The Heartbeats

1955年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・クイーンズ
James Sheppard(lead・35.09.24~70.01.24)・Albert 'Walter' Crump(tenor)・Robby Tatum(aka Robby Brown・tenor)・Vernon Seavers(baritone)・Wally Roker(bass

■Tormented・After everybody's gone(Network-200)55
■Crazy for you・Rock'n roll'n rhythm'n' blues(Hull-711)56.01
■Darling how long・Hurry home baby(Hull-713)56.03
■People are talking・You way(Hull-716)56.07
■A thousand miles away・Oh baby don't(Hull-720)56.10
■A thousand miles away・Oh baby don't(Rama-216)56
■Wedding bells・I won't be a fool anymore(Rama-222)57.02
■Everybody's somebody's fool・I want to know(Rama-231)57
■When I found you・Hands off baby(Gee-1043)57
■After new year's eve・500 miles to go(Gee-1047)58
■People are talking・You way(Gee-1061)60
■Darlin how long・Hurry home baby(Gee-1062)60
■Down on my knees・I found a job(Roulette-4054)58
■One day nevt year・Sometimes I wounder(Roulette-4091)58
■Down on my knees・Crazy for you(Roulette-4194)58
■One million years・Darling I want to get mkarried(Guyden-2011)
LP
■A Thousand Miles Away(Roulette-R25107)60
■Echoes of Rock Era / Heartbeats, Shep & The Limelights(Roulette-RE114)73

The Heartbeats
45s A Thousand Miles
Away
Roulette-25107
1960年

LP Echo of Rock Era
Roulette-114
1973年

派手さはないけれど、しみじみと心にしみる通好みのグループ。アルバムはたった一枚だけ。写真下は70年代にシリーズ物としてリイシューされたLPの一枚です。

ジャマイカ(ニューヨークのクイーンズ地区)で活動していたThe Heartsは、The Orioles・The Ravens・The Five Keys・The Moonglows・The Larks・The Flamingosらのヒットをレパートリーにし、公園や街角の街灯の下で歌っていた。55年に同名のグループ(ガールグループ)がハーレムからLonely nightsでデビューしたため、The Heartbeatsに改名した。あるときThe Heartbeatsは、James Sheppardのグループとバトルを行った。彼の歌声に感銘を受けたグループは、ぜひリードシンガーとして迎え入れたいと申し入れ、James Sheppardはこのグループに加入する。James Sheppardの加入はThe Heartbeatsにとって大きな力となった。彼はその歌声だけでなく素晴らしいバラードも書いたからであった。まもなくThe Heartbeat Quintetと改名し、クラブ・結婚式・卒業式・式典などでセミプロとして活動を始めている。やがてIllinois Jacquet(サックス奏者)と出会い、彼の地下室でリハーサルを行うようになったが、Illinois Jacquetの兄弟もグループを気に入り、Network(フィラデルフィア)へ売り込み契約に至った。55年にグループ最初のシングルTormented(James Sheppard作)がリリースされた。この曲は当時すでに知り合いだったWilliam Miller(Hull在籍)との共作で、その後もこの二人は共同作業を続けていく。しかしTormentedはまったくヒットせず、落胆したJames Sheppardはマネージャに対し懐疑的になっていった。再びThe Heartbeatsと改名し、自らレコード会社をまわり、55年末にHullと契約する。56年1月にCrazy for youを発表しローカルヒットとなり、Alan FreedやMullay the Kのショウに出演するようになる。2枚目と3枚目のシングルはともにニューヨークを中心にイースト・コーストのDoo-Wopファンに支持された。いずれもJames Sheppardの書いたバラードであった。このヒットで成功したHullは、グループにプロの振付け師を紹介している。フォックス・アポロといったニューヨークのトップクラスの劇場に出演するようになったのもこの頃である。56年10月に発表したBaby don't goだったが、ラジオ局にリクエストされたのはB面に収録されていた名作A thousand miles awayだった。このバラードが当初はテキサスでローカルヒットし、やがて全米で大きなヒットとなり、The HeartbeatsはRay Charles・B.B. King・The Flamingosといったスター達と共演する第一線のR&Bグループとなった。しかしツアーでは車の故障やプロモーターとのトラブルを経験し、やがてJames Sheppardはツアーを敬遠するようになっていく。この大ヒットのさなか、HullはThe Heartbeatsとの契約・出版権をRouletteに売却する。著作権や報酬についてのトラブルがあったという。57年2月にI won't be the fool any moreでRamaからデビュー。ただしこの曲は56年11月11日にHull在籍中に録音されたものである。メンバーの期待もむなしくヒットせず、次作もヒットには恵まれなかった。57年夏、Ramaから Geeへ移籍し2枚のシングルを、さらにRouletteに移籍し2枚のシングルを出したが、人気は下降線をたどる一方だった。James Sheppardはフィラデルフィアで行われた公演中にマイクに感電し、しばらく休養することとなった。彼の不在中はメンバーのAl Crumpがリードを代役し、4人編成で公演を続けることとなる。59年にハワード劇場(ワシントン)で行われた公演を最後に、James Sheppardはソロとしても活動をはじめ、ジャマイカ(クイーンズ)にレストランをオープンさせた。やがてオーナーGeorge Goldnerとの金銭面でのトラブルが原因となり、Rouletteから飛び出しGuydenから1枚のシングルを出した。こうしたゴタゴタはThe Heartbeatsのメンバーとは無関係にJames Sheppardひとりで起こしたといわれる。完全主義者としての彼に他のメンバーもついていけなくなったのか、60年春に5年の活動期間をもって解散した。James Sheppardは旧友のClarence Bassett(The Five Sharpsに在籍)・Charles Baskerville(The Videosに在籍)とともにShep and The Limelitesを結成しApt・Hull・Caslinなどに在籍したが、こちらは66年に解散している。Clarence BassettはThe Flamingosに参加後、Creative Funkに加入し、Charles BaskervilleはThe Playersに加入した。James Sheppardは70年のリバイバルブームにThe Limelites再結成したが、同年1月24日にロングアイランドの高速道路で事故にあい死去した。