The Bachelors / The Jets / The Links

1947年・ワシントン 
Waverly 'Buck' Mason(lead)・James 'Toy' Walton(tenor)・Walter Taylor(tenor)・Herbert Fisher(baritone)・Charles Booker(baritone・guiter)・John Bowie(Bass)

The Jets
■The lovers・Drag it home baby(Rainbow-201)53.01
The Bachelors
■Can't help lovin' you・Pretty baby(Aladdin-3210)53.12
■You've lied・I found love(Rotal Roost-620)56.07
■After・You know you know (I love you so)(Poplar-101)57.07
■Rock and roll Tango・Bottomless pit(Poplar-101)57.12
The Links
■She's the one・Baby(Teenage-1009)58.

The Bachelors
45s Bachelorsはいくつかの会社からシングルを出していることもあって、なかなかまとめて聞くことができません。それぞれのレコード会社からはレーベルごとのオムニバス形式のCDといったものが出ているので、現在はそれらをこまめに探すしかないようですね。

ワシントンやバルチモアは多くのグループ、例えばThe Swallows・The Clovers・The Cardinals・The Orioles・The Bachelorsを輩出し、これらのグループは46年7月~57年8月にかけてのおよそ10年にわたり活動を続けた。The Bachelorsは大きなヒットを持たなかったが、少なくともその10年間にわたり、様々なグループと共演できるだけの才能を持っていた。The Jetsの物語は47年までさかのぼる。ワシントンにあるGarner Paterson High Schoolの生徒だったWaverly Mason・James Walton・Walter Taylor・Herbert Fisher・John Bowieの5人がThe Cavaliersを結成する。およそ1週間後にThe Jetsと改名した。3年間パーティーなどで活動を続け、50年に本格的にプロを目指すようになった。この頃、自身のバンドを持っていたCharles Bookerが加入、彼らはおよそ3年間をClub Caverns(ワシントン)出演で過ごした。週に6ドルと食事、そして客からのチップが収入だったという。またこの頃にCaravanというTV番組にも数カ月出演した。さらに有名なナイトクラブCotton Clubにも出演を重ね、こでEarthaline Leeと出会い、彼女はグループのマネージャに就任する。52年、Earthaline LeeはRainbowレコードでのレコーディングセッションを成立させた。グループはニューヨークへ赴き、1週間のセッションでThe lovers・Drag it home babyを収録した。当初Drag it home babyのリードはWalter Taylorがとったが、出来が良くなかったために、Charles Bookerに代わったという。収録を終えたメンバーは、1週間後には大ヒットするだろうという期待を胸にワシントンへ戻った。しかし、これが53年1月にリリースされたが何も起らなかった。グループに混乱をもたらす数カ月前のこととなる。この数カ月の間にBuck Masonは徴兵され、Robert Russellが加入した。The loversは53年1月17日に、Cross my heart(Johnny Ace)・Keep it a secret(The Five Crowns)・No better for you(Lloyd 'Fat Man' Smith)・Freight train blues(Joe Liggins)とともにレビューされた。53年、The JetsがTurner's Arenaの舞台で公演したが、観客の一人にAmos Milburnがいた。彼はグループを気に入り、彼の在籍していたAladdinレコードでのレコーディングセッションを設けた。Eddie Mesner(Aladdinレコード設立)との書簡を通じて、The Jetsは同レーベルにすでにThe Jetsという同名グループがいることを知り、グループ名の変更を促された。ちなみにこちらのグループはのちのThe Hollywood Flamesであった。グループははいくつかの候補をEddie Mesnerに提示、彼が選択したのはThe Bachelorsであった。Aladdinレコードは大手の独立レーベルであり、Eddie Mesnerはニューヨークでのセッションで多忙な人物だったため、しばらくの間グループと彼は手紙を通じて時を過ごした。グループのレッスンを付ける人物にもまだ会っていなかった。ようやく53年7月8日にCan't help loving you・Pretty babyをレコーディングしたが、12月までリリースは待たされた。54年1月30日に、Bye bye baby(The Charms)・Love contest(Ruth Brown)・I want to fool around with you(Charles Brown)らとともにレビューに取り上げられた。しかしこれもまた成功しなかった。このあとThe BachelorsはAtlanticとApolloレコードのオーディションを受けたが認められず、続いてRoyal Roostレコードのオーディションを受けた。オーディションからおよそ3週後(56年の前半)にようやくグループはレコーディングセッションの電話を受けている。このセッションでI found love・Don't be cruel(ともにOtis Blackwell作)をリハーサルし、メンバーはI found loveが自分達のスタイルにぴったりの曲だと感じ、この曲でヒットを狙うことになる。Don't be cruelは結局収録されなかったが、のちにElvis Presleyが歌いナンバーワンのヒットにした曲である。The BachelorsのI found loveのB面はYou've liedが収められた。Royal Roostレコードでの2回目のセッションの直前に、Teddy Reig・Jack Hookの両人は仲たがいし、別れていた。このセッションの後、Walter Taylorがグループを去った。Walter TaylorはI found loveでリードとったが、Otis BlackwellはCharles Bookerが歌ったバージョンの方が好きだったという。Walter Taylorと交代にDon Covayが加入、さらにHerbert Fisherもグループを去り、James Taylorが加入した。Charles Bookerもまた彼自身のグループを結成するためにグループを抜けた。57年6月、Lou Krefetz(The Cloversのマネージャー)がPoplarレコードを設立、The Bachelorsをレコーディングに招いた。The BachelorsはRobert Russell・James Taylor・James Walton・John Bowieというメンバーとなった。Poplarレコードとして最初のシングルAfter(B面はYou know, you know (I love you))が7月にリリースされた。バッキングで参加したBilly Mitchell(The Cloversからソロとして独立した)の Rock and roll tango・Bottomless pitも57年12月にリリースされている。8月19日にAfterは、He's gone(The Chantels)・Wagon wheels(The Blue Notes)・Crazy billboard song(The Miller Sisters)・Calypso beat(Don Juans)とともにレビューされた。しかしグループの4枚目のシングルが出る前にグループは解散を決定し、58年の早くに解散してしまう。解散後、James Waltonは、Wilbert Hess Dobson(バリトン)・Joe Woodley(バリトン)・Johnny Terry(ベース)とともに、Herb Fisherと再会し、The Linksを結成する。58年にTeenageレコードからShe's the oneをリリースし、およそ1年間活動を続けたが解散。James Walton・Johnny Terryの二人は Roosevelt 'Tippie' Hubbard(テナー)・Alonzo Simmons(バリトン)を誘いThe Knickerbockersを結成しおよそ4年間続いたが、レコーディングは一度も行っていない。Johnny Terryはこののちグループを去り、The Driftersにベースシンガーとして加入した。James Walton・Roosevelt Hubbardはそれまでにも臨時のメンバーとしてHarold LucasのThe Cloversに時折参加していたが、この頃に正式メンバーとして加入、かつてのThe Bachelors でリードをとったRobert Russellもベースで加入している。59年、Harvey FuquaがThe Moonglowsを去り、The Marqueesというワシントンのグループに参加し、The Moonglowsとしてデビューした。John Bowieはそれまで音楽活動を行っていなかったが、Harvey Fuquaの抜けたThe Moonglowsに加入した。また後年、Harvey Fuquaが自身のレコード会社を始めた際には、彼に代わってThe Moonglowsに加入している。60年代初め、John Bowie・Robert RussellはEugene Churchとともにツアーを始め、およそ9カ月間ともに過ごしている。アポロ劇場にも出演している。Eugene Churchは、代表作にPretty girls everywhereがあり、The Cliquesに在籍し、Jesse BelvinとThe girl in my dreamsをヒットさせている。このツアーの時にRobert RussellはThe Cloversを抜け、John BowieはThe Cloversから一時脱退という形をとった。Robert Russellは69年に死去、John BowieはThe Cloversに復帰した。75年10月、The CloversはRoosevelt Hubbard・James Walton・Harold Lucas・John BowieというメンバーでAladdinレコードから ディスコシングルBump jive !をリリースした。これはJohnny OtisのWillie and the hand jiveのリメイクであった。このリリースの直後にToy Waltonが死去し、彼の死去にともないAndrew Lawyerが加入したが、すぐにJohnny Masonと交代した。また80年代にはRoosevelt Hubbardも死去し、彼の代わりにSteve Charlesが加入した。Harold Lucasが在籍していたThe Cloversの最後レコードはRipete(Elliott・南カリフォルニア)からリリースされている。この頃のメンバーはSteve Charles・Johnny Mason・Harold Lucas・John Bowieであった。88年5月13日、Drive it home(The CloversがAtlanticレコードですでにレコーディングしていた最後の曲)・Play it no more(Ben E. Kingのヒット作)をレコーディングし、同年にリリースされた。89年7月、彼らはさらにかつてのヒットナンバー、Blue velvet・One mint julep・Lovey dovey・Hey miss Fannieをレコーディングし、89年にRipeteレコードからリリースされたEPにThe FalconsのYou're so fineとともに収録された。90年までに、Steve Charlesが去りChuck Battleと交代、同年には、Hey miss Fannieが、新録Goin home to Jesusとともに、リリースされる。Harold Lucas・John Bowieはマイヤトル海岸で病に倒れ、スタジオではJohnny Mason・Chuck BattleがMarion Carter(Ripeteレコード設立)とともにレコーディングを行った。これは89年にRipeteレコードからThe Clovers:Live At CT'sと題され、ヒット曲を熱唱する彼等のライブ収めたもので、カセットテープのみでリリースされた。John Bowieこの病から両足を切断するという結果になってしい、2000年秋には、外科手術を行ったが、その後、致命的な心臓発作を経験した。