはBobby Baylor・Milton Love・Freddy Barksdale・Cathy Millerとなり、間もなくHerman Curtisが復帰し、Cathy Millerが抜けている。Old Townでの最後のリリースは63年3月のThe time is here(59)・I really love you so(Honey Babeと改題・57)の再発カップリングだった。同年グループはMGMに移籍した。当時のメンバーは、Milton Love・Buzzy Willis・Reggie Barnes・Cecil Holmes・Freddy Barksdaleで、64年2月にFool that I am・Fair weather loverをリリースしている。同月、興味深いレコードがRouletteからリリースされている。A面はWhat would you sayという曲でMilton LoveとBobby Baylorがリードをとっている。B面は、Milton Love・Bobby Baylor・Buzzy Willis・Monte Owens・Cecil Holmes・Reggie Barnes・Freddy Donovan(The Willowsのベースシンガー)によって全く別の日にレコーディングされたThrough a long and sleepless nightが収録されておりThe Chancesとしてリリースされた。64年11月に、Milton Love・Bobby Baylor・Freddy BarksdaleはRay Brewsterのバッキングとして参加したシングルFool・The right kind of lovinが、The Cadillacs名義でArctic(Esther Navarro設立)からリリースされている。彼らはThe Cadillacsとしてしばらくの間ツアーをおこなった。The Solitairesは様々なメンバーでグループを維持しようとしたが、やがてそれぞれの道を歩んでいくためにグループを立ち去っている。Buzzy WillisはRCAのR&B部門のマーケティングディレクタからPolydorのR&B部門の副社長となった。Cecil HolmesはBuddah のR&B部門の総支配人になった。Bobby BaylorはTransit Conductorなった。Milton Loveはルーズベルト病院のMedical Technicianになった。Freddy BarksdaleとMonte Owensは郵便局で仕事をしている。Pat Gaston(高校中退)は臨床心理学の博士号を得るために勉学に励み、70代初期にニューヨーク市のCorrections Commissionerの特別アシスタントとなった。彼は84年までRikers Island刑務所の番人をしていた。Herman Curtisはオルガンプレーヤー、Reggie BarnesはドラマーとしてJimmy CastorとともにHey Leroyに参加した。ジャズに没頭したBobby WilliamsはCharlie Mingusオーケストラに加入したが、61年に死亡している。70代初期に、Milton Love・Bobby Baylor・Freddy BarksdaleのトリオはリバイバルショウにThe Solitairesとして参加した。ときどき彼らはMonte Owens(時にはBuzzy Willisも)とも一緒に舞台に上がっている。数年後にMilton LoveとFreddy Barksdaleは、George Magnezid(The Wrensのオリジナルメンバー)・Robby Mansfield(The WrensのオリジナルメンバーBobby Mansfieldの息子)を加えて、The Solitairesとして活動している。