The Angels

1955年・ニューアーク・ニュージャージー州
Bernard Lynn(lead)・Nelson Martin(first tenor)・Bill Wright(baritone)・Melvin Maxwell(Bass)

■The glory of love・It's you I love best(Gee-1024)56.10

CD The Gee Story
Westside-223
1999年

彼らはシングル・リストにあるようにたった一枚のレコードを残してDoo Wopシーンから姿を消しています。当然アルバムといったものは存在しませんが、在籍したGeeレコードはニューヨークで最もメジャーな会社のひとつであり、オムニバス作品集というテーマで幾度となくリリースされています。その中に収録される機会は比較的多いので、ぜひ探して聞いてほしいと思います。ちなみに写真のCDを出しているWetsideレコードからはGeeだけでなく、George Goldnerの関わったEnd・Hull・RouletteなどレーベルごとのStory集もありコレクションの価値ありですよ。

The Angelsという名前のグループはいくつか存在している。1954年から1956年にかけて3つのグループがあり、1960年から1964年にかけてさらにもう一組が知られている。1956年にGeeレコード(George Goldner設立)に在籍したThe Angelsはニューアーク・ニュージャージー州出身の若者たちであった。リードシンガーのBernard Lynnを中心にNelson Martin・Bill Wright・Melvin Maxwellの4人で1955年に結成された。当初の彼らの主な活動拠点は、ホーキンス・ストリート中学校やホーキンス・ストリート・コミュニティー・センターであった。結成当時Nelson Martinは16才の高校生で、他のメンバーは全員年上ですでに学校から卒業していた。The Angelsという命名は彼等自身で、Nelson Martinは「グループは結構派手な音だったから、せめて名前はハードじゃないものにしようと考えた」と話している。 彼らのお気に入りはThe Harptones・The Flamingos・The Teenagers・The CleftonesといったGee在籍のアーティストやマイナーグループのThe Hi-Fives(Flair-XレコードからHong Kongのヒットを放った)であった。「あの頃は Crazy for you・Crying in the chapel・The windといった誰もが知ってるような歌を歌っていたんだ」とNelsonは語っている。1956年のある日、ホーキンス・ストリート・コミュニティー・センターの責任者であるHerbert A. Meyers部長は彼らの歌を聞き、グループの手助けをするようになる。 彼はグループに対し、センター内の一室を練習場所として与え、間もなく正式なマネージャーとなった。メンバーは彼がどのようにプロモートしていたかを知らなかったようだが、Herbert Meyersは彼らをGeeレコードでレコーディング・セッションに参加させることに成功した。これは実際のところ平均以上の仕事振りと言えた。この当時GeeレコードといえばThe CleftonesとFlankie Lymon and The Teenagersで大ヒットを送りだし、アメリカで最もホットなレーベル一つであったからだ。1956年10月初旬、The Angelsは2つの歌をレコーディングしている。最初は古いスタンダード曲のThe glory of love(1936年にBilly Hillが作曲しBenny Goodman Orchestraでナンバーワンヒットになっている)であった。この曲は、The Five keys・The Velvetones・The Platters・The Four Knights・The Hollywood Four Flamesといった多くのグループが取り上げている。 もう一つはグループのメンバーによるYou I love bestである(ラベルにはBernard Lynn and Jackie Meyersと記されており、おそらくHerbert Meyersの血縁関係のある人物に著作権を与えていると思われる)。Bernard Lynnは両面ともにJohnny Statonに良く似たビブラート唱法でリードを歌っている。The Angelsがスタジオに到着した時、The Teenagersがレコーディングを終えて帰ろうとしている時だったという。この二組は実際には出会うことはなかったが、The Teenagersがセッションで使用した同じスタジオでレコーディングを行った。この時のThe TennagersはI'm not a juvenile delinquent・Baby baby・Paper castles・Teenage loveを収録している。The Angelsのセッションはかなり短時間で行われた。メンバーはGeorge Goldnerがあらかじめ用意していた3つのバック・バンド(サックス担当のJimmy Wrightら3人のミュージシャンでGeeレコードからJimmy Wright and His Orcgestraでデビューいている)とともにリハーサルを行い、それぞれおよそ3つのテイクがレコーディングされた。1956年10月にGlory of loveはGeeレコードからリリースされ10月20日付けでレビューされている。この週はIn The Chapel(Ann Cole)・Chonnie On Chon(James Brown)・The Magic Kiss(The Keystoners)・Yvonne(The Parakeets)・Why Do You Make Me Cry(The Cubs)・Boogie Woogie Teenage(The Meadowlarks)・You're An Angel(The Youngsters)・This Is Goodbye(The Romancers)・Cops & Robbers(Boogaloo & His Gallant Crew)らが紹介されている。興味深い事に、同名のThe Angelsというグループ(おそらく西海岸出身と思われる)が同じ10月にハリウッドのIrmaレコードからシングルをリリースしている。シングルのヒットによりThe Angelsは、その週にAlan Freedショウへの出演が決定した。この公演は1956年11月23日からアポロ劇場で開催された。この公演ではGeeから、The Harptones・The Cleftones・The Pretenders・The Lanes・The Rhythm Jesters・The Joytonesらも参加している。George Goldner関連以外からもThe Moonglows・Eddie Cooley・The Dimples・Sonny Knight・Billy Masonらが登場した。この公演では実際に歌う事はなかったがSammy Davis Jr.も顔を出している。「セックスとドラッグとロックン・ロール」の60年代だったが、Nelsonは「アポロ劇場での1週間で私はおよそ10年も歳をとったよ。それまでの私は、かなり角のある人間だったのさ」と話す。The Angelsの公演はすべてはマンハッタン及びニュージャージーで行われた。Count's Place(Count Basieが経営したクラブ)やClub Baby Grand、それに地元のNewark Clubといた多くの接待パーティーに出演した。唯一ラスベガスで3夜の公演も行った。また彼らはNat King Coleのバック・グループというオーディションも受けたがそれ以上の事は何も起こらなかった。The Angelsは1958年に終わりを迎える。メンバーの一人Nelson Martinが結婚したためグループに多くの時間を裂く事ができなくなっていった。さらに悪い事が重なる。マネージャのHerbert Meyersが横領のために逮捕されてしまったのである。これらがグループを解散へと導いていった。のちのNelson Martinはアーノルド・シュワルツネガーとともに同じボディービル・コンテストで競ったり、重量挙げに転向している。時たまパーティーや結婚式で歌っていたが、ロングアイランドやニューヨークにあるNelsonの所有していたジムも取り上げられている。現在The Angelsのオリジナル・メンバー全員が死去しており再結成も夢となった。