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Come go with me
They sing they swing
The swinging, singing
Del Vikings
Come go with me地元のコンテストで優勝するなどの活動をしていた結成当初は、全員黒人だったが、55年、カラポリスの近くのピッツバーグ空港にアメリカ空軍が配備され、この軍隊に召集された何人かのメンバーが、56年10月に新たに結成したグループ。メンバーは、Norman Wright・Corinthian Kripp Johnson・Don Jackson・Clarence Quick・Dave Larcheyの白人2名と黒人3名のグループ。グループは練習の合間をぬって、地元のDJで起業家でもあったBarry Kayeを訪れ、彼の地下室で9曲の歌をアカペラでレコーディングした。グループを気に入った彼は、およそ3ケ月後にこのテープを、ダウンタウンのシェルトンホテルの中で間に合わせのスタジオを持っていたローカルレーベルFee-Bee(Joe Auerbach設立)へ持ち込み契約に至った。グループは、空軍でいつも一緒に演奏していたバンドとともに、Baby, let me know・Come go with me・How can I find true love・When I come home・Don't be a fool・Watching the moonなどをレコーディングした。56年の秋、グループの最初のシングルHow can I find true love・Baby, let me knowでデビューを果たした。How can I find true loveは典型的なリズム・アンド・ブルースバラードで、地元のラジオでヒットの兆しが見え始めた12月初旬、Fee-BeeはB面のBaby, let me knowを表面にして再発している。57年1月の第2週に、How can I find trueをリリース、この時のB面がCome go with meであった。リリース当初は、ほとんどのDJがCome go with meに注目しなかったが、ピッツバーグからヤングスタウン・クリーブランドあたりで、徐々に話題になり、シングルの注文が殺到しはじめた。注文に応じきれなかったFee-Beeは、およそ3週間後にDotとレコード取引をしている。地元での販以外はすべてDotがおこなうという内容で契約が交わされた。57年2月の第1週にDotからCome go with meはリリースされ、それまでの供給不足も手伝って爆発的売れ、1週間後には全米チャートに登場するほどの大きなヒットとなった。翌3月に、Fee-Beeは、オハイオに新設したスタジオで12曲の歌をレコーディングし、Maggie・Down In Bermudaをリリースする。4月中旬にはブルックリンのパラマウント劇場で行われるイースターレビューにAlan Freedから出演の依頼を受け出演を果たした。その1週間後、2枚目のシングルをWhat made Maggie runと改題し、Dotからリリースされたが、わずかなオンエアと売り上げしかできなかった。当時グループはFee-Beeと契約中だったが、Mercuryがグループの契約に乗り出した。当時メンバーのKripp Johnsonは21歳だった。これは、彼以外のメンバーは(未成年を理由に)Fee-BeeあるいはDotに拘束されてないことを意味している。この申し出に、さらなるチャンスと多額の金を目指してグループは5月にMercuryに移籍した。移籍はスムーズにはいかなかったが、57年10月までにはMercury・Dot・Fee-Beeの3者間の法律上の問題を解決し、57年12月1日まではFee-Beeがグループの経営権を維持し、以降はグループ名以外の全ての権利をMercuryが持つこととなった。12月まで待てないMercuryはグループをDel Vikingsと改名し、次々とシングルをリリースした。57年6月には、MercuryのDel VikingsとDotのDell-Vikingsのシングルが同じ週にリリースされた。MercuryからリリースされたCool shakeはそこそこに売れ、Whispering bellはDotからの3枚目のリリースとなった。I'm spinningはKripp Johnsonがバックで参加し、Fee-Beeでレコーディングされ、10月にKripp Johnson and The Dell-VikingsとしてDotからリリースされた。Mercuryはこれを訴え、名前の綴りにかかわらず、グループ名の独占権を得ることとなった。57年7月、突如El DoradoからFee-Bee・Dotとの契約前の未発表ナンバー(グループが最初に地下室でデモレコーディングを行ったテープ)が収められたアルバムがリリースされた。どういった経緯でEl Doradoからアルバムがリリースされたかについては不明だが、未発表テープを入手したLuniverseは、設立者であったBuchananとGoodmanが演奏をオーバーダブし、空飛ぶ円盤のロゴマークをつけて発売した。LuniverseはDotに告訴され、そしてすべてのレコードは市場から回収された。市場には、3つのDell Vikingsと4つのレーベルによってリリースされるという状態で、グループは57年8月のチャートにおいて3枚のヒットシングルを持っていた。この記録は64年にThe Beatlesが破るまで続いた。しかし、グループのヒットはここまでとなる。グループはブルックリンのパラマウント劇場で開催されたAlan Freedの長期にわたるLabor Dayレビューに出演後まもなく、映画The Big Beatに出演し、58年2月に公開されている。その後は、メンバーチェンジを繰り返しながらレーベルを転々としレコーディングを続けるが、成功することはなかった。グループに関わったメンバーがそれぞれのThe Del-Vikingsを結成・解散を繰り返した。