The Four Dots / The Four Troys

1950年・ピッツバーグ州・ヒル
Fletcher Williams(tenor)・Melvin Peters(tenor)・Kenneth Miller(baritone)・Marvin Brown(bass)

The Four Dots
■Rita・He man looking for a she girl(Bullseye-103)56.03
Fletcher Williams & The Four Dots
■Peace of mind・Kiss me sugar plum(Bullseye-104)56.06
The Four Troys
■In the moonlight・Suddenly you want to dance(Freedom-44013)56.04
Fletcher Williams
■Mary Lou・Stop look and love me(Bullseye-1001)57.09

The Four Dots
45s Rita
Bullseye-103
1956年

50年にピッツバーグ州のヒル地区で結成されたThe Mellowsが母体となる。メンバーは全員が15~16歳の若者で、Fletcher Williams・Edgar Lee(ファーストテナー)・Melvin Peters・Kenneth Millerの4人。グループにはベースシンガーが不在だった。その年、グループは東リバティにあるMusicians' ClubでThe Wondersというグループでベースを担当していたMarvin Brown(当時13歳)と知り合い、やがて彼が正式に加入した。グループ名をThe Five Mellowsに変えたのはこの頃である。Fletcher Williamsの家に集まっては、週に4回ほどの練習をくり返した。Begin the beguineやEbb tideといったスタンダードから、R&Bのヒット曲がレパートリーだった。お気に入りはThe Five Keys・The Cardinals・The Moonglowsだった。まもなく彼らはPorky Chedwick(DJ・98年に彼の番組は50周年を祝った)と知り合い、McKeesportで開催されるWhite Elephantのレコードコンサートに招かれた。これはマーケットストリート(ピッツバーグ)のダイヤモンドスケートリンクで開催されたもので、グループはWalt Harperのジャズバンドのバッキングとして参加した。理由は不明だが、このとき彼等自身のコンサートは行っていない。やがてThe Five MellowsにはCutty Alberts(Bonange Club所有)というマネージャーが就任し、Bonange Club(Cutty Alberts所有・国道51号・南ピッツバーグ)で数回の公演を行った。またBlue Ridge・Cobe Hotelなどにも出演している。この頃Edgar Leeがグループを去り、Edward Johnsonがしばらくの間加入したが、6ケ月後にChuck Jacksonと交代している。しかしこのChuck Jacksonも55年にグループを抜け、再びThe Mellowsという名前に戻した。Chuck JacksonはこのあとThe Del Vikingsに加入、60年代にはソロとしてI don't wanna cryなどのヒットで大成功をおさめることとなる。ブッキングエジェンシーDon DeCarloの提案により間もなくThe Four Dotsに改名し、サパークラブやナイトクラブに出演する。Don DeCarloはThe Ink Spots(つまりインクがたたり落ちてできる小さなシミ)をイメージさせるThe Four Dots(ドット、つまり点)を考えたという。グループはまもなくPorky Chedwickという人物と出会う。彼はWoody Hinderling(Bullseyeオーナー・イギリス人・西42番街220・ニューヨーク市)と知り合いであった。Porky ChedwickはBullseyeにセッションを準備するよう説得し、56年2月にグループをニューヨークに向かわせた。土曜日にFletcher Williams・Melvin Peters・Kenneth Miller・Marvin Brownはピッツバーグからマンハッタンに向けて出発する。マンハッタンに着いたものの、Woody Hinderlingとはなかなか連絡がとれず、彼らは結局その日は寒い橋の下に車を止めて、その中で一夜を過ごした。翌日ようやく連絡がつき、Theresaホテル(Woody Hinderling経営・ハーレムにある)をあてがわれたという。Woody Hinderling は、Dorian Burton(Ritaの作者・Ivory Joe HunterのA tear fellも彼の作品)とともにメンバーと会っている。Dorian Burtonは、3人の作曲家(Woody Hinderlingが見い出した)と同様にグループの作品を手掛けることになる。ちなみに3人とは、Norman Gimbel(He man looking for a she girl・Canadian sunset・The girl from Ipanema・Killing me softly with his song・A man ain't supposed to cry・Swayなどがある)・Clyde Otis(Baby, you've got what it takes・Boll weevil song・It's just a matter of time・Looking back・The stroll)・Jimmy Breedlove(元The Cues・Peace of mindをJ. Whiteと共作)である。他にもKelly Owens(That's all there is to that・I, I, I・I know, I know・Little by little・Soda popの作者)とも仕事をしており、彼はClyde OtisとともにKiss me sugar plumなどを書いている。またDorian BurtonはCarl Feasterのグループに在籍していたことがあり、59年にLionel Thorpeとしてレコーディングの経験もあった。ともあれWoody Hinderlingはソングライター発掘の才能の持ち主だった。レコーディングに先立ち、Dorian Burtonはメンバーの前で歌って聞かせた。Woody Hinderlingにひと晩でこれらの歌をマスターできるかどうか尋ねられたメンバーは、夜通し練習することとなる。翌日の月曜日、メンバーはBell Studiosで丸1日かかってセッションを行い、4曲をレコーディングした。このセッションにはJimmy Wrightがサックスで参加している。The Four Dots最初のレコードRitaが56年3月にリリースされる。ピッツバーグで好評を得て、WHOD(Porky Chedwick・Bill PowellがDJ)・WCAE(Jay MichaelがDJ)でさかんにオンエアされた。 レビューには取り上げられなかったが、このシングルは、Cherry lips(The Robins)・Mozelle(The Sheppards)・Oh but she did(The El Capris・ピッツバーグの別グループ)・Lil tipa-tina(The Five Swans)・I'm in love again(Fats Domino)・Corrine, Corrina(Joe Turner)・We go together(The Moonglows)・So strange(The Five Dollars)・Heartbreak hotel(The Cadets)・You are(The Cadillacs)・I call to you(The Fi-Tones)らと健闘した。自分達のシングルを持ったThe Four Dotsではあったが、まだクラブでの演奏といった、地味な活動しかできなかったが、ようやくテネシーからケンタッキーにかけてStanley・Tommy Turentine・Dolores Ware・Tiny Irwinとともにツアーに参加することに成功した。Bullseyeは56年6月にThe Four Dotsの2枚目のシングルPeace of mindをリリースする。7月21日の週に、Hum de dum(The Gassers)・I'm sorry now(The Tempters)・Honky tonk(Bill Doggett)・Crackerjack(The Cues)・Chop ling soon(The El Dorados)・Since I fell for you(The Spaniels)・Dear mother(The Hurricanes)・Sallie mae(The Dusters)とともにレビューされた。地元ではヒットしたが、ナショナルチャートに登場する事はなかった。この結果Bullseyeは再びThe Four Dotsをレコーディングすることはなかった。のちの57年4月にBullseyeはCandleliteに吸収されることになる。57年にKenneth Millerがグループを去り、Manning Rosemondが加入したが、何も起きないままに、最近結婚したFletcher Williamsもグループを抜けていった。Fletcher Williamsは、57年9月にソロとして独立し、BullseyeからMary Lou・Stop, look and love meをリリース、9月23日の週に、Come along with me(The Del Vikings)・Silhouettes(The Rays)・Little bitty pretty one(Thurston Harris)・Lullaby of the bells(The Deltairs)・My surprise(The Six Teens)・Have I sinned?(Donnie Elbert)・Smoochie poochie(The Viscounts)らとレビューされたが、評価はあまり良くなかった。The Four DotsにはKenny Jacksonが加入した。58年9月、Libertyは「Freedomという子会社を新設する。A&Rは Jerry Capehart(Eddie Cochranをマネージメントしていた)が行う」と発表した。このFreedomが最初に契約したアーティストの一つにThe Four Dotsの名があったが、これはAlbert 'Jerry' Stone・Jewel Akens(元The Fascinators・KingやDootoからのオムニバスに収録)の結成したカリフォルニアのグループで、こちらのグループはPleading for your loveを58年12月にリリースしている。しかし、本稿のグループもまたFreedomと契約したのである。レーベル内にThe Four Dotsという別グループが契約しているた事を知り、メンバーはThe Four Troysと改名した。The Four Troysは、FreedomでIn the moonlightがリリースされた。しかし移籍前よりも結果は悪かった。このリリース後、グループは解散した。近年The Four Dotsは、オリジナルメンバーだったFletcher Williams・Marvin Brownを中心に再結成、Aubry Kirkland(ファーストテナー)・Nate Benson(バリトン・George Bensonの遠縁にあたる)を加えて活動をはじめた。昔のヒットやPleading for your love(FreedomのThe Four Dotsが歌った)をうたっている。