The El Dorados

1953年・イリノイ州・シカゴ
Pirkie Lee Moses(lead・37.10.04~00.12.16)・Arthur Basset(tenor)・Jewell Jones(tenor)・Louis Bradley(tenor)・James Maddox(baritone・36.10.31~)・Richard Nichens(bass・36~91.08.03)

■Baby I need you・My loving baby(VeeJay-115)54.7
■Annie's answer・Living with Vivian(VeeJay-118 )54.8
■One more chance・Little miss love(VeeJay-127)54.12
■At my front door・What's buggin' you baby(VeeJay-147)55
■I'll be forever loving you・I began to realize(VeeJay-165)55
■Now that you've gone・Rock'n' roll's for me(VeeJay-180)55
■A fallen tear・Chop ling soon(VeeJay-197)56
■Bim bam boom・There in the night(VeeJay-211)56
■Tears on my pillow・A rose for my darling(VeeJay-250)57.6
■Three reasons why・Boom diddle boom(VeeJay-263)57
■Lights are row・Oh what a girl(VeeJay-302)58
LP
■Crazy Little Mama(VeeJay-1001)60

The El Dorados
LP Crazy little mama
Vee-Jay 1001
1960年

52年にEnglewood高等学校の5人の同級生が結成したThe Five Starsが母体となる。メンバーは、Pirkle Lee Moses Jr.・Louis Bradley・Jewel Jones・James Maddox・Robert Glasper。のちに彼らのマネージャーとなるJohnny Moore(学校の用務員だった)とも出会っている。54年にPirkle Moses とRobert Glaperは空軍の90日間の現役勤務プログラムに参加、Arthur BassettとRichard Nickensが代役を務める。The Five Starsはやがてメンバーが増え6人となり名前を変える必要に迫られる。当時は自動車の名前をつけたグループが大流行しておりThe Cardinalsを名乗っていたがAtlanticに在籍する同名のグループの存在を知り、当時最もホットなモデルだったEl Doradoから名前をつける。De Lisaクラブのショーに参加していた彼等は、シカゴのディスクジョッキーAl Bensonの目にとまり、The Spaniels(Vee-Jayに在籍)の対抗馬として売り出すためにオーディションの手配をする。彼等はオーディションにパスし、Vivian Carterのレーベルと契約する。最初のリリースは54年9月に発表したバラード、My loving baby。このあとArthur Bassettは空軍へ召集し、クィンテットとなる。続くシングルとして54年9月に、At my front doorをリリース。大ヒットとなり、Pirkleの「赤ちゃん言葉」も話題になり、人気は急騰した。そして9月24日にビルボードR&Bチャートに、10月15日にトップ100にそれぞれチャートインした。Pied Piper・Pat Booneらがカバーしたにもかかわらず、彼らのバージョンが売れ続けた。12月の第2週に、I'll be forever lovin' youを発表。56年2月に第8位にチャートインする。これが最後のチャートレコードとなる。その後、Richard Nickensがグループを去る。カルテットとなった彼らの、次のリリースA fallen tearは大きなヒットこそしていないが、話題になった。続いてAt my front doorの続編と呼ばれるBim bam boomをリリース。そしてTears on my pillowがThe El Dorados最後のシングルとなった。57年にJones・Bradley・MaddoxはVee-Jayを離れ、Academy(Marvin Smith設立)へ移籍する。58年にA lonely boyというバラードを発表する。Vee-Jayとの法律上の問題を避けるために、The Four El Doradosと改名し、Jewel Jonesも名前をJuellと変える。サウンドの変化を求め、グループは、Rhythm(Don Barksdale設立)からThe Tempos名義でPromise meを発表する。続くNever let me goでもEl Doradosサウンドは健在だった。しかし、Rhythmでは商業的な成功ができずに再びシカゴへ戻る。そして61年に解散。その後Marvin SmithはThe Artistics(OkehからBrunswickへ移籍)に参加、I'm gonna miss you(Top100の第55位・R&Bチャート第9位・66年)やGirl I need you (Top100の第69位・R&Bチャート第26位・67年)のヒットを放つ。57年、Pirkle Mosesは新生El Dorados を結成。メンバーは、John McCall・Douglas Brown・Teddy Long(~91)・Johnny Carter・Pirkle Lee Moses Jr。58年にVee-JayからLights are lowなど2枚のシングルを発表、しかしいずれも失敗に終わり、Vee-Jayを去ったのち、グループは解散。そして63年にBossレーベルでThe Squiresとしてレコーディング。65年にはPirkle・Melvin Morrow・George PragerらとThe Major Minorsを結成した。69年に彼らは再び、In over my headをTorridからThe El Doradosとして発表する。メンバーは、Norman Palm・Billy Henderson・George Prayer・Anthony Charlesの4人。71年、Johnny CarterCarterも、Eugene Huff・Spence Goulsby Jr・Lee Toussaintらと新たな El Doradosで、Paulaからシングルを出しているが80年以前に解散している。85年頃にBilly Hendersonが去り、Anthony Charlesは死去。87年にGene Huff・Larry JohnsonらはEase the painというバラードをDelanoに残している。