The Avalons

1955年・バージニア州・ニューポートニュース
Bobby "Bobby" Crawley(tenor・baritone)・George Cox(tenor)・James Dozier(tenor)・Rafael Ingram(tenor)・Bernard Purdie(bass)

■Chains around my heart・Ooh! she flew(Groove-4G-0141)56.02
■It's funny but it's true・Sugar sugar(Groove-4G-0174)56.10
■You are my heart's desire・Dear one(Sandryon-27503・カナダ)58
■Heart's desire・Ebbtide(Unart-2007)58.12
■You can count on me・You do something to me(Casino-108)59

The Avalons
CD Quicksand
The Groove Records Story 1954-1956
2014年

RelicのGGシリーズには登場しなかったレコード会社ですが、近年ではこのようなCDが比較的安価でリリースされるようになりました。本作を出したOne Dayという会社からは同様のシリーズが膨大な数で次々と出されました。お手頃価格でおすすめです。

The Avalonsは50年代にニューポート・ニュースで活躍した4つのR&Bグループ(The Five Keys・The Leaders・The Chateaus)の一つである。なかでもThe Five Keysとは最も関係の深いグループといえる。母体となったグループは1947年に結成されたThe Chimesでゴスペル・R&Bを歌っており、メンバーはCharles Crawley・Ulysses Hicks・ George Leroy Harris・Bernard Purdieの4人。メンバーが最も影響を受けたのがThe OriolesであったがBernard Purdieは「個人的にはJimmy Ricks(The Ravensのベースシンガー)には影響を受けなかったし、あまり好きじゃなかった」とも話している。1948年、Ulysses Hicksがグループを抜けMaryland Pierce(セカンド・テナー)が加入した(1952年にリード・シンガーのRudy Westが徴兵されたThe Five KeysはUlysses Hicksをグループに迎えている)。Maryland Pierceが加入したThe ChimesはThe Four Beesと改名した。ステージではMaryland Pierceの作ったHucklebuck with Jimmyを必ず公演の最後に歌った。「それは俺達にとって爆弾ナンバーだった」とMaryland Pierceは回顧する。40年代にニューポート・ニュースで行われたイヴェントでThe Sentimental Fourというグループと出会っている。このゴスペル・グループには2組の兄弟が在籍した。メンバーはRudy West(テナー)・Bernie West(ベース)・Ripley Ingram(テナー)・Rafael Ingramの4人編成で、1945年頃に結成され1949年にセカンド・テナーにEdwin Hallが新たに加入(The Sentimental Fourと言う名前は変えていない)している。しかし1949年中頃にRafael Ingramが徴兵されDickie Smithが加入した。Rafael Ingramは陸軍を避けて空軍に入隊し、翌年韓国に派兵されたが現地で凍傷のために片足を失ってしまう。彼が入隊中にThe Sentimental FourはThe Five Keysと改名した。1950年初春、結婚生活を始めたThe Five Keysのメンバー達は長期にわたるツアーを望まなくなっていく。グループはこの当時Brownskin Modelsレコード(Irvin C. Miller設立)に在籍していたが、Edwin Hallはグループを抜けThe Four Beesに加入し、一方Maryland PierceはThe Four BeesからThe Five Keysに移籍する。さらにThe Four BeesはLeroy Harrisが抜け、George Cox(ノーフォーク出身)が加入した。しかしThe Four Beesのリード・ボーカルだったMaryland Pierceに代わるシンガーがグループには必要であった(Edwin Hallはリードシンガーではなかった)。そこでGeorge Coxの友人だったJames Dozierが新たに加入した。The Four BeesはBobby Crawley・Bernard Purdie・George Cox・James Dozier・Edwin Hallの5人編成となる。Rafael Ingramは(義足となって)韓国から戻った時、The Five Keysが順調な活動を行っており、自分がグループに必要とされていないことを知らされ1950年遅く(あるいは1951年早く)にThe Four Beesを去りThe Chateausに加入、Rafael Ingramはこの時グループへ招かれた。この時点でグループはThe Encoresと改名した。The Encoresのメンバーは、Rafael Ingram・James Dozier・George Cox・Charles Crawley・Bernard Purdieの5人で、ニューポートニュースとノーフォークで開催された地元のアマチュア・ショーへの意欲的な出演を開始した。ベース・シンガーのBernard Purdieはマネージメントを兼任している。(恐らく)1952年頃、The Encoresはテント・ショーに(The Five Keysが1950年にBrownskin Modelsに在籍したのと同じ方法で)参加した。その一つにThe Silas Green Show(実際にIrvin C. Millerが関わった)があった。この公演は、モントリオール・ケベック・オタワ(いずれもカナダ)全域で開催された。The Encoresは約8カ月間にわたりこのショウに出演した。彼らは非常にカナダを気に入り、この公演を終えたのちもR&Bやポップ・ナンバーをカナダ東部で歌いながら約5年を過ごしている。1955年秋(業界誌でレポートされたのは1956年4月であった)にThe EncoresはマネージャーとしてFanny Wolffを雇い入れた。この当時Fanny WolffはThe Five Keysのマネージャーの一人でもあった。彼女はすぐさまThe EncoresのためにGroove(RCA Victorの子会社・配給も行った)と契約を結んだ。おそらくThe Five Keysを1954年8月にGrooveレコードからRCAへ移籍させる予定があり、その交換条件と思われる。この契約の時点でグループはThe Avalonsと改名した。この改名についてBernard Purdieは「そろそろ名前を変えたかったんだ」と話している。改名したThe Avalonsはカナダ公演ののち、1955年11月11日にニューヨークのRCAスタジオでレコーディング・セッションが予定された。しかしこのセッション直前にBobby Crawleyの妻は病気になったために彼はニューポート・ニュースに戻らなければならなかった。RCAはEdward Barnes(のちのThe Cuesのメンバーで、この時点で彼はGrooveレコードにThe Four Studentsとして在籍している)を急遽メンバーに合流させこのセッションに参加している。このセッションでWait a minute baby・I follow the star(このタイトルはI followed a starというのが正しいが、レコーディング記録にはこう記載されている)を収録した。理由は不明だが、彼らはこのスタジオではハーフ・セッション(フル・セッションは4曲を収録する)で終え、これらは未だにリリースされていない。間もなくBobby Crawleyが復帰し、The Avalonsは次のレコーディング・セッションのためにカナダに向かった。1956年1月13日にスタジオ入りしたグループは、I followed a star(セカンドテイクで、James Dozierがリードを担当。記録は正しいタイトルになっている)・Chains around my heart(Rafael Ingramがリード)・Oh! sweetness(Bernard PurdieとGeorge Leroy Harrisはこの曲がまったく記憶にないと話している)・Ooh! she flew(Bernard Purdieがリード)を収録した。このセッションで良いマスターを収録する事ができたThe Avalonsを認めたGrooveレコードは、1960年1月にBob Rolontz(GrooveレコードのA&Rマネージャ)が「The AvalonsととともにBig Al Searsと調印した」と発表した。1956年2月、グループはカナダに戻り、GrooveレコードはChains around my heartをリリースした。このシングルは両面「good」で3月3日に登場し、False love(The Spaniels)・Please, please, please(James Brown)・Dreams of contentment(The Dells)・In paradise(The Cookies)・Try rock and roll(Bobby Mitchell)・When you're alone(The Daps)・Heart of a rose(The Charms)・It's love, it's love(The Champions)・House rent party(Babs Gonzales)らとともに取り上げられた。Chains around my heartは全米ヒットには至らなかったが地元メリーランドのR&Bチャート第6位まで上昇するヒットとなった。こののちアクシデントが起こった。「もし生きていたなら、彼女の旦那も多額の金を手にしただろうし、それに僕達も大ヒットを得ていたはずさ」とBernard Purdieが話すようにマネージャだったFanny Wolffが1956年に死去してしまう。1956年9月27日、帰国したThe Avalonsは、ニューヨークの Grooveスタジオに戻りSugar sugar・It's funny but it's trueをレコーディングする。10月、グループはMcConkey Artists(ブッキング・エージェンシー)と契約し、またGrooveレコードからは2枚目のシングルSugar sugarがリリースされた。11月10日に両面「good」と評され、Jim dandy(Lavern Baker)・Don't pull, don't push, don't shove(The Willows)・Did you have fun(The Medallions)・I'll be spinning(Johnnie and Joe)・I'll be spinning(The Cadets)・Million dollar bills(Robert and Johnny)・Flaming love(The Gardenias)らと登場した。再びカナダに戻ったグループは少なくと1年間をそこで過ごしている。Bernard Purdieは「カナダの聴衆のほとんどは僕達を知らなかったんだ。僕らはステージでは決してレコードになった曲は歌わなかったよ」と話している。1957年秋、The Avalonsはカナダで2曲のレコーディングを行う。You are my heart's desireとDear oneである。そして1958年1月初旬にも(少なくとも)5曲を収録している。しかし彼らが誰(どのレーベル)のためにそれらをレコーディングしたのかは不明である。Bernard PurdieとGeorge Leroy HarrisはGrooveレコードの録音だったと記憶しているが、可能性としてBarry Golder(フィラデルフィア)のためのレコーディングが考えられる。この数カ月後にBarry GolderはDouglas "Jocko" Henderson(DJ)とともにCasinoレーベルを設立しているからである。もし彼らが実際にThe Avalonsをレコーディングしていたならばおそらくリリースしたと思われるのだが。Barry Golderへのインタビューではこのことについての明確な答えは得られていない。彼は漠然とThe Avalonsを覚えていたが、彼らをレコーディングしたかどうか、あるいは誰かからグループのマスターを購入したかどうかは覚えていなかった。この時の5曲はHeart's desire(You are my heart's desireより洗練されたバージョン)・Ebbtide・You can count on me・You do something to me・What's wrongであったが、これらの作品のリリースさえ行われなかった。1958年2月頃には仕事もほとんどなくなっていた。一方、1957年遅くのThe Five KeysはRudy West・Bernie West・Maryland Pierce・Ripley Ingram・Ramon Loperというメンバーであった。1958年2月11日に行われたCapitolレコードでのレコーディング・セッションの後、Rudy West・Ramon Loperがグループを去る。The Avalonsは歴史の中に消えていこうとしていた頃、Bobby CrawleyがThe Five Keysに加入する。The Avalonsは1958年早くには活動を終えていたが、レコード・リリースに関してはまだ活動中であった。カナダでYou are my heart's desireがSandryonレコード(おそらくカナダのシンガーMichele Sandryが設立したと思われる)から1958年にリリースされた。1958年遅くに(彼らが実際にレコーディングしていたか否かにかかわらず)The Avalonsの最後のセッション・マスターを所有したBarry GolderはこれをUnited Artistsに持ち込み、12月にHeart's desireがUnartレコード(United Artistsの子会社)からリリースされた。Lee Andrews and The HeartsのマスターをUnited ArtistsがCasinoから購入して以来、この両者は良好な関係を保っていたからであった。Barry Golderは「かつて私が持ち込んだLee Andrewsで成功したUnitedは、もう一度という想いで曲を出すことに決めたのさ」と話す。彼もUnited Artistsもグループがすでに解散してるという考えは持っていなかったと考えられる。このシングルは12月22日にレビューされ、Sea cruise(Frankie Ford)・To make a long story short(Eddie and The Starlites)・Brown eyes(The Chateaus)・Let there be love(The Twilighters)らとともに紹介された。コレクターの間でThe Avalonsの最も人気のあるシングルHeart's desireが、グループ解散の1年後にリリースされたものであるというのも興味深い事実である。1959年春、You can count on meがCasinoレコードからリリースされたが、レビュー誌には取り上げられていない。The Avalons解散後、Bernard Purdieはニューヨークの調理学校に入学したが、1960年にモントリオールでThe Plattersに加入した。彼がこののち10年間にわたり一緒に歌ったが、彼は「このグループは数日ごとにメンバーを変えたんだ」と話している。70年代になってBernard Purdieは自身のThe PlattersグループとしてThe New Century Plattersを結成した。メンバーは、Gene Moore(リード・テナー・1961年のThe Five KeysにMaryland Pierceとともに在籍した)・George Cox(The Avalonsのメンバー)・Joe Odom(バリトン)・Bernard Purdie・Laurie Andersonの5人。Laurie AndersonはThe Love Notes(Holidayレコード在籍)のLucy Cedenoであり、Lucy Rivera(ソロイスト)でもあり、Gary "U.S. Bonds" Andersonと結婚した女性である。The New Century Plattersは1973年にFive Platters社から訴訟されてしまう。Five Platters社は、1956年にBuck Ram(The Plattersのマネージャ)が設立した会社で、グループそのものを組織化するという、当時としては画期的なマンージメント手段で手腕を発揮した。結果、グループはその名前をBernard Purdie's New Centuryに改名せざるをえなかった。80年代になり、彼らはナッシュビルのPhilHampレコードと契約し、アルバム用に十分な作品をレコーディングしたがそれらは未だにリリースされていない。2006年、Bernard Purdieはすでに78歳になっている。James Dozier・George Cox・Maryland Pierceらもほぼ同年代で、James Dozier・George Coxは今もカナダに在住しているが、Rafael Ingram・Bobby Crawley・Ulysses Hicks・Edwin Hallはすでに死去した。Bernard PurdieはLeroy Harrisが1950年にThe Four Beesを去って以降彼に一度も会っていない。James Dozierは80年代後半にJimmy Dooleyという名前でNew Brunswickでバンドメンバーとして活動した。