The Five Sharps

1952年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・クイーンズ
Ronald Cuffey(lead)・Clarence Bassett(tenor)・Robert Ward(tenor)
Micky Owens(bass)・Johnny Jackson

■Stormy weather・Sleepy cowboy(Jubilee-5104)52

The Five Sharps
SP Stormy weather
Jubilee-5104
1952年

代表作Stormy weatherについてこんな逸話が残されている。63年(いわゆるDoo Wop黄金期)にニューヨーク市でTimes Square(Irving 'Slim' Rose設立)がオープンした。ある日、コレクターだったBilly Pensibiniはそれまでに聞いたことのなかったSP盤とニュージャージーで出会う。Stormy weather(B面はSleepy cowboy・Jubilee-5104)だった。彼はこのレコードを交友のあったIrving Roseの店に持ち込み一緒に聞いてみることにした。Irving Roseもその曲を気に入り彼のラジオ番組(WBNXでDJをしていた)Sink or swim with swingin' slim' radio showでさかんにオンエアしリスナーにも評判となっていった。65年6月にIrving Roseは自宅のスタジオにその盤を持ち込みアクシデントにより割ってしまう(彼のペットのテディ(アライグマ)が盤に乗ったといわれる)。いずれにしろIrving Roseはレコードを失ってしまう。次の週に彼は自分の番組でこのことを話し視聴者からこのレコードの買い取りを申し出た。25ドル(SP盤)もしくは50ドル(EP盤)が彼の言い値だった。しかし誰もこのリクエストには応えなかった。毎週金額は上がりついに500ドルに達したがそれでも売人はあらわれなかった。視聴者の一人でコレクターだったBob Galganoは彼のためにTimes Squareのガレージや地下室を捜しまわったものの探し出すことはできなかったといわれている。結局Irving RoseはJubileeにオリジナル盤の再発を求めて訪ねることにした。しかし再びプレスされた80枚とそのマスターさえも、彼が受け取る前に水害によってまたもや消失することとなる。とうとうJubileeはグループに再びレコーディングさせ64年5月にJubilee-5478(B面はMammy jammy)としてリリースされた。一方Irving Roseもその時にはすでに自身のレーベルTimes Squareから4月にStormy weatherをリリースしていた。ただし白人グループThe Five SharksのレコーディングによるものでB面はIf you love me。どちらのリリースもたいしたプロモーションはおこなわれず、話題にもなっていない。オリジナル盤は52年にリリースされていたためチャートにも登場していない。68年にJohn Dunnというコレクターがブルックリンで2番目のSPを発見する。痛みが激しかったためそれをレコーディングスタジオに持ち込み、極力ノイズを削除しテープが作られた。このテープは72年3月に、コレクターマガジンBim Bam BoomがJohn Dunnから購入し再びスタジオに持ち込み、レコーディングエンジニアがおよそ50時間かけてマスターを作成した。72年4月にこのニュースは公表され、この年の後半、オリジナルな形のStormy weather(B面はSleepy cowboy)がBim Bam Boomとしてリリースされた。しかし最初の何枚か(101~103まで)のリリースにはStormy weatherが含まれていなかった。77年8月には3番目のSP盤が発見され、Record Exchanger誌のオークションで2人のコレクターGordon Wrubel・David Hall(Good Rockin Tonight競売会社運営)により3866ドルで共同購入された。Gordon Wrubelによれば、単一レコードに対して支払った額としては最高のものだったという。このオークションでは4番目のSP(こちらはエッジに傷があった)もリストされ同様に売却された。以降、市場にはこの盤は登場していない。一方EP盤はコレクターでバイヤーでもあるVal Shivelyが数年かけていくつかの手がかりを得たものの入手することはできなかった。今では、実際にEP盤が存在するかどうかは疑問であるというのが通説になっている。The Five Sharpsは南ジャマイカ出身のグループで、この地からはThe Rivileers・The Cleftones・The Cellos・The Deltairsらがデビューしている。52年に結成し、The Rivileersと交友が深かった。Pete Le Monier(リード・のちにGene Pearsonに代わりThe Rivileersに加入)・Billy Boatswain(テナー)・Bobby Ward(テナー)・Wilbur 'Buzzy' Brown(テナー)・Robert Brown(ベース)の5人が結成時のメンバー。The Rivileersのメンバーによると、自分達をいつもベンチに座って聞いていた彼等のことを指しThe Bencholeersなどと呼んでいたという。グループは間もなくThe Love Larksに改名し活動を始める。当時オリジナルのDiddle-le-bomという曲を歌っていたがレコーディングされていない。Bobby Wardは他にThe Five Sharpsという同名の別グループにも参加してる。こちらのメンバーは、Ronald Cuffey(リード)・Clarence Bassett(テナー)・Bobby Ward(テナー)・Mickey Owens(Ronaldの従兄弟・ベース)・Tommy Duckett(バリトン・ピアノ・編曲)の5人編成のグループで、彼によるとその活動には満足していなかったという。フラッシング(ジャマイカ北部)のVilla Groveで公演のあった夜のこと、彼らがMy mother's eyesを歌い終わった時、観客のなかの一人の女性が「もう一度歌って」とリクエストした。その女性はBillie Holidayだった。同じ観客の中にOscar Porterもおり、彼は間もなくグループのマネージャーとなった。Oscar PorterはJubileeとの契約を成立させ、そのセッションは彼らのアイドルThe Oriolesの家で行われ、Stormy weather・Sleepy Little Cowboyをレコーディングした。Stormy weather(33年にTed Koehler・Harold Arlen・Cab Calloway共作)はRonald Cuffeyがお気に入りの曲だった。この曲は、33年だけでもGuy Lombardo・Duke Ellington・Ted Lewisらがカバーした人気のあるナンバーだった。後にレビューで披露する予定だったが、Harold ArlenとLeo Reismanオーケストラのバージョンがすでにリリースされてナンバー1を獲得していた。グループのサンプル盤はハーレムのCotton ClubでのレビューのためEthel Watersに渡されたが、彼女がThe Five Sharpsを紹介する頃にはすでにStormy weatherは大当たりしていた。またEthel Waters自身ものちにこの曲をレコーディングし、同じくナンバー1に届いている。ちなみにStormy weatherがヒット曲となったアーティストは43年に同名の映画主題曲としてうたったLena Horneの第21位となっている。またJubileeは歌詞の一部「Since my gal ain't together」を「Since my gal and I ain'ttogether」と変えてくり返し歌わせたが、結局グループはいつも通りに歌ったという。もう一方の曲Sleepy CowboyはRonald Cuffey・Bobby WardがRonaldの車庫で書いた曲で、The Deep River BoysのヒットSleepy Little Cowboy(52年5月リリース)にヒントを得たといわれている。この曲は後年Oscar Porterによってヒットした。2人は他にもDuck-butt dottieという曲も書いた。この2曲は、52年10月中旬にシュガーヒルのスタジオでTommy Duckettのピアノ伴奏のみでレコーディングされ、収録には4時間以上を要したといわれている。52年12月に グループのデビューシングルはリリースされ、You belong to me(The Orioles)・Night's curtains(The Checkers)・Big city(Linda Hayes)・Last laugh blues(Little Esther & Little Willie Littlefield)・Please have mercy on me(Little Richard)らとチャートを競うこととなったものの、ジャマイカのTriboro・Green Lineでわずかなヒットを記録したものの、SP盤からEP盤へと移行していった時代でもあったこの頃にSP盤でリリースを行ったのもヒットしなかった要因の一つとなった。Bobby Wardはグループのレコードについて「アレはクソだ!今でもそう思ってるよ。はっきり言って、ほとんど売れなかった。皆もそう思ったんだろうね。俺はこう感じたんだ、Jubileeのオーディションも受けずにスタジオに入ったのが気に食わないからなのか、会社はたいしたプロモートもなしだった。だから俺達のセッションの出費を取り返そうとOscar Porterに歌わせてだってね」。メンバーは自分達のレコードをJubileeからコピーを受け取ったが、Bobby Wardは恋人にプレゼントしたという。メンバーはそれでも学校や地元のクラブCopa Cityなどで活動を続ける。「俺達はBaby Grandでギグをする予定だった。客は俺があまりに若い(当時は中学生だった)のでビックリしていたよ」とBobby Wardは語っている。彼らの最大のパフォーマンスは52年夏に出演したアポロ劇場のアマチュアナイトショーであった。The LarksのHopefully Yoursを歌い第3位になっている。ちなみにこの時の第1位はThe Five CrownsでYou're my inspirationを歌った。この後しばらくは活動を続けたがやがて解散する。53年秋にRonald Cuffeyは陸軍に入隊し、Bobby Wardは高校に進学した。Tommy Duckettは奏者・編曲者としてThe Rivileersに加入した。Ronald Cuffeyは退役後Clarence BassettとともにThe Videosを結成した。メンバーは、Charles Baskerville(テナー)・Ronnie Woodhall(テナー)・Johnny Jackson(バリトン)の5人で、Clarence Bassettはテナーとベースを担当した。The Videosは58年にCasinoからTrickle trickleをリリースしている。そしてClarence Bassett・Charles Baskervilleはその後Shep & The Limelightsに参加(Daddy's home・61年5月にポップスチャート第2位)している。64年にJubileeは別のThe Five Sharpsと契約し、Stormy weatherの再録盤をリリースした。ちなみにこちらのシングルはコレクター間でかなりの高額で取り引きされている。74年に、突如Stormy WeatherがBim Bam Boomレーベルからリリースされている。これがラジオから流れているのを聞いたBobby WardはBernice(彼の妻)にラジオ局に電話させ、やがてミーティング(Tommy Duckett・Bim Bam Boomのスタッフが参加している)がもたれることとなった。この結果、Bobby Ward・Tommy Duckettは75年にThe Five Sharpsを再結成している。メンバーは、Pete Le Monier(リード)・Wilbur 'Buzzy' Brown(テナー)・Robert Brown(ベース)でThe Love Larksの主だったメンバーが参加した(Clarence BassetはThe Limelitesを去ったのちThe DriftersやThe Flamingosに参加、70年代にThe Creative Funk を結成した)。彼らは、Brooklyn Academy of Musicとして知られるGus Gossert showやボストンのTV局WCVBのGood Day showなどに出演した。Ronald Cuffeyは白血病で70年に、Tommy Duckettは96年5月に死去した。Clarence Bassettは引退しバージニアに在住。