The Squires

1954年・カリフォルニア州・パサデナ
Don Harris・Dewey Terry・Bob Armstrong・Chester Pipkin・Lee Goudreau

■Lucy Lou・A dream come true(Kicks-1)55.02
■Sindy・Do-be-do-be(Mambo-105)55.04
■Me and my deal・Sweet girl(Vita-113)55.09
■Sweet girl・Heavenly angel(Vita-116)55
■You ought to be ashamed of yourself・Guiding angel(Vita-117)55.12
■Venus・A breath of air(VIta-128)

The Candles
45s 45s Lucku Lou
Kicks-1
1955年

パサデナ(カリフォルニア州)出身。ロックン・ロールがロサンゼルスを中心に大流行した54年~55年にかけて活躍したグループ。この当時The Squiresと呼ばれたグループが他にもいくつか存在している。その1つはComboレコードに在籍、もう1つはFlair(このレーベルはSayonalaというポップチャートヒットを放っている・Flair-1030)に在籍した。またDootoneと54年に契約したグループもあった。こちらはのちにThe Dootonesとなるグループである。本稿のThe Suqiresは54年夏に結成された。地元でKicksレコード店を運営するBob Gradney・Larry Meadと契約し、55年2月下旬に最初のレコーディングセッションを行った。Lucy Louでシングルデビューをしたもののほとんど売れなかった。2カ月後に2枚目のシングルとしてSindyというバラードをリリース、イーストコースト一帯にオンエアされ人気を集めた。この頃にLarry Meadは、Mamboという名前ではマンボ専門レーベルと思われグループの販売に影響を与えると考え、Mamboを閉鎖した。ちなみにここまででリリースしたのは5枚のシングルだけである。間もなくVitaレコードと改名し、The Squiresはこのレーベルのヒットボーカルグループとなった。それまでセッションに参加していたピアノ奏者のDon Bowmanが正式にグループメンバーとなった。55年7月にはAl JarvisがホストをつとめるHoliday HijinksというTVショウに出演し、この番組では Sindyが2連続で「今週のレコード」に選ばれた。55年の夏には、Sindyがヒットし、9月に3枚目のシングルMe and my dealがリリースされた。The SquiresはGreen Mill Ballroom(ベンチュラ)で週末に公演を行い、ウエストコーストに向けてのツアーを開始した。Larry Meadは、B面のSweet girlに興味を持ちHeavenly angelとのカップリングでVita-116としてリリースしたがセールスは失敗した。55年末にYou ought to be ashamed of yourselfをリリースする。このレコーディングはEffie Smith(R&BシンガーでEffie's Bluesのヒットを持つ・Vitaと契約したばかりであった)が参加して行われた。Sindy以降ヒットを出せなかったThe Squiresは、56年春にVenusをリリースしたがヒットにはいたらなかった。このシングルはVitaレコードでの最後のシングルとなり、57年にVitaは倒産してしまった。Vitaはなくなったが、The Squiresはクロスタウン(ロサンゼルス・カリフォルニア州)にあるAladdinレコードと契約しDreamy eys(The Youngstersのカバー・Empireに在籍した)をリリースした。この作品はミリオンセラーには届かなかったものの、グループ最大のヒットとなりポップ・R&Bの両方のチャートでヒットした。The Squires は各地で公演を行なったが、このシングルを最後に57年の遅くにおそよ3年にわたる活動を停止した。同57年、メンバーのDon Harris・Dewey Terryはデュオを結成し、Specialtyレコードと契約を結びDon and Deweyとして活躍した。60年代の初めには、彼らはLittle Richardのバックバンドも担当した。Don and Deweyはデュオとして、また John MayallのThe Bluesbreakersのメンバーとしてもロックの時代も活躍した。Don 'Sugarcane' Harrisは一時期 The Mothers of Inventionのメンバーとなっていたが、70年代の初めにJohnny Otisとのツアー以降R&Bに戻った。