The Turbans

1953年・フィラデルフィア州・フィラデルフィア
Andrew 'Al' Banks(lead・37.07.26~77.07.?)・Mathew Platt(tenor)・Charles Williams(baritone)・Andrew 'Chet' Jones(bass・34.11.17~98.06.25)

■When you dance・Let me show you around my heart(Herald-458)55.7
■Sister Sookey・I'll watch over you(Herald-469)56.02
■B-i-n-g-o・I'm no baby was(Herald-478)56.5
■It was a nite like this・All of my love(Herald-486)56.08
■Valley of love・Bye and bye(Herald-495)57.01
■Wa da do・Congraturations(Herald-510)57.12
■I promise you・Curfew time(Red Top-115)60
■Bad man・Diamonds and peals(Roulette-4281)60
■I'm not your fool anymore・Three friends(Roulette-4326)61
■Golden rings・When you dance(Parkway-820)61
■Six questions・Lament of silver(Imperial-5807)61
■Clicky clicky clack・This is my story(Imperial-5828)62
■I wonder・The damage is done(Imperial-5847)62
LP
■The Turbans(Herald-5009)

45s Presenting
The Turbans
Herald-5009

80年代にRelicがリイシューしたLP盤。本グループの公式アルバムというのはないけれど当時はこれも貴重でした。Herald時代の全作品が収録されています。

The Turbans下町(Bainbridge周辺)に住む同じ学校の少年達が結成した。彼らは、The Clovers・The Five Keys・The Dominoes・The Ravens・The Drifters・The Flamingos・The Moonglows・The Spanielsといった一流アーティストに憧れていた。オリジナルメンバーは、Al Banks・Matthew Platt・Charlie Williams・Andrew Jonesの4人。数ブロック離れたところに住むHerman Gillespieはグループにレッスンをつけていたがグループがレクリエーションホールに出演する(当時の唯一の出場会場)のをきっかけに、彼らの最初のマネジャーになった。Charlie Williamsの義理の父はグループハーモニーを教え、ゴスペルを学ぶ事をすすめている。Al Banksは「僕達はまだグループの名前がなかったので、マネジャーの提案で全員が帽子をかぶることにしたんだ。僕達にはあまりいいアイデアがなかったからね。でもCharlie Williamsが言ったんだ『帽子をかぶるくらいなら、いっそターバンでも巻いた方がましだよ』って。それからは自分達をターバンと呼ぶようになったのさ」と語っている。Andrew Jonesは木綿のギャバジン布を切って、ターバンの中に入れたと言っている。ちなみに当初は全員のターバンには2つの宝石が付いていたが、Herald時代の写真には、2つとも宝石が付いているメンバーは少ない。54年のクリスマスに行われたタレントショーでClyde McPhatter and The DriftersのWhite Christmasを歌い優勝した。この時から本格的な歌手を目指すようになった。Al BanksはClyde McPhatterの声に非常によく似ていたテナーシンガーの一人だった。55年春、グループは地元でデモ盤を制作し、Herman GillespieがニューヨークのHerald(Al Silver・Jack Angel設立)に持ち込んだ結果、7月に契約している。デビュー直前にマネジャーがHerman GillespieからAllen Best(Shaw Artists Corporationで働いている)に代わっている。55年7月、グループ最初のセッションでSister sookey・I'll always watch over you・Let me show you around my heart・When you dance(Andrew Jones作)の4曲をレコーディングした。同月Let me show you around my heartでシングルデビューする。このシングルのB面に収録されていたのがWhen you danceだった。Let me show you around my heartはかなり意図的にClyde McPhatterスタイルで歌われている。Al Banksは「僕はClyde McPhatterを絶賛しているし、若いグループには最も影響力があった。だから僕達のスタイルに彼のスタイルを取り入れたんだ。この曲を歌う時に『ちょっとClydeを入れてみよう』と思ったのさ。本当にいい歌だよ」と語っている。デビュー曲は、アトランタ・クリーブランド・ピッツバーグ・デトロイト・ボストン・ニューオリンズなどでローカルヒットとなった。しかし、ヒットのさなか多くのDJはラテンビートを持ったWhen you danceをオンエアしはじめ、徐々にこの曲が人気を得ていき、間もなくWhen you danceが、ニューヨーク・フィラデルフィア・コロンビア・バルチモアでブレイクしていった。そして11月にとうとうナショナルチャートに登場する大ヒットとなった。最初にポップスチャートに登場、そして約2週間後にR&Bチャートに登場するという珍しいパターンであった。When you danceは、約2カ月間チャートに残り、R&Bチャート第3位まで上昇した。さらに、ポップスチャートでは第33位だったが、約5カ月もの間チャートに残るロングヒットとなった。12月に次のシングルSister sookeyをリリースした。しかし、大きな宣伝にもかかわらずセールスは伸び悩んだ。ナショナルチャートには入らなかったが、いくつかのローカルマーケットでは大当たりしている。I'll always watch over youはAl Banksが試みたClyde McPhatterスタイルの中でも最高の作品といわれている。When you danceの大ヒットで、グループはスターとしてThe Diablos・The Mambo Acesとともにアポロ劇場へ出演した。Al Banksは「僕達がアポロに出演する前に、他のグループはすでにここで活躍していたからうれしかったよ」と述べている。バッファロー・ピッツバーグ、そしてベルリン(ニュージャージー)のChubby'sなどの公演をはじめ、シカゴのリーガル劇場以外のほとんどを回るという目まぐるしいツアーで55年の後半を過ごした。56年1月下旬に、Irvin Feld主催のSuper Attractions TourにBill Haley and the Comets・The Platters・Lavern Baker・Shirley & Lee・Red Prysock・The Drifters・Joe Turner・The Five Keys・Bo Diddley・Roy Hamiltonらとともに参加した。このツアーは1月27日にピッツバーグでスタートしている。リッチモンド(28日)・バーミンガム(29日)・チャタマーガ(30日)・シャーロット(31日)・コロンビア(2月1日)・ローリー(2日)・ウィンストンセーラム(3日)・ノーフォーク(4日)・ワシントン(5日)といった連日の公演となった。Al Banksは「僕達あるツアーで事故にあったんだ。バスがひっくり返りそうになって Shirley(Shirley & Lee)が大怪我したんだ。このことがショーの後の休養がいかに大事なのかを教えてくれた。10日間のツアーだったけど、運良くバスは山の片側にぶつかって横転しないですんだんだ」と語っている。グループは一度もウエストコーストで公演を行っていなかった(意図的だとも言われる)が、「後で聞いた話だけど、ロサンゼルスでThe Turbansの公演を見たと聞いたときは、偽者のグループに違いないと思った」とAl Banksは述べたが、実際にはウエストコーストにもThe Turbans(下の項参照)というグループがおり、彼らの数カ月前にすでに Money(John Dolphin設立)でレコーディングしている。このグループはのちに名前をThe Sharptonesに変え、Post(Imperialの子会社)でレコーディングしているが、The Sharptonesのセッションは55年9月に行われている(ヒットはなかったと思われる)ので、この改名がAl Banksのグループと関係があったかどうかは不明。56年3月に、彼らはRoy Gaines・Guitar Slim・Margie Day・Lloyd Lambertとツアーに参加、クリーブランドのサークル劇場ではThe Sweethearts・Dakota Statonも参加した。またカンサスのOrchid Roomにも出演した。56年初頭、2回目のセッションを行ない、B-i-n-g-o・I'm nobody's・It was a night like this・My girl has gone・Say girl・All of my loveをレコーディングした。このなかから4月に3枚目のI'm nobody'sをリリースしたがチャートには入っていない。4月1日にリッチモンドで行われたLou Krefetz(The Cloversのマネージャ)の企画した Rhythm And Blues Show Of 1956に出演、The Clovers・Fats Domino・Ruth Brown・Little Richard・Little Willie John・The Cadillacs・The Sweethearts・Joe Medlin・Al Jackson and His Fat Men・The Choker Campbell Orkらと共演した。このショウの翌日はシャーロットで公演している。10日にはカナダのトロントに向けてイーストコーストからツアーを開始し、ミッドウェスト・テキサス・サウスイースト(22日のニューオリンズ・24日のナッシュビルなど)を経て5月6日のバーミンガム公演で幕を閉じている。公演中には何度かDonald Jones(Andrew Jonesの兄弟・バリトン)がグループに参加(おそらくメンバーが病気などの理由で出演できない時に)している。7月にはSonny Boy Williamson's orchestraとミッドウェストを回ってい。8月にIt was a nite like thisをリリースしたが、これもまたヒットしていない。10月21日にクリーブランドのサークル劇場で、Don Rello・The Quails・Ralph Wilson's orchestraと出演した。57年にはいってからはグループはほとんどが失業状態となった。57年初頭に3回目のセッションを行い、Lonely(未発表・I'm nobody'sタイプの曲)・Bye and bye・Valley of love・Miss thing(未発表)をレコーディングし、2月に、Valley of loveをリリースしたがこれも他のシングルと同じ結果となった。57年の後半にHeraldでのグループ最後のセッションを行い、Congratulations・Sockee soo(RelicレコードからリリースされたときにはZaki- sueとなっている)・Farewell to arms・The wadda-doをレコーディングした。ヒットのないグループに懐疑的になっていたHeraldはリリースをためらっていたが、やがてグループ最後のシングルCongratulationsが57年11月にリリースされた。いくつかの地方では好調なセールスを記録したものの、再びナショナルヒットとはならなかった。この頃にHeraldとの契約(おそらく57年7月に2年の契約が切れたと思われる)が切れ、そしてグループは崩壊する。Al Banksは「Heraldを去ったあと、私はHarold Melvin and The Blue Notesと仕事をしていたんだけれど、1年半ほどThe Turbansはほったらかしていたのさ。その間にフィラデルフィアで5つほどのバンドと一緒にソロ活動をしていたんだ。ダンスパーティーやキャバレーといった所でね」と語っている。58年1月下旬にThe Turbansに戻り、Dr. Jive主催のアポロ劇場公演に、Joe Turner・The Five Satins・Lee Allen・Tiny Topsy・Robert & Johnny・The Wanderersらと出演たが、その後ははしばらく休眠状態となった。58年後半に、Red Top(Irv Nahan・Doc Bagby・Melvin 'Red Top' Schwartz設立)からThe Turbansのシングルがリリースされている。Matthew Platt・Charlie Williamsはすでにグループを去っており、Earl Worsham(テナー)・John Christian(バリトン・テナー)が参加している。この二人はともにThe Quadrells(Whirlin Disk)に在籍していた。60年にRed TopからI promise youをリリースした。しかしたいした反応もなく、以降2年間以上もレコーディングから遠ざかっている。やがてAndrew Jonesがしばらくグループから去り、同60年にトリオでRouletteに移籍し(Andrew Jonesが復帰する頃にはRed Top在籍時と同じメンバーになっている)Diamonds and pearls(The Paradonsのカバー)をリリースしたがニューヨーク周辺でローカルヒットするに留まっている。61年1月に、2枚目(そしてRouletteで最後の)のシングルとなるThree friends(Bert Bacharach・Hal David共作・B面はI'm not your fool anymoreを発表した。この作品はポップスチャート第114位に留まったが、60年春にArt Laboe制作のアルバムOldies But Goodies volume 2(When you danceが収録されている)がリリースされ好調なセールスを得ていたため、Heraldは61年2月にこの曲を再発している。グループは次にParkwayへ移籍するが、この時に、Andrew Jonesはグループを去っている。Al Banks・Earl Worsham・John Christianは、Reggie 'Tootie' Price(元The Quadrells)を加え61年2月にWhen you dance(Earl Worsham作・B面はGolden rings・Al Banksがリードをとっていない唯一の曲)のリメイクをリリースした。61年後半、Imperialへ移籍。Reggie Priceが抜け、James Oscar 'Cisco' Williams(元The Quadrells)が加入している。ちなみにこの時点でThe Quadrellsの全員がThe Turbansに参加したことになった。5人目のメンバーとしてSonny Gordon(元The Angels・54年にGrandに在籍)がテナーシンガーとして加入した。Imperialから最初のシングルSix questions(B面はThe lament of silver gulch)をリリース、これも同じようにヒットしなかった。しかし62年2月にアポロ劇場で開催されたHal Jackson Oldies Showに出演している。共演は、The Clovers・The Cadillacs・The Hollywood Flames・The Imperials・Charlie & Ray・The Charts・The Kodaks・Tiny Topsy・Reuben Phillips orchestraなど。3月に2枚目のThis is my story(B面はClicky clicky clack)をリリースする。ちなみにThis is my storyはThe NutmegsがMy Storyとして、またThe RajahsがOut of my heartとして歌っている。5月に最後のシングルI wonder(B面はThe damage is done)をリリースした。この曲のレコーディングでDonna Kimberleyも歌われたが未発表のままとなっている。Al Banksが息子のために書いた曲といわれている。Imperialを去ったグループはついに解散してしまう。Earl WorshamはThe Ink Spots(Billy Byrd期)に加入、Al Banksは70年代初期にThe Drifters(Charlie Thomas期)に加入している。Al Banks・Earl Worshamは77年にThe Turbansの再結成をしようとしていたが、不幸にも直前にAl Banksが死亡した。Earl WorshamはThe Coasters(Boca Raton)に加入した。John Christianも死亡している。