home・・biography・・films・・bandstand・・golden-groups・・soul-on・・tresure-chest・・zousui
The Mills Brothers・The Inkspotsとともに40年代に活躍した。33年にセントルイスのVashon High Schoolに通うRay Grant・John Jordan・Robert O'Neal・Norval Tabornが結成した。間もなく、彼らはラジオ番組を毎週担当するようになり、セントルイスで放送された。36年にメンバーは活動拠点をシカゴへ移し、次第にチャンスに恵まれていった。彼らの到着したウィンディシティでは、Don McNeilのラジオ番組Breakfast Club radio showに毎週3回の出演により人気を得ていった。38年には、Gary Moore・Durward Kirbyが主催するClub Matineeでの公演も成功させた。グループの存在はこのような大規模なラジオ放送によって多くの人々に知られていくこととなり、やがて彼らの活動はレコーディングスタジオに向かうこととなる。結成から8年後の41年に、グループ最初のシングルDuke of Dubuqueをレコーディングし、RCAの子会社であるBluebirdから翌42年にリリースされた。その後の戦時中にはComin' in on a wing and a prayer・Rosie the riveter・Ten little soldiers・A G.I.'s wishといった戦時色のある歌を45年にリリースしたが、46年にはMercuryへ移籍しTaking my chance with youを、さらにAtlasからはOh what a Polkaがリリースされた。46年から47年にかけてThe Four Vagabondsは、ニューヨークのApolloから7枚のシングルをリリースした。ちなみの彼らのAtlasからのシングルはApolloでレコーディングされたものをAtlasにリースしたものである。P.S. I love youはApolloでの最大のヒットシングルとなった。この曲は53年にApolloの子会社であるLloydsから再発されている。The Four Vagabondsとしての最後のレコーディングは、49年にシカゴで行われたMighty hard to go through life aloneで、Miracleレーベルからリリースされた。彼らはThe Mills Brothersのように、自らの声で楽器を模したサウンドで、ゴスペルグループのThe Golden Gate Quartetたちもこのテクニックを使用した。この才能は公演においても多様性を加え、ミュージシャンの間にも衝撃を与えた。45年頃から、メンバーのRay Grantは視力を失っていった。そういったこともあり、グループは47年の終わり頃までにすでに公演を行わなくなっていたが、2年後の49年にはRay Grantの視力は奇跡的に回復し、The Four VagabondsはTV番組にも出演するようになった。このHappy Pappyという番組ではRay Grantがホストをつとめ、出演者も観客も全員黒人というテレビで最初の番組となった。しかしこの番組は長続きせず、間もなくRay Grantはグループを去った。The Four Vagabondsは代わりのメンバーを補充しながらも活動を続けたが、52年に解散を決意した。80年代なって、オリジナルメンバーだったJohn Jordanは新たにThe Four Vagabondsを結成したが、レコーディングは行っていない。Billy Shelton(ベース)がリードを担当し、彼はThe SpanielsやPookie HudsonのグループThe Three Beesにも参加したシンガーである。90年代中ごろにはオリジナルメンバーによるThe Four Vagabondsが再結成された。現在活動しているThe Four VagabondsはAl Brown(ファーストテナー)・Mike Thomas(セカンドテナー)・Craig McKinley(バリトン)がメンバーとなっている。