The Counts

1953年・インディアナ州・インディアナポリス
Chester Brown(lead)・Bobby Penick(tenor)・Robert Wesley(tenor)・Bobby Young(aka Robert Young・baritone・~01.07.22)・James Lee(bass)

■Darling dear・I Need you always(Dot-1188)53
■Hot tamales・Baby don't you know ?(Dot-1199)54
■My dear, my darling・She want say yes(Dot-1210)54
■Waitin' around for you・Baby I want you(Dot-1226)54
■Let me go lover・Wailin' little mama(Dot-1235)54
■From this day on・Love and understanding(Dot-1243)55
■Sally walker・I need you tonight(Dot-1265)55
■Heartbreaker・To our love(Dot-1275)56
■Darling dear・I Need you always(Dot-244)60
■Darling dear・I Need you always(Dot-16105)60

The Counts
LP The Best of 
The Counts
DOT-1000

Dotでレコーディングした全曲を収録したLP盤です。70〜80年代に出回ったブートもののひとつ。

Crispus Attucks高校の生徒が集まって結成したThe Five Diamondsが母体となっている。メンバーは全員、教会の聖歌隊で歌っている。グループの写真が53年に撮影されており、それはその年のCrispus Attucks年鑑に掲載された。The DriftersやThe Four Freshmenが、グループのお気に入りで、学校で開催されたコンテストに出場(入賞できなかった)したり、地元のマックラーンウォーカー劇場で開催されたダンスパーティーで活動している。観客の一人Mel Herman(Mel Herman's設立・配給会社)がグループを観てマネジャーの名乗りをあげる。やがて彼はDot(Randy Wood設立)と契約することに成功する。この時、The Countsと正式に改名した。グループ最初のシングル、Darling dear・Need you always(ともにThe Counts作としてクレジットされている)で54年1月にデビューする。ちなみに最初の曲はリビングルームでレコーディングされたといわれている。またグループの残りの大部分はインディアナポリスのWilkins Studioでレコーディングされている。 また、Dotでのバッキングはすべてサックス奏者Jimmy Coleのバンドが演奏している。Darling dearが全国的に大ヒットし、3月にはR&Bチャート第6位を獲得した。特に、ロサンジェルス・ボストン・ミルウォーキー・シカゴ・アトランタ・セントルイス・ナッシュビル・クリーブランド・シンシナティ・ピッツバーグで好調な売れ行きを示した。このヒットで、グループはアポロ・ハワード・ロイヤル(すべて大きな劇場で、特にアポロは黒人音楽のメッカであり、ここに出演する事が黒人アーティストの目標の一つでもあり、ステイタスでもある)での公演(期間は1週間だったが)の契約を獲得している。54年5月に、Dotから次のシングルHot tamales(B面Baby don't you know・ともにMel Hermanが一部を書いたといわれる)同じ月にカリフォルニアで、Roy Hamilton・Buddy Johnsonらと2週間の公演を行っている。Hot tamalesは、商業的には失敗、7月にMy dear, my darlingをリリースした。My dear, my darlingはBobby Youngの作品だったが、クレジットにはJeffとあった。レコードのクレジットを見たグループは、この曲がMel Hermanの2歳の息子のJeffの作曲になっていることに気付いた。裏面はWill Scottとクレジットされたグループ最初の歌となった。Will Scottはグループのロードマネジャーで、ベース奏者でもあった。My dear, my darlingのヒットで、2つ目の大きな公演のRhythm And Blues Show(Gale Booking Agency主催)にブッキングされた。この公演には、Roy Hamilton・The Drifters・The Spaniels・Faye Adams・Lavern Baker・King Pleasure・The Erskine Hawkins Orchestra・The Rusty Bryant Orchestraらが出演しており、54年8月6日にクリーブランドから出発、54年9月12日のブルックリンで終了している。10月に、Waitin' around for you(Will Scott作)をリリース。裏面Baby I want youはBobby Youngの作品である。しかしチャートインしていない。グループがGene Ammons(サックスプレーヤー)オーケストラとミッドウエスト公演を行っていた12月、Let me go lover(Joan Weberのカバー)をリリースする。Chester BrownがThe Countsでリードを歌うのはこの曲が最後となっている。翌55年1月に、シカゴのTrianon Ballroomで、Roy Hamilton・The Spaniels・Jimmy Reed・Big Maybelle・Lavern Baker・The Flamingosらと競演している。グループには充分でない金が渡され、カリフォルニアのツアーが予定されたが、スケジュール調整に無理があったため急遽別のThe Countsというグループを仕立て上げてカリフォルニア公演に出演させた。4月にFrom this day on・Love and understanding(ともにWill Scott作)をリリース、6月、Wes Montgomery and his trioとともにインディアナポリスのTurf Barでライブを行っている。 続く8月にI need you tonight(Bobby Young作)・Sally walker(Will Scott作)をリリースする。翌56年1月(Darling dearのデビューから2年後)に、DotからTo our love(Chester Brown作)・Heartbreaker(Will Scott作)をリリースしたが、チャートに顔を出す事はなかった。2年間でわずかなヒットしか出せなくなっていたグループに対し、Dotは契約の更新を見送ることにする。ちなみにThe Countsという名前はMercury・Sun-Set・Noteのレーベルアーティストにもいたが、このグループではない、またインディアナポリスのローカルレーベルNaptownも同じ。この頃、グループは税金対策の不備などの理由でMel Hermanを解雇、また、プロモーションに対しての不満もあり、Dotでのレコーディングも断念した。53~54年にかけてメンバーは高校を卒業、フルタイムで仕事ができるようになっていたが、グループは地元に戻り活動を続ける。50~60代を通じグループは、地元ではまだまだ有名なミュージシャンだった。グループはメンバーチェンジもなく、85年と86年にIndiana Black Expoで開催されたオールディーズショウに出演している。94年に、Crispus Attucks高校の54年度卒業生(James Leeの学年)の40周年でも歌っている。