Lee Andrews and The Hearts

1952年・ニューヨーク州・ニューヨーク
Lee Andrews(aka Arthur Lee Andrew Thompson・lead・38.~)・Rory Calhoun(aka Royalston Calhoun・tenor・~79)・Thomas 'Butch' Curry(tenor)・Jimmy McCallister(baritone)・John Young(bass・22.03.16~)

■Maybe tou'll be there・Baby come back(Rainbow-252)54
■Maybe tou'll be there・Baby come back(Riviera-965)54
■White criffs of Dover・Much too much(Rainbow-256)54
■The fairest・Bells of st. Mary's(Rainbow -259)54
■Bluebird of happiness・Show me the merengue(Gotham-7318)55
■Lonely room・Leona(Gotham-7320)56
■Just suppose・It's me(Gotham-7321)56
■Long lonely nights・The clock(Mainline-102)57
■Long lonely nights・The clock(Chess-1665)57
■Teardrops・The girl around the corner(Argo-1000)57
■Teardrops・Girl around the corner(Chess-1675)57
■Try the impossible・Nobody's home(UA-123)58
■Try the impossible・Nobody's home(Casino-452)58
■Why do I ?・Glad to be here(UA-136)58
■Maybe you'll be there・All I ask is love(UA-151)58
■Just suppose・Boom(UA-162)58
LP
■Lee Andrews Sings(Post-5000)
■Lee Andrews and The Hearts Greatest Hits(LostNite-101)

The HえあrtsLee Andrews & The Hearts
LP Lee Andrews Sing
Lostnite-113
1965年

同じ内容のものがPost-5000盤として同年にリリースされていてそちらがオリジナルでしょうか?

45s Lee Andrews & 
The Hearts For
Collectors Only
Collectable
1995年

CD3枚組61曲を収録したボックスセット。これ以上のものはもうないと思われますが、もうお腹いっぱい?

リードシンガーLee Andrewsは、ムーングロウズ・オリオールズ・ドリフターズ・5ロイヤルズ・ファイヴキーズ・ミッドナイターズ・レイヴンスといったグループに勝るとも劣らない声の持ち主で、ビングクロスビー・フランキーレイン・フランクシナトラ・ナットキングコールらの影響を受て育った。Lee Andrewsはニューヨークで育った。彼の父Beechie ThompsonはThe Dixie Hummingbirdsに在籍していた。Lee Andrewsが2歳の時、一家はフィラデルフィアに移る。52年、バートラム高校生だった彼は4人の友人たちとThe Dreams(後にThe Dreamersと改名)を結成し、これが母体となる。メンバーは、Royalston Calhoun・Thomas Curry・James McCalister・John Young。彼等はサウスフィリー・ウッドラン近辺に住み、近所同士でもあった。52~55年にかけて、彼等は学校でリハーサルをし、時にはThomas Curryの叔母からゴスペルの指導を受け、次第にR&Bとゴスペルを混合したようなスタイルを取り入れ始めた。54年、彼らは地元のWHATラジオ放送局を訪れ、Kae Williams(DJ)と出会い、彼と親しくなっていった。やがてKae Williamsは彼等のマネージメントを申し出る。その年の春、Kae WilliamsはReco Artsスタジオで、彼等のデモ盤を作成しグループとともにニューヨークのRainbow(Eddie Heller・Bobby Heller設立)へ持ち込んだ。たまたまその場に居合わせた社長の妻が、卓上にあったプラスチック製のハートを見て彼等の名前をThe Heartsにすることとなったという。Lee Andrewsがグループのリーダーだったため、最初はArthur Thompson and the Heartsだったが、社長は最終的に彼の2つのミドルネームからLee Andrews & The Heartsと決めた。The HeartsのデビューシングルはThe OriolesのカバーMaybe you'll be thereで、ピアノ伴奏だけで歌われている。54年5月の中旬にリリースされ、フィラデルフィアで好評を得たものの、オリジナルであるThe Oriolesバージョンと競争するほどではなくやがてラジオからも聞かれなくなる。続いてリリースしたThe white cliffs of Doverはあまり評判にはならなかった。54年10月にリリースしたThe bells of st. Mary'sがThe Driftersによってカバーされたが、彼等のバージョンとチャートを競った。Kae Williamsは販売能力的な見地から彼等をRainbowから移籍させることを決意する。翌55年にJames McCalisterが海軍に召集され、Ted Weemsが加入している。Kae Williamsは、彼らにGotham(Ivan Ballen設立)のオーディションを受けさせた。しかし全員が未成年者であることを理由に、契約までは到らなかった。一説ではIvan Ballenの主な興味がゴスペルに向いていた為ともいわれている。しかしやがて彼等を気に入り、翌56年1月3日にGothamと契約することとなった。間もなく彼らはFederal Streetにあるスタジオでレコーディングを開始した。彼らの最初のシングルBluebird of happiness(Davies・Heyman共作)が56年5月にリリースされたが、ヒットにならなかった。次のシングル、Lee Andrewsの書いたLonely room(In my lonely roomというThe Larksが52年にApolloからリリースしたシングルのコピーといわれる)が、ペンシルベニア・デラウェア・ニュージャージー一帯でさかんにオンエアーされ成功したが、続く56年の終わりにリリースしたJust supposeはチャートに失敗した。彼らは、それまでにこのレーベルでレコーディングした曲がリリースされていないのを知り、57年の早くに、WDAS(フィラデルフィア)・WWOV(ニューヨーク)のDJでもあったJocko HendersonのすすめでMainline(Barry Golder・Jocko Henderson設立)のオーディションを受け、移籍することになった。この頃、John Young(ニューヨークに移った)が抜け、Gerald Thompson(ピアノ奏者・~80)・Tom Hackett・Wendell Calhoun(Royalston Calhounの兄弟)が加入している。57年にリリースしたLong lonely nightsは彼等の最大のヒットとなり、かけ出しのレーベルだったMainlineの発展にも貢献した。一方、AtlanticもThe Drifters(Clyde McPhatter)がこの曲をカバーしヒットを記録する。さらにThe Kings(Baton)もカバーをリリースした(のちにThe KingsはThe Ravensなどが在籍したChessのArgoと契約した)。同じ歌がラジオで競争しているという状態だった。The Heartsはポップスチャート第10位・R&Bチャート第11位にチャートインして大成功をおさめた。57年11月に、彼等は次のシングルTeardropsを、フィラデルフィアのChess(Chess・Mainline間で配給契約された)からリリースした。この曲も、57年11月25日~58年1月6日までの間ポップチャート(最高第20位)・R&Bチャート(最高第4位)ともにチャートインに成功した。2本のヒットの後、金銭トラブルで会社に失望した彼等はUnited Artistsへ移籍し、58年にTry the impossibleをリリースした。この頃Jocko Henderson(Mainline社長)がマネージャになり、同時に彼の兄弟が設立したCasino(Mickey Golderの設立)からもこの曲がリリースされた。58年6月22日にポップチャート第33位にランクインしている。58年の後半、グループはツアーをこなしたが、この頃、Ted Weemsが陸軍に加入のため、Lee Andrewsもソロ活動をすることに決め、ともに脱退する。Lee Andrewsは3枚のシングルをSwanに残した(後にThe Neonsとして知られる)。残ったメンバーはThe Five Hearts(Tommy White・Roy Calhoun・Wendel Calhoun)とThe Hearts(Butch Curry・Eddi Custus)とに分裂した。Eddi CustusはMainlineでThe Superiorsとしてレコーディングしている。59年、The Five HeartsはArcadeからIt's unbelievableをレコーディングした。グループにとっての3人目のマネージャー、Hy Lit(ディスクジョッキーでもあった)はChancellorとの契約に成功し、彼等はIt's unbelievableを再録した。当時のメンバーは、Royalston Calhoun・Thomas Curry・Eddi Custus・Sonny Gordon。さらに62年2月には、再結成し(Lee Andrews・Thomas Curry・Royalston Calhoun・Eddi Custus)、Together again (Gowen)をリリースし、ファンを驚かせた。Lee Andrewsは62年12月、ParkwayからI'm sorry pillowで再びソロ活動にはいった。一方、The Heartsは62年11月にGuydenからAisle of loveをリリースしたが、成功することはなかった。そして63年には、The Heartsは自然消滅している。66年に、GrandはGothamでのグループのレコーディングを再リリースし話題になった事がきっかけとなり、66年夏、Lee Andrewsは新しいHeartsを結成した。メンバーは、Booker Mason・Robert Howard・Victoria McCalister。彼らはYou're taking a long time coming backをRCAからリリースした。その後、グループはCrimsonと契約し、68年に傘下のLost Nightから3枚のシングルをヒットさせた。Lost Nightからはアルバムも出された。その頃のメンバーは、Fairless Hills・Richard Howard・Richard Booker・Tommy White。その後、Lee Andrewsは半ば引退し、ドレス・ショップを経営していたが、71年のインタビューでは、Tye First Bornという新しいグループを結成し、Columbiaでレコーディング中だ、と話している。Lee AndrewsはプロデューサーのBilly Jackson(The Tymesの元メンバー)のすすめで、再び音楽を始めた。Richard Booker・Jackie Andrews(Lee Andrewsの妻)・Karen BriscoとともにThe Congress Alleyを結成し、Avcoで2枚のシングルとアルバムをリリースしたが、成功していない。81年、CollectibleがGothamでの最初のスタジオセッションテープを発掘し、Long lonely nightsを含め、3枚のシングルをリリースし、話題となった。Roy Calhounは79年に火事で死去、Butch Curryは多発性軟化症で病気となった、Wendell Calhounはフィラデルフィアに在住。