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DeWitt Clinton High Schoolの生徒達が結成したThe Harmonairesというグループが母体となっている。このグループはブロンクスを中心に活動しており、57年初頭にHolidayレーベルからLorraineをリリースしている。The HarmonairesのメンバーだったBob Trotman・Andy Lillyは、新たにBob Thierrer・Buzzy Helfand・Norman FoxとともにThe Velvet-Tonesというグループを結成する。やがてNorman Foxはグループのオリジナルナンバーを担当するリードボーカルとなった。57年春The Velvet-Tonesは、ヒューストン(第49番街・ニューヨーク市)にオフィスのあったDuke-Peacockレコードを訪れた。Dave Rolnick・Don Carterの運営するこの会社は、テキサス・ゴッドファザーとも呼ばれたイーストコーストの代表的なレコード会社であった。この頃のDuke-Peacockは、Junior Parker・Big Mama Thornton・Bobby 'Blue' Blandといったゴスペルや南部のR&Bで成功を収めていた。またボーカルグループにも注目し、The El Torrosを発掘して成功を収めたばかりでもあった。このために他のボーカルグループへの感心も高く、57年の4月下旬にThe Velvet-Tonesとの契約を成立さた。まもなくグループ名をThe Rob-Roysと改名させた。グループ最初のレコーディングではBuzzy Helfandのオリジナル作品Tell me whyが収録された。ちなみに同タイトルの歌が50代初期にポップスグループのThe Four Acesによってリリースされている。Tell me whyは、Duke-Peacockの子会社として設立されたばかりのBackbeatからシングルリリースすることとなった。B面にはAudreyが収録され8月下旬にリリースされ、ワシントンからヒットし、東海岸に沿うようにボストンにかけての大ヒットとなった。やがてDJとともにツアーも開始、ラジオ放送局からのインタビューも数多くこなした。続く2枚目のシングルとして選曲されたのはBob Thierrerの作品Dance girl danceで、58年4月にリリースされた。このシングルは、バルチモア・フィラデルフィア・ニューヨークを中心にヒットしたが、全米ヒットとはならなかった。不幸にも再び、レーベルは記録を国家のヒットに変えることができなかった、そして邪魔を感じることは今グループのメンバーの間で始まり始めた。この頃Duke-Peacockはグループに対し、Backbeatへの共同出資を求めていた。メンバーはこの出来事で会社やDon Robeyへの不信が高まっていった。そしてとうとうグループは、メジャーレーベルのCapitolレコードとの契約を成立させた。Dream girlは59年にCapitolからリリースされたが、時すでにR&R黄金時代は終わろうとしていた。結局2枚目のシングルまでに4年という時間を要することとなった。Capitolが次のシングル制作を行う前に(のちにHammerレーベルからリリースされている・Hammer-544)Don RobeyはThe Rob-Roysに対しあらたな契約を提供し、グループは再びBackbeatへ戻った。Backbeatでは6曲を新たにレコーディングしたが、80代後半までリリースされることはなかった。Lover Doll・Little Star・Do-Re-Mi・That's Love・Rainy Day Bellsである。これらの問題を抱えながら60年代初頭にはグループは活動を終えてしまった。グループ最大のヒットTell Me Whyは、オリジナルリリースから3年後に、Dion and The BelmontsがSabrinaからカバーヒットさせた。