The Chantels

1956年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・ブロンクス
Arlene Smith(lead・41.10.05~)・Reene Minus(43.~)・Sonia Goring(tenor・40.~)・Lois Harris(tenor・40.~)・Jackie Landry(alto・40.~97.)

The Chantels
■He's gone・The Plea(End-1001)57.9
■Maybe・Come my little baby(End-1005)57.12
■Ever night I pray・Whoever you are(End-1015)58
■I love you so・How could you call it off(End-1020)58
■Prayee・Sure of love(End-1026)58
■Congraturations・If you try(End-1030)58
■If you try・Ific(End-1030)58
■I can't take it・Never let go(End-1037)58
■I Love You So(EP盤・End-201)58
■C'est Si Bon(EP盤・End-202)58
■I'm confessin'・Goodbye to love(End-1048)59
■Whoever you are・How could you call it off(End-1069)
■Believe me my angel・I(End-1103)61
■There's our song again・I'm the girl(End-1105)
■To live my life again・Mon cherie au revoir(End-1120)
■Look in my eyes・Glad to be back(Carlton-555)
■Well I told you・Still(Carlton-564)61
■Here it comes again・Summertime(Carlton-569)61
■Eternally・Swamp water(Ludix-101)63
■Some tears fall dry・That's why I'm happy(Ludix-106)63
■Soul of a soldier・You are wel come to my heart(Varve-10387)65
■There's no forgetting you・Take me as I am(20th Century Fox-123)65
■You're welcome to my heart・Soul of a soldier(Verve-10387)66
■Indian giver・It's just me(Verve-10435)66
■Maybe・There's no forgetting you(Roul-7064)69
■I'm gonna win him back・(RCA-7A 0347)
■Love makes all the difference in the world・()70
Richard Barrett and The Chantels
■Come softly to me・Walking through dreamland(Gone-5056)59
■Summer's love・All is forgiven(Gone-5060)59
LP
■We Are The Chantels(グループ写真・End-301)58
■We Are The Chantels(ジュークボックス・End-301)59
■There's Our Song Again(End-312)61
■On Tour(Carlton-144)
■The Chantels on Tour (Look in My Eyes)(Carlton-144)62
■The Chantels Sing Their Favorites(Forum-9104)64
■The Chantels(EMUS-12034)?
■Arlene Smith & The Chantels (3-disc box set)(3枚組ボックス・Murray Hill-385)87
■The Chantels (jukebox cover)(Collectables-5423)91

The Chantels
LP We are the Chantels
End-301
1958年

LP We are the Chantels
End-301
1959年

LP There's our song
again
End-312
1961年

LP The Chantels
on tour
Carlton-144
1962年

LP Sing their favorites
EMUS-12034
1970年代

女性グループとしてはアルバム数が多いですよね。最多はシレルズですがみなさんお持ちでしょうか?
                 

数少ない女性グループの中でもファンの多いグループの一つである。ブロンクスにあるSt. Anthony of Padua schoolの生徒だったArlene Smith・Lois Harris・Sonia Goring・Jackie Landry・Rene Minusが結成した。このグループは57年の時点で聖歌隊においてほぼ7年をともに活動していた。メンバーは13~16歳であった。当時はまだ女性グループが街角に立って歌うということはなく練習はおもに学校のロッカー室で行っていた。バスケットボールチームのメンバーとしても活躍していたArlene Smithは、幼い頃からクラッシックのシンガーとしてレッスンを受けおり、12歳の時に彼女はカーネギーホールにソロで出場するなどしている。グループはThe Sequins・The Crowsらとコミュニティセンターや聖オーガスチン教会などでライブを行いはじめた。その同じ年に学校のチームはSt. Francis de Chantelleで試合を行ったことをきっかけにThe Chantellesとグループ名を決め、まもなくThe Chantelsと綴りを変えた。このグループの魅力はArlene Smithのボーカルと、彼女のつくり出す作品である。50年代の後半にはまだ少女グループは少なく、自分達で曲を書くといったアーティストはさらに少なかった。Arlene Smithが最初に書いた曲はピアノの練習中にできたというHe's goneである。まだアマチュアだったThe Chantelsがブロードウェイビルの2階で練習していた時、Alan Freedのショウを終えたThe Valentinesのメンバー達が窓の下を通りかかった。彼らにサインをもらうために降りて行ったメンバーは自分達もグループを作っていることを伝えた。それを聞いたRichard Barrett(The Valentinesのメンバー・作曲家・プロデューサー・アレンジャー)はブロードウェイ劇場の入口まで彼女達を連れて行き、歌ってみせるように言った。そこで彼女たちの歌う賛美歌を聞いた彼は、さっそくGeorge Goldnerに連絡し、グループのオーディションの約束を取り付けた。オーディションのためにRichard BarrettとグループはGeeのある42番街で待ち合わせしたが、彼はあらわれなかった。Richard Barrettからの連絡を待つメンバーだったが、瞬く間に数週間が過ぎ去ってしまう。不安になったメンバーのJackie Landryは、友人でThe Teen Chordsのメンバーにこのことを話し、Richard Barrettの住所を教えてもらい彼に会いに行き、ようやく彼はそのことを思い出した。Richard Barrettはメンバー達の母親に会いレコーディングの話をまとめ、ようやくThe ChantelsはThe plea・He's gone(ともにArlene Smith作)のリハーサルを開始した。The Chantelsが契約した57年の夏というのは、George Goldnerが所有していたRoulette・Rama・Geeを売却し、Endを設立したばかりという時期であった。The Chantelsの最初のシングルはGee(Little Anthony and The Imperials・Flankie Lymon and The Teenagers・The Bobbettesのホームレーベルともなる)からの2枚目のリリースとなった。He's gogneは57年8月にリリースされ、9月30日には、全米チャートトップ100の第71位まで上昇したが、The BobbettesのデビューシングルMr.Leeがトップ100にチャートインしたのちのリリースで、チャートにいたのはわすかに7数週間だった。面白い事に、50代の売れっ子となるこの2つのグループは、わずか数マイル離れたところに住んでいた。The Chantelsの最初のライブパフォーマンスは、アポロ劇場で開催されたJockoショー(Jocko Henderson・有名なニューヨークのDJ)への出演で、Richard Barrettがなかば強引にJocko Hendersonに出演を承諾させたという。ここではHe's goneを歌い観客もおおいに湧いた。57年10月16日に次のレコーディングセッションがマンハッタンで行われた。このスタジオは通常のスタジオと違い、古い教会を改造したもので、そこには面白い音響効果が得られた。このセッションにはRichard Barrettもピアノで参加しており、代表曲となるMaybeではベース・ドラムを担当した。Maybeは12月にリリースされ58年1月20日にポップスチャートに登場し、1週間後にはR&Bチャートに登場した。この冬にはポップチャート第15位・R&Bチャート第2位に達している。ちなみにこのMaybeはオリジナルには作曲家としてCasey and Goldner(再発盤にはArlene Smith and Goldnerと修正された)とクレジットされている。また87年にMurray HillからThe Chantelsの編集物のLPではMaybeの作者はR. Barrettと記載されている。57年の夏頃にはRichard Barrettは、自身のThe Valentinesがヒットを出せなくなったことで、グループをほとんどあきらめていた時期で、その事情がいっそうThe Chantelsに熱意をそそぐこととなる。58年1月22日には3回目のレコーディングセッションが行われ、収録した全曲がシングル・EP盤ですべてリリースされることとなる。Endからの3枚目のシングルEvery night (I pray) (George Goldner作とクレジット)は、58年3月31日にポップスチャート第39位・R&Bチャート第16位に達した。そしてこの春EndからEP盤がリリースされた。The ChantelsはEPをリリースした最初の女性R&Bグループとなった。これにはSure of love・Prayee・I love you so・How could you call it offが収録されている。I love you so・How could you call it offは4枚目のシングルとして4月にリリースされている。またI love you soはVlola WatkinsとWilliam Davis(The Crowsのメンバー)の作品で、The ChantelsとしてArlene Smith以外の作品を歌った最初の曲でもあった。この4枚目のシングルもポップチャート第42位・R&Bチャート第14位となり、ヒットに継ぐヒットを放ったThe Chantelsだったが、結局これが最後のヒット作となる。I love you soに次いでEndは2枚目のEPと4枚のシングルをリリースしたものの、チャートを動かす事はなかった。この時期はヒットメーカーのThe CloversやThe Coasters がチャートを賑わしている。さらにThe Chantelsは3枚のシングルをリリースしたが、同じく泣かず飛ばずであった。EndはやがてThe Chantelsに対する興味を失い、プロモーションもおざなりになり、Little Anthony and The Imperialsが大成功をおさめる58年~59年にかけては、グループに対してほとんど何もしなかった。The Chantelsは女性のボーカルグループとして最初にアルバムがリリースされたアーティストの1つであったが、59年4月にEndはグループとの契約を終了させた。まもなくLois Harrisは看護を学ぶため大学に行き、Arlene Smithはソロとして独立し、Big Top・End・Spectoriousからリリースを行った。ちなみにTo live my life again・Mon cherie au revoir(End-1120)ではArlene Smithは参加していない。残されたメンバーはRichard Barrettをリードシンガーに迎え、59年5月にThe ChantelsとしてGoneからCome softly to meをリリースしたもののチャートに失敗した。59年7月、Summer's love(収録は58年後半)がRichard Barrett and The Chantelsとしてリリースされたが、ポップチャート第93位・R&Bチャート第29位という結果に終わった。以降The Chantelsの名前は、数年の間にかけて3つのレーベルからリリースされている。60年にはRichard BarrettはCarltonを設立し、The ChantelsをThe Veneersとして I をリリースした。The VeneersのリードボーカルはAnnette Smithとなっている。一方のEndは、60年4月に Whoever you areをリリースしている。ちなみに61年にEndからリリースされたBelieve me my angel(End-1103)はThe Veneers(Princeton-102・59年)の再発で、The Chantelsのオリジナル・レコーディングではないものの、シングルの両面ともに2枚目のアルバムChantels(End-312)に収録されている。61年夏、CarltonはThe Chantels名義で最初のシングルLook in my eyesをリリースし、ポップチャート第14位・R&Bチャート第14位のヒットを出す事に成功した。このヒットを利用してEndはThe ChantelsのアルバムWith The Chantelsをリリースした。62年にはCarltonもThe Chantels on Tourというアルバムをリリースしており、このアルバムにはCarltonの2枚目のシングルWell I told youも含まれている。この曲はRay Charlesの大ヒット曲Hit the road jackのアンサーソングで、61年12月にポップチャート第29位のヒットとなったが、これが新生The Chantelsの最後のヒット作となる。CarltonからはSummertimeのリリースを最後にLudixへ移籍しEternallyをリリースする。これはRichard Barrettがプロデュースしている。この頃のリードシンガーはSandra Dawnになっている。これが6年間に渡り3つのレーベルからリリースした作品のなかで、最後のチャートインとなる。64年にThe Chantels Sing Their Favorites(Forum-9104)がリリースされたが、こちらはThere's Our Song Again(End-312・61年)の再発盤で、2曲カットされている。その後もいくつかのレーベル移籍とメンバーチェンジをくり返したが、70年に解散する。73年にArlene Smith はBarbara Murray・Pauline Mooreらとともに自身のThe Chantelsを結成している。80代の初め頃にはSonia Goring・Lois Harris・Rene Minus・Jackie Landryはすべて結婚し、ニューヨークに住んでいる。Arlene Smithはブロンクスで教師になったが、歌手としても活動を続けている。