The Hurricanes / The Toppers / The Memos

1953年・ニューヨーク州・ブルックリン
Henry Austin(lead)・James Brown(tenor)・Frederick Williams(baritone)・Vernon Britton(bass)The Toppers

■Baby Let Me Bang Your Box・You're Laughing 'Cause I'm Crying(Jubilee-5136)54.01
The Hurricanes
■Poor little dancing girl・Pistol packin' mama(King-4817)55.07
■Come home・There'll be no one(King-4822)55.08
■Maybe it's all for the best・Yours(King-4867)56.01
■Raining in my heart・Tell me baby(King-4898)56.02
■Little girl of mine・Your promise to me(King-4926)56.04
■Dear mother・You may not know(King-4947)56.07
■Fallen angel・I'll always be in love with you(King-5018)57.01
■Priceless・Now that I need you(King-5042)57.04
Jerry Dorn(バッキングに参加)
■Sentimental heaven・Wishing well(King-4932)56.05
Henry Alston(バッキングに参加)
■Once in a beautiful lifetime・I dare you baby(Skyline-500)58.11
■Once in a beautiful lifetime・What is there left for me(Skyline-551)59
The Memos
■I'm Going Home・(Memo-5000)59.04
■My Most Precious Possession・(Memo-5001)59.
■My Type Of Girl・The Biddy Leg(Memo-34891)59.09

The Candles
45s The Hurricanes 
Meet The Strangers
King-512

1980年代に出回っていたブート盤。実際のKing-512はShura and His Trioのアルバム。とはいえこちらも当時は貴重な一枚でした。またこの頃に同じKingのブートものが多数出回っていて同じ会社による製作だったのかもしれません。

50年にベッドフォード(ブルックリン)でThe Oriolesに影響を受けた、Sam Fickling(テナー)・Frederick Williams・Vernon Britton・Jerry Halfhide(リード・テナー)の4人が結成したThe Tune Toppersが母体となる。オリジナルもいくつかあったが、多分にThe Oriolesの影響を受けた作品であったという。Vernon Brittonは特にJimmy Jones(ゴスペルシンガー)を、他のメンバーはClyde McPhatterやJimmy Ricks(The Ravens)らがお気に入りだった。やがてMack Jonesがマネージャーに就任する。彼はFred Williamsの叔父にあたり、Jelly Rollという名で知られていた人物であった。間もなく5人目のメンバーとしてHenry Austinが加入する。Mack JonesはJubileeレコードとの契約を成立させたが、この時点で、同名のグループがいることがわかり、The Toppersと改名した。JubileeからBaby let me bang your box・You're laughing 'cause I'm crying(ともにHenry Austin作)を54年1月にリリースしデビューする。このシングルはレビューに送られなかったが、なかなかのセールスを記録した。この頃にはSuch a night(The Drifters)・September song(The Ravens)・All night long(The Four Blazes)・Dad gum ya hide boy(Louis Jordan)が登場している。このシングルリリース直後にJerry Halfhide・Sam Ficklingがグループを去り、James Brown・Gabriel Gill(ピアニスト・アレンジャー)が加入した。Jubileeでの成績は今ひとつだったが、グループとしてのスタイルは確立されたいると判断したMack Jonesは新たにKingとの契約を成立させ、55年6月15日にBell Sound Studiosでレコーディングセッションを行った。この日の収録されたのはPistol packin' mama・Poor little dancing girlの2曲で、すくにリリースの準備がなされたが、Kingの要望からグループ名をThe Hurricanesに改名した。このシングルは曲は55年7月にリリースされた。同7月30日にはI want to love you(The Flamingos)・Give it up(The Midnighters)・Walkin' down broadway(The Penguins)・Se de boom run dun(Mickey and Sylvia)・I hear you knocking(Smiley Lewis)とともにレビューされている。続くシングルのCome homeのレコーディングにはBubber Johnsonがバッキングに参加している。「メンバー全員が新しいサウンドを探していたんだ。アルバイトなんかもやって、ちょっと金を儲けたこともあったよ」とVernon Brittonは語っている。Come home は9月10日に、Starlite(The Moonglows)・I want to know(The Empires)・Zindy Lou(The Chimes)・Love only you(The Feathers)・So fine(The Sheiks)らとともにレビューされている。グループの次のセッションが55年11月29日に行われ、Raining in my heart・Maybe it's all for the best・Yours・Tell me babyが収録された。56年1月に、Maybe it's all for the bestがリリースされ、同1月14日に、I'll be home(The Flamingos)・Devil or angel(The Clovers)・Partners for life(The Midnighters)・I am bewildered(Richard Berry)・I love only you(The Mello-Harps)・It wasn't a lie(The Fi-Tones)・Eddie my love(The Teen Queens)・Don't leave poor me(The Dikes)とともにレビューされた。このシングルもヒットのないままに、2月にはRaining in my heartをリリースした。こちらは3月10日に、Little Richard's boogie(Little Richard)・Mary Lee(The Rainbows)・Little fool(Charlie and Ray)・Blue suede shoes(Sam Taylor)とともにレビューされている。4月9日に再びスタジオに戻り、Your promise to me・Little girl of mine・Dear mother・You may not knowを収録した。この頃にJerry Dorn(白人シンガー)のSentimental heaven・Wishing wellにバッキングとして参加している。またRuth Brown・Little Willie Johnのレコーディングにも参加したが、こちらもヒットせず、またクレジットもなかった。4月の終わりにYour promise to me(The Driftersのカバー)・Little girl of mine(The Cleftonesのカバー)をリリースした。5月5日に、Fever(Little Willie John)・Venus(The Squires)・Big fat lie(Boogaloo)・Gloria(The Five Chances)・I'll die in love with you(The Rockers)・Walking and crying(The Four Jacks)とともにレビューされた。またJerry Dornのシングルも5月にリリースされたが、いずれもThe Hurricanesの名前が大衆に知れることはなかった。6月にDear motherがリリースされ、7月21日に、Hum de dum(The Gassers)・I'm sorry now(The Tempters)・Honky tonk(Bill Doggett)・Crackerjack(The Cues)・Chop ling soon(The El Dorados)・Since I fell for you(The Spaniels)・The old willow tree(The Phantoms)・Peace of mind(The Four Dots)とともにレビューされた。この頃にMack Jonesは映画出演の話を成立させ、ハーレムのサンセットスタジオで収録中のRockin' The Bluesに出演した。この映画はHal Jackson(DJ)がアーティストを紹介するというものである。ストーリーは、Mantan Moreland(Charlie Chan製作の多くの映画にBirmingham Brown役で出演している)とFlournoy Miller(ミュージカルRunnin' Wildの作者で、Charlstonをヒットさせている)の二人がこっそりと劇場にはいり込もうとするコメディータッチで、The Wanderers・The Harptones・The Miller Sisters・Connie Carroll・Linda Hopkins・Teacho Wiltshire's Band・The Hurricanesらが出演した。この映画はFritz Pollard(全米フットポール初の黒人選手・The SolitairesやLeslie Uggamsのマネージメントを行った)が製作した。かなりの編集が行われているようで、例えばHal Jacksonのスピーチのカットはほとんどがアフレコであり、Morel・Millerのシーンもランダムに各場面に差し込まれているように思われる。また黒人俳優が劇場に観客として入場するシーンがあるが、場内の観客が写るシーンではすべて白人である。The Hurricanesの撮影した日にはLinda Hopkins・The Miller Sistersの撮影も行われた。グループはKingリリースのYou may not know・Army days(サウンドトラックアルバムではI'll be gladとなっている)の2曲を歌った。これらの曲は、当日前もって録音されていたが、撮影には十分な時間をかけられたとは言えなかった。グループが歌っている最中に、女優がステージを横切るというシーンがある。ここでFred Williams はこの女優に注意をそらされ、歌にあわせて口を動かすことを忘れたが、そのまま映画に使用されてしまっている。Rockin' The Bluesは56年10月19日にアポロ劇場で公開が始まり、The Wheels・Sugar & Spice・Marie Knight・Pigmeat Markhamらが舞台挨拶をした。Kingでの最後のセッションが57年1月11日に行われ、Fallen angel・Priceless・I'll always be in love with you・Now that I need you(The Mello-MoodsのWhere are youのカバー)を収録した。I'll always be in love with youが同1月にリリースされ、3月2日にI'm sorry(The Platters)・Lucille(Little Richard)・Bad man of Missouri(Jimmy Ricks)とともにレビューされた。Kingでの最後のリリースは57年4月のNow that I need you で、4月27日にIt's you I love(Fats Domino)・Jim dandy got married(Lavern Baker)・Rosie Lee(The Tunedrops)・Rosie Lee(The Mello-Tones)・The monkey(Dave Bartholomew)・Maybe I'm right(Little Richard)・It's a groove(The Five Keys)らとともにレビューされた。The Hurricanesは大きなヒットを持たなかったが、グループのマネージャーがこの世界では名を知られていたという事実が、グループのレコード不振とは逆に数多くの会場での出演を支えていた。ハワード劇場・アポロ劇場・ロイヤル劇場・アール劇場などで小規模なショウではあったが出演を重ねた。Mack JonesはKingセッションののち、Skyline(Jerry Field設立)との契約を成立させた。58年11月にOnce in a beautiful lifetimeをリリースするが、ラベルにはHenry Alston(Henry Austin)の名前だけが記されていた。このシングルは58年11月17日に、Early one morning(Little Richard)・Dance with the teacher(The Olympics)・Nobody but you(Dee Clark)・I cried a tear(Lavern Baker)・Flat tire(The Del Vikings)・Over the rainbow(The Chanters)とともにレビューされた。Once in a beautiful lifetimeは59年にSkylineから再発されている。B面はWhat is there left for meに変わっているがクレジットはHenry Alstonのままである。新しいレコード会社を始めようとしていたMack Jonesは、この頃にBill Lasley(Amp-3レーベル設立) とともにMemoレコードを新設し、このレーベルにThe Hurricanesを迎え、The Memosとしてデビューさせようとしていた。しかしグループがレコーディングする直前にFred Williamsが徴兵され、彼の兄弟Eugene Williamsが加入した。The Memosの最初のシングルI'm going homeは、59年4月にリリースされた。59年5月25日に、The whistling organ(Dave Baby Cortez)・Only sixteen(Sam Cooke)・Since you've been gone(Clyde McPhatter)・Shorty's got to go(The Impressions)・The rising sun(The Ravens)・Let it please be you(The Desires)とともにレビューされた。9月にはThe biddy legリリースし、10月12日にBe my guest(Fats Domino)・Maybe I'm right(Little Richard)・Thinking of you(The Jaguars)・So deep(Nappy Brown)・Gravel gert(The Barons)とともにレビューされている。Memoは小さなレーベルであったが、2枚目のシングルMy most precious possessionはさかんにオンエアされ人気も上昇した。この頃にKingもThe Hurricanesのシングル再発を始めている。Biddy Legは、グループのステージでは最も人気が高い作品となった。59年に、カントリーシンガー・ダンサーらとともにカナダに向けてのツアーをおよそ1年にわたって行った。しかしツアー終了の直前に、プロモーターがダンサーの一人と駆け落ちし、公演は中止となってしまう。そして間もなくThe Memosは解散した。Vernon Brittonはその後もCrown Heights AffairやUnyqueをプロデュースし、音楽界に留まった。Audivoxレーベル(55年に設立)にもThe Hurricanesというグループが在籍したが、本稿とは別のグループである。