The Four Buddies / The Buddies / The Dappers

1949年・メリーランド州・バルチモア
Leon 'Larry' Harrison(tenor)・Gregory Carroll(aka John Wayne Carroll・tenor)
Vernon 'Bert' Palmer(baritone)・William 'Tommy' Carter(bass)・Alvin Bowen(guiter・arranger)

The Four Buddies
■Just can't get free(Little Esther & The Metronomes)・Cupid's boogie(Little Esther)(Savoy-750)50.05
■I will wait・Just to see you smile again(Savoy-769)50.12
■Sweet slumber・Don't leave me now(Savoy-779)50.02
■My summer's gone・Why at a time like this(Savoy-789)51.06
■Heart and soul・Sin(Savoy-817)51.09
■Simply say goodbye・Window eyes(Savoy-823)51.12
■You're part of me・Story blues(Savoy-845)52.05
■What's the matter with me・Sweet tooth for my baby(Savoy-866)52.10
■My mother's eyes・Ooh ow(Savoy-888)53.03
■I'd climb the highest mountain(with Dolly Cooper)・I wanna Know(Dolly Cooper)(Savoy-891)53.04
Goldie Boots & The Falcons(with Bert Palmer)(Recorded 51.05.20)
■How blind can you be・I can't tell you now(Regent-1041)51.11(Savoy Subsidiary)
■You're the beating of my heart・It's you I miss(Savoy-893)53.04
The Buddies
■I stole your heart・I waited(Glory-230)55.03
Larry Harrison
■I will wait・Move, baby, move(Savoy-1171)55.08
The Dappers(with Gregory Carroll and Larry Harrison)
■Unwanted love・That's all, that's all, that's all(Groove-0156)56.05
■Bop bop bu・How I need you baby(Rainbow-373)56.11

The Four Buddies
CD The Four Buddies
Dripper-209
1998年

イタリアの会社から出た27曲入りのコンプリートもののCDです。こういった企画物は英国が非常に得意ですが、ことDoo Wopに関してはこのイタリアにも非常にマニアックなものをリリースする会社がわずかですがあるんですね。

Savoyに所属していたグループ。のちにThe Dreams・The Wanderers・The Jive Bombers・The Five Wings・The Five Pennies・The Carnations・The Roamers・The Carols・Luther Bond and His Emeralds等が所属することとなるこのレーベルだが、45年にはThe Three Barons(The Three Riffsとしても知られる)・The Toppers(The Five Red Capsとしても知られる)、49年12月にはThe Robinsとそれぞれ契約をかわしている。それ以前にはThe Ravens・The Four Barons(のちのThe Larks)・The Falconsも在籍していたが、まだ国際的ヒットもなく、The Four Buddiesが契約する前にここを去っている。50年12月に彼等がデビューするまでの1年のあいだはThe Robins(この頃にはすでにレコーディングをしていない)がSavoyに在籍していた唯一のグループとなっていた。The Four Buddiesは51年から53年までSavoyからリリースを行ない、ナショナルR&Bヒット・トップテンにランクイン(I will wait・R&Bチャート第3位)したSavoyで唯一のグループとなった。jacketグループ在籍中に契約していたのはThe Marshall BrothersとThe Gaylordsだけである。ボルチモアの南西部に住むGregory Carroll(本名John Wayne Carroll)とLeon Harrisonは幼い頃からの知り合いであった。当時Charlie Carroll(Gregory Carrollの兄)はThe Four Budsというグループに在籍しEarl 'Fatha' Hinesオーケストラとともにいくつかのレコードを発表していた。また、The Vibra-Naires・The Oriolesのメンバーは同じ町の友人たちであった。そんな環境にいた二人はやがて歌う事に楽しみを見い出していく。彼らはボルチモアのサウスサイドでWilliam Duffy・Maurice 'Tank' Hicksと出会い49年にThe Metronomesを結成した。全員が16~18歳だった。グループはボルチモアを中心にライブ活動を行い、毎週土曜日に15分のラジオ番組を持つようになった。50年5月に、 ボルチモアのロイヤル劇場にSavoyの売れっ子アーティストによるショウに前座として出演、Johnny Otis Show・Little Esther(2月にリリースしたDouble crossing bluesが大ヒット中だった)・Mel Walkerらと同じ舞台に立った。Little Estherの次のレコードのバッキンググループを探していたHerman LubinskyとThe Metronomesはこのような状況のもとで出会い、50年5月3日に、Little EstherのJust can't get free(Savoy-750・B面はCupid's boogie)のバッキングとしてレコーディングに参加した。なおこのシングルにはThe Beltonesとクレジットされた。これはJohnny Otisが使ったグループ名の1つで、The Bluenotesという名前も使用している。Gregory Carrollによると同じレコーディングではMel Walkerのバッキングも行っている。またこのセッションではMy heart tells me(マスター番号:SBA-674)もレコーディングしているが彼等自身のレコードではない。ちなみにマスター番号のSBAはSavoy Baltimoreの略で、675~687の存在は不明(マスターは消失しているといわれている)だが、The Metronomesの可能性も否定できない。このセッションでレコーディングされたものは50年5月にリリースされた。グループとの契約は(理由は不明だが)このセッションの翌日の5月4日に行われている。しかし数カ月たってもグループのレコーディングは行われず、業を煮やした彼らはSavoyに連絡、やがてセッションのためにニューヨークを訪れることになったが、ボルチモアから離れて活動していくことにあまり自信がなかったWilliam Duffy・Maurice Hicksはグループを去り、Vernon Palmer・William Carterが加入ののち4人はニューヨークへ向かった。50年10月9日にSavoyと契約を交わし、10月12日にJust to see you smile again・I will wait・Why at a time like this・Don't leave me nowのレコーディングを行った。彼等はThe Oriolesのようにバラードを得意としており、初期のシングルは(当時のグループもののレコードはアップテンポがA面だったにもかかわらず)すべてバラードであった。グループ最初のセッションでThe Metronomesという名前は破棄された。Savoyの契約では「相互の同意のもと、最も宣伝効果のある名前に変更する」となっていたからである。最初にThe Four Buds(Gregory Carrollの兄がいたグループの名前)を提案し、I will waitのシングルではこの名前がクレジットされたが、自分達のサウンドと比べてあまりにも古臭い名前であるとThe Four Buddeisと改名(Budsはつぼみ、Buddiesは相棒)する。50年2月にI will wait をリリースし、The DominoesのDo something for meとチャートを競った。The Dominoesは51年2月に第6位にチャートイン、The Four Buddiesは同年4月に第3位にチャートインという快挙をデビューシングルで果たした。I apologize(Billy Eckstine)・Let's rock awhile(Amos Milburn)・Long distance call(Muddy Waters)などどともに大きなヒットとなった。この大ヒットにもかかわらずビルボード誌では68点と評価(グループの次のシングルより低い)された。グループはFritz Pollard(グループの非公式なマネージャ・ブラウン大学のフットボールの花形選手だった)のSun Tan Studios(マンハッタンにあった)でリハーサルを行ない、51年1月13日に再びSavoyのスタジオに戻った。このセッションではSweet slumber・My summer's gone・Moonlight in your eyes・It could have been meの4曲をレコーディング、あとの2曲は未発表となったが、ともに美しいバラードだった。51年2月にSweet slumberをリリースした。ローカルヒットではあったが前作までにはいたらなかった。5月にはツアーを開始するがこのときに5番目のメンバーとしてAlvin Bowenがギタリスト・アレンジャーとして正式に加入している(この時グループのフォトセッションはすでに終わっていたため彼は写真には現われていない)。彼は51年5月5日にSavoyに加わっていたが、実際の契約は50年10月9日まで日付をさかのぼって契約した。51年5月23日に3回目のセッションで、Close to you・Window eyes・I'm yours・I love you, yes I doをレコーディング。このセッションからはWindow eyesだけがリリースされている。6月に3枚目としてMy summer's goneをリリース再びThe DominoesのSixty minute manとチャートを争い6月から30週ものあいだチャートにとどまった。この6月というのはThe CloversのDon't you know I love you(Atlanticでのデビューシングル)がThe Dominoesをチャートから追いやった月でもあった。この頃のチャート状況は、8月にThe Five Keysの2枚目のシングルGlory of loveがリリースされトップを獲得。The SwallowsのデビューシングルWill you be mineがそれに続いている。10月はThe CardinalsのデビューシングルShouldn't I knowやThe CloversのFool, fool, foolがチャートを上昇し、The LarksもEyesight to the blind・Little side carがヒット中であった。グループのデビューした年はこのように多くの競合相手がいた。この年にトップテンを飾ったSavoyのアーティストはMel Walker with the Johnny Otis Ork(Rockin' blues・Gee baby・All night long)のみであり、The Four BuddiesはまさにSavoyの期待の星であった。51年7月のビルボード誌は「The Four BuddiesのVernon Palmerは、Savoyの新しいグループThe Falconsのリードシンガーとして加入するだろう」と発表した。事実、彼はグループを抜け自分のグループを結成しようと計画していたが、この計画はうまくいかなかった。The Falconsは8月20日にセッションを行っている。Savoyの資料によると他のメンバーは、Goldie Boots(女性・リード)・Earl Boots(Goldie Bootsの兄)・George Alsupとなっている。彼らはレコーディングに満足せずに、結局Vernon PalmerはThe Four Buddiesに残ることにしている。3日後の8月23日にSweet tooth for my baby・Heart and soul・Sin・Simply say goodbyeのレコーディングをおこなっている。Sweet tooth for my babyはTommy CarterのベースをフューチャーしたThe Ravens的なアレンジでグループ最初のアップテンポナンバーとなった。またHeart and soulはLeon Harrisonがリードを歌わなかった唯一の曲である。51年9月に、Heart and soulをリリース、続く12月にSimply say goodbyeをリリースするがこのあとしばらくはレコーディングから遠ざかっている。51年11月に、Herman Lubinskyはグループに一通の手紙を書いている。彼は手紙の中で「チャートのいたる所にThe DominoesやThe Cloversの名前を見ることができるが、君たちはどうなっているんだ?。早くヒットを出して彼らと戦ってくれたまえ」と励ました。52年のはじめ、ビルボードのトップテンにはOne mint julep(The Clovers)・Baby please don't go(The Orioles)・Where are you(The Mello-Moods)・Wheel of fortune(The Cardinals)・That's what you're doing to me・Have mercy baby(The Dominoes)などが名前を連ねていた。52年4月10日に再びスタジオに戻ったグループは、Story blues・Nothin' shakin' baby・You're part of me・What's the matter with meをレコーディング(マスター番号は4579-4582とつけられたが、本来は4179-4182であるべき)し、52年5月に、You're part of meがリリースされ、Ting-a-ling(The Clovers)・Mary Jo(The Four Blazers)・Beside you(The Swallows)などとチャートを争った。52年10月のWhat's the matter with meが最後のリリースとなった。52年4月のセッション直前に、William Carterがグループを去り、The MetronomesのオリジナルメンバーだったMaurice Hicksが加入している。5月にはBert Palmerもグループを去った。まもなくJoseph Walkerが加入したが、彼があまりにもルーズなためAlvin Bowen(バリトン・ギタリスト)と交代させられている。Savoyとの契約によるセッションが残っていたグループはおよそ1年後の53年3月3日にYou left me blue・Ooh-ow・Got everything I need but you・My mother's eyesをレコーディング、Savoyにおける最後の仕事は、Dolly Cooper(女性シンガー)のI'd climb the highest mountainのバッキングのセッションとなった。My mother's eyesは53年3月に、I'd climb the highest mountainは53年4月にリリースされている。レコードセールス・著作権料などからわずかな金を受け取り、グループはJames Evans(ブッキングエージェント)から仕事を得ていたがたいした仕事にはならなかった。53年5月、Gregory CarrollはThe Oriolesに加入しCrying in the chapelという彼らの大ヒットとなる名曲をリリースした。彼は2年在籍したのち、The Dappersを結成する。その後彼は、数年スタジオでバッキング(グループでいた頃より財政的に報われたと語っている)などをしながら60年代初頭にThe Halos(ゴスペル系)を結成。その後プロダクションで働き、70年代にはThe Ink Spots(Jimmie Nabbie期)で歌っていたが、やがてプロダクションの仕事に戻っている。The Four Buddiesの解散後、Leon HarrisonはRoger Wainwright(テナー)・Luther Dixon(バリトン)・Danny Ferguson(ベース)と新しいグループThe Baronsを結成し、Deccaからデビューした。The Baronsは、54年7月1日のセッションでA year and a day・My baby's gone・Forget about me・Exactly like youをレコーディングし、A year and a day(B面はMy baby's gone)が8月に、Forget about me(B面はExactly like you)が10月にリリースされた。その後、Danny Fergusonがグループを抜けMaurice Hicksが加入、55年3月にGlory(Phil Rose設立)からI stole your heart(B面はI waited)をThe Buddiesとしてリリースした。この曲のレコーディングからリリースまでの期間中にMaurice Hicksが抜けJohnny Reed(元The Orioles)が加入している。55年8月には、Leon HarrisonはソロとしてMove, baby, move・I will wait(リメイク)をレコーディングするためにSavoyに戻っている。ちなみにこのマスターは4000シリーズの最後のものとなっている。こののち彼は、Gregory Carroll・Leonard Puzey(The Ravensのオリジナルメンバー・The Dappersに加入)とともにバッキングの仕事をしている。