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47年にゴスペルグループThe Zion Harmonizersとして知られており、のちにThe Delta Southern-AiresとなったグループがThe Spidersの母体となっている。50年代にSmily Louis Fats Dominoを見い出したCosimo Matassaにスカウトされ、Imperialからデビューする。ゴスペル畑からR&Bへの転向をきっかけにThe Spidersと改名した。Hayward Carbo(ニューオリンズのグループで活動していた)・Leonard Carbo・Matthew West・Oliver Howardの4人編成であった。54年1月1日にImperialはグループとの契約を発表し、間もなくI didn't want to do itをリリースし、The Spidersはデビューを果たした。このシングルはAB両面のヒットとなりチャートを賑わす。彼等のニューオリンズ独特のサウンドは、他のボーカルグループとはひと味違い、評判を呼んだ。4月に2枚目のシングルTears begin to flowをリリース、アポロ劇場(ニューヨーク)にCharlie Barnet's Orchestra・Guitar Slim(本名はEddie Jones)とともに1週間公演を行った。Tears begin to flowは南部で好評となり、7月に3枚目のI'm slippin' inがリリースされた。The SpidersはカリフォルニアのナイトクラブへJake Porter Orchestraとともに公演を行い、西部での初出演をした。I'm slippin' inは全米R&Bトップ10にランクインという大ヒットとなった。グループはイーストコーストへ向かい、Charles Brownとともに東部での公演も行った。さらにMmm mmm babyのリリースではミッドウェスト全体でもヒットし全米に名を知られるようになっていった。10月下旬、グループはThe Rhythm & Blues Hall of Fame Showに、Faye Adams・Amos Milburn・Joe Morris Orchestra・Al Savage・The Oriolesらとともにミッドウェストでのツアーに出発した。11月にリリースした21 (Twenty one) も全米チャートにランクインするという快挙であった。55年2月、The SpidersはChuck Willisとともに南カリフォルニアで公演を行い、春にはAm I the oneとJust for a thrillの2枚のシングルをリリースしたが、ともにチャートに失敗となった。10月下旬にレコーディングセッションを行い、Witchcraft(Dave Bartholomew作・Fats Dominoの長年にわたるパートナー)を収録した。この曲はThe Spidersにとって最大の全米ヒットナンバーとなった。しかしこの頃にはメンバーの間での意見の相違が激しくなり、やがてLew ChuddはHayward Carboをソロシンガーとして独立させるという意図のもとに、56年1月にDon't pity meをChuck Carbo and The Spidersとして発表する。次のリリースIn my heartは順調に売り上げをのばしたが、That's the way to win my heartのリリースを最後に56年末にグループは解散に至った。この頃Chuck CarboはImperialに在籍中だったが、Atlanticとソロシンガーとして契約した。Imperialもすでに解散してしまったグループのシングルをリリースした。しかしChuck CarboのソロシングルもThe Spidersのシングルもヒットには至っていない。Imperialは60~61年にかけてもThe Spidersのシングルを発表した。Heyward CarboとLeonard Carboは数枚のシングルをいくつかのレーベルで発表している。