The Charts

1956年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・マンハッタン
Joseph Grier(lead)・Steven Brown(tenor・41.01.09~89.01.20)・Glenmore Jackson(tenor)・Leroy Binns(baritone)・Ross Buford(bass)

■Deserie・Zoop(Everlast-5001)57.01
■Dance girl・Why do you cry(Everlast-5002)57.10
■You're the reason・I've been wondering(Everlast-5006)57
■All because of love・I told you so(Everlast-5008)58
■My diane・Baby be mine(Everlast-5010)58
■For the birds・Ooba gooba(Guyden-2021)59
■Zoop・(Enjoy-1002)
■What's your excuse・Keep dancing with me(Vel V Tone-102)63
■Deserie・Zoop(再発盤・Everlast-5026)63.10
■Deserie・I wanna take you home(Lana-117)65
■Desiree・Fell in love with you baby(Wand-1112)66
■Livin' the nightlife・Nobody made you love me(Wand-1124)66.05

The Charts
LP Greatest Hits
Collectable 5029
1993年
70年代にLP盤としてリリースされていたものをCD化。10曲入り

LP Greatest Hits
Lostnite LN-138
1970年代
Doowopファンにはおなじみの再発専門レーベルLostniteが70年代にリリースしたLP盤。内容は上記CDと全く同じです。

115番街とハーレムのレノックス通りからは多くのグループを輩出している。有名なのがThe Bopchords・The Harptones・The ChannelsそしてこのThe Chartsである。56年に、10代の若者(当時13~17歳だった)がThe Thrilltonesというグループを結成した。メンバーは、Joe Grier・Stephen Brown・Glenmore Jackson・Leroy Binns・Ross Bufordの5人で、地元のステファン・フォスターセンターなどで練習をくり返した。彼らはThe Dells・The Flamingos・The Moonglows・The Drifters・The Harptonesなどに影響を受けた。やがてグループのマネージャーにLes Cooper(元The Empires のテナー)がつき、バンドリーダー的な存在となる。Les Cooperはグループのサウンドを気に入っていたが、名前に関してはそうではなかった。彼はほどなくグループをThe Chartsと命名している。改名したばかりのグループは、アポロ劇場のアマチュアコンテストに参加したが、なかなかうまくはいかなかった。彼等のオリジナルDeserieは他の多くのヒット曲とは異なりブリッジ(いわゆるサビ)がない曲だった。ある時のこと、彼らのリハーサルを聞いたバックバンドのリーダーReuben Phillipsは急遽ブリッジをつけ足したが、これが本番で裏目に出てしまう。結局The Chartsはステージをブーイングとともに降りてしまう、といったこともあったようだ。自分達のまわりのグループの多くがBobby Robinsonのレーベル(Red Robin・Whirlin' Disc・Fire・Fury)のいずれかに所属するようになっていった。Les CooperはグループをDanny Robinson(Bobby Robinsonの兄弟・124番目で電器店を経営していた)と会わせることにした。Danny Robinsonは彼自身のレーベルを始めようとしており、店内の一角に部屋を作りピアノを置いていた。最終的にはDanny Robinsonは彼のEverlast から10曲のThe Chartsをリリースしている。The ChartsのデビューシングルDeserieは、57年5月にリリースされた。これはEverlastとしても最初のレコードだった。この曲は6月10日、To the aisle(The Five Satins)・Mr. Lee(The Bobbettes)・Edna(The Palms)・Go where baby lives(The Strollers)・Happy, happy birthday baby(The Tune Weavers)・Have mercy baby(The Matadors)とともにレビューされた。6月28日、The Chartsはアポロ劇場で1週の公演をスタートさせている。共演は、Donnie Elbert・Ann Cole・The Velours・The Heartbeats・The Jesters・The Sensations・Roy Brown・Charlie & Rayといった顔ぶれだった。7月7日には Deserieがニューヨークでも大ヒットとなっている。さらに8月、シカゴでも売り上げを順調にのばしていった。DesireはThe Blue Angels(Del-Fi・Selma)もカバーした。Deserieの大ヒットでThe ChartsはThe Poconos・The Catskillsとともにフィラデルフィア・ボストンワシントン・ボルティモアで公演を行っている。連続の公演で声を傷めたStephen Brown・Leroy BinnsのパートをJoe Grierが歌わなければならないことも何回かあったという。彼らのツアーにはDanny Robinsonが多忙なためにJohn Bowdenがグループのロードマネージャーとして同行した。彼らは東海岸を中心に公演を行いシカゴのリーガル劇場にも出演している。当時のことをLeroy Binnsは「ハワード劇場でのことさ。僕らがショーの前に舞台裏でぶらぶらしてたら、Joe Grierのヤツが照明用のポールを倒してしまったんだ。さいわいなことにそのポールはとても長かったから、ケーブルに引っ掛かったけど、そうじゃなかったら映画のスクリーンが破れていたところさ。そんな事があったもんだから、アポロ劇場に付いた時にはHoni Coles(アポロのステージマネージャ)に呼ばれて、そんなことは絶対にしてくれるな!って念をおされたよ。」と回顧する。57年9月13日、再びアポロ劇場での公演に参加、今回は、Dinah Washington・Slappy White・Ocie Smith・The Hines Kids(Gregory and Maurice)らと出演であった。10月、Everlastからの2枚目Dance girl(King Curtisがセッションに参加している)がリリースされたがレビューには取り上げられなかった。58年3月You're the reasonをリリース、4月28日に、Jennie Lee(The Dominoes)・Willie and the hand jive(Johnny Otis)・Bewildered(Mickey & Sylvia)・Alligator wine(Screamin Jay Hawkins)・No more sorrows(The Solitaires)・Great googley moo(The Spaniels)らとレビューされている。続いてAllbecause of loveがリリースされたが失敗作となってしまう。彼らの5枚目でEverlast最後のシングルMy Dianeがリリースされたが、前作同様にだめであった。58年、Joe Grierが軍役となり、Glen Jackson・Ross Bufordもグループを去った。残ったStephen Brown・Leroy Binnsは、新たにJohn L. Bruce(テナー)・Joseph Gray(テナー)を加え、60年代はじめにチャートに何曲か送り込んでいる。この新生The Chartsはアポロ劇場に2度出演している。最初は、61年7月28日から始まったAlan Fredericks Old Goldies Showで、出演者はThe Cleftones・The Teenagers・The Cadillacs・The Bobbettes・The Dubs・The Solitaires・Johnnie & Joe・Sil Austin。2度目が、62年2月23日から始まったHal Jackson showに、The Clovers・The Cadillacs・The Hollywood Flames・The Imperials・Charlie & Ray・The Kodaks・The Turbans・Tiny Topsyらと出演した。Joe Grierは退役後Les Cooperの結成したバンドにサックス奏者として参加、62年にヒットしたWiggle wobbleで聞く事ができる。63年、Stephen Brown・Leroy BinnsはFrankie Pierce(テナー)・Tony Harris(テナー)を加え、Vel-V-ToneからWhat's your excuseをリリースした。65年にLanaから DeserieというThe Charts名義のシングルがリリースされている。音源はEverlastのものだが、かなりのバック演奏がオーバーダブされている。裏面はI wanna take you homeという曲で、これはThe Chartsとはまったく関係のないグループによるものだった。66年、WandからDeserieのリメイクともいえるDesireeを含む2枚のシングルをリリースした。彼らはいくつかの郊外へのツアーも行い2つのTVショーにも出演している。このグループはおよそ70年まで継続したが、最終的には解散に至ったため、70年代にさかんに行われたリバイバルショウには顔をだしていない。The Chartsと呼ばれた最後のグループは、80年代初めにStephen Brown・Leroy Binns・John 'Spider' Truesdale(テナー)・Raymond Binns(Leroy Binnsの兄弟・テナー)のメンバーで再結成しおよそ83年まで活動した。Leroy BinnsはJ. R. Bailey・Bobby Phillips・Bobby SpencerらとThe Original Cadillacsとして70年6月にPolydorから In the heart of the ghettoをリリース、その後まもなくBobby Phillipsはグループを去り、Stephen Brown(Schmitzビール・Kools・MarlborosなどのCMで活躍していた)が加入している。Leroy Binnsはその後も、Cornell GunterのThe CoastersやThe Del Vikingsにも参加した。Stephen BrownはCleveland StillのThe Dubsに参加、Joe GrierはThe Del Vikings・The Mellowsでサックス奏者として参加したがStephen Brown・Ross Bufordはすでに死去している。