The Five Satins

1953年・コネチカット州・ニューヘブン
Fred Parris(lead・tenor・36.03.26~)・Lou Peebles(tenor・37.~)・Stanly Dortche(tenor)・Eddie Martin(baritone)・Jim Freeman(bass・40.12.~

■Dear one・I've lost(Red Robbin-128)54
■Love doll・Darling I'm yours(Red Robbin-133)54
■True love・Cry baby(Red Robbin-135)55
■Kiss me・Indian fever(Red Robbin-138)55
■All mine・Rosemarie(Standord-105)55
■In the still of the night・The Jones girl(Standord-106)56
■In the still of the night・The Jones girl(Ember-1005)56
■Wonderful girl・Weeping willow(Ember-1008)56
■Oh happy day・Our love is forever(Ember-1014)56
■To the aisle・Wish I had my baby(Ember-1019)57
■Our anniversary・Pretty girl(Ember-1025)57
■A million to one・Love with no love in return(Ember-1028)57
■A night to remember・Senorita Lolita(Ember-1038)58
■Shadows・Toni my love(Ember-1056)58
■She's gone・The voice(Klik-7905)58
■I'll be seeing you・A night like this(Ember-1061)59
■Candlelight・The time(Ember-1066)59
■Wishing ring・Tell me dear(Ember-1070)
LP
■Sing(Ember -100)
■Encore(Ember-401)

The Five Satins
LP The 5 Satins Sing
Ember-100
1957年

LP The Five Satins
Encore
Ember-401
1960年

LP Black Satin
Buddah BDS-5654
1976年

LP Fred Parris and
The satins
Elektra 60152
1982年


一枚目の「Sing」はジャケット違いがあと二つあってそちらも人気です。CDはいろんな会社からたくさん出ています。ビッグネームなグループなので探すのに困ることはまずないですね。

永遠の名作In the still of the niteのリードボーカルを担当するFred Parrisを中心に、コネチカット州のニューヘブンで結成された。Fred ParrisはThe Canaries(結成年不明)に在籍していたが、グループの音楽スタイルとの相違から脱退、53年の秋、ヒルハウス高校の級友だったSylvester Hopkins(38年生)・Bill Powers・Nate Mosley・Al DenbyらとThe Scarletsを結成する。Fred Parris(当時17歳)は、すでに2つのバラードDear one・I've lostを書き上げていた。彼はマネジャーの仕事を担当、レコード会社を訪問するためにニューヨークへ出かけ、ハーレムにあったRed Robin(Bobby Robinson設立)のDan Robbin(Bobby Robinsonの兄弟・のちにEverlast設立)に認められ契約に成功した。Red RobbinはすでにThe Mello-Moods・The Vocaleers・The Du Droppers・The Vellvetsらと契約しており、ニューヨークでは中堅のレーベルだった。Red RobbinからDear oneでシングルデビュー、AB両面ともFred Parrisの作品であった。Dear oneは地元で徐々に売れはじめ、多くのステージに出演するようになり、ハドソン川で行われた公演には、The Vellvets・The Cadillacsと共演している。7月下旬には、シカゴでもセールスを伸ばし、特にロサンジェルスでの売れ行きは勢いのあるものとなり、全国的なヒットとなった。レコードの成功でRed Robinの名前も人々に知られていった。しかし、54年のLove dollは失敗となった。2月にTrue Loveをリリース、B面のCry babyが、The Bonnie Sistersによって、およそ1年後にカバーされ、ヒットしている。また、Sam 'The Man' TaylorのAlan Freedとのライブ盤もリリースされ、Fred Parrisはわずかな著作料を受け取った。55年なかば、メンバー全員が軍隊に召集され、各地へ配属された。同年の秋に、最後のセッションのために再びRed Robbinに集合し、Kiss meをリリース。グループはこの曲を最後に再び軍隊に戻り解散してしまう。数年後にFred Parrisはインタビューで「The Scarletsの全レコードの売上は、100万枚近くあったが、たった35ドルの小切手しか受け取っていない」と語っている。実際のところ50年代に活躍したR&Bグループのほとんどが、同じような扱いを受けている。陸軍にいたFred Parrisだが、週末にはニューヘブンの自宅に戻ることができた。彼は週末には必ずどこかで歌い、新しいメンバーに出会う機会を作っている。彼はこの兵役中にIn the still of the niteを作曲している。56年(兵役中)に、Lewis Peeples(37年生)・Ed Martin・Stanley Dortch・Jim FreemanらとともにThe Five Satinsを結成する。この頃知り合ったStandordの社長の目にとまり契約、All mineを発表する。当時Standordはスタジオを持っていなかったため、地元のBernadette教会の地下でレコーディングした。2作目発表の直前、Lewis Peeples・Stanley Dortchが抜け Al Denby(元The Scarlets)が加入し4人編成となっている。そして名作In the still of the nightを発売し、その年の後半にトップ40で第24位に達した。このヒットに注目した同じニューヨークの大手配給会社のHeraldは傘下のEmberから全国的に供給し、ポップチャート第25位・R&Bチャート第3位に達する大ヒットとなり、アポロ劇場やAmerican Bandstandにも出演している。(ちなみにIn the still of the niteはArt Laboeの編集したアルバムOldies But Goodiesのリリースで再びポップチャートトップ100にランクイン、2度にわたるヒットによりグループの人気は上昇し、60年にリリースしたI'll be seing youがその年の夏にポップスチャートに登場、61年にIn the still of the niteが再びポップチャートに入っている)。このヒットの最中Fred Parrisが日本に配置(56年9~12月)、残るメンバーも何人かが配属され、グループの活動が不可能となったHeraldは、急遽Bill Baker(36.06.05~94.08.10)をリードボーカルとして、Eddie Martin・Jim Freeman・Tommy KillebrewというメンバーによるThe Five Satinsで、57年にEmberからTo the aisleをリリースし、夏にR&Bチャート第10位・ポップチャート第25位を記録した。一方Fred Parrisは58年に退役し、KlikからThe ScarletsとしてShe's gone with the wind(B面はThe voice)をリリースした。メンバーは、Fred Parris・Sylvester Hopkins(元The Scarlets)・Lewis Peeples(元The Five Satins)・Rich Freeman(元The Starlarks・テナー・40年生)・Wes Forbes(テナー・37.~)の5人。しかしこの曲はヒットにはいたらず、再びHeraldへ復帰し、The Five Satinsとして再出発する。Bill Bakerは、59年にグループを抜けThe Chestnutsに加入し、60年代初期にグループは解散している。60年代を通じて、Fred Parrisはアメリカ・ヨーロッパの各地でオールディズレビューに出演し、First・Club・UA・Chancellor・Warner Brothers・Roulette・Times Square等を転々としながらもレコーディングをおこなったようである。69年、新しいメンバーとともにグループを再結成、70年にBeen down so long, it looks like up to meに出演。73年にはLet the good times rollに出演し記録映画も上映されている。74年にはKirsnerと契約し、シングルTwo different worldsをリリースした。82年、Fred Parris and The SatinsとしてElktraからMemories of days gone byというメドレーをリリース。In the still of the nite・Tears on my pillow・Earth angelなどが歌われ、ポップチャート第71位となり、グループとして最後のヒットとなった。ちなみに彼の歌には800ドル程度の金しか支払われていないという。80~90年代にかけて、Fred ParrisはThe Five Satinsをリードしながらアメリカ・ヨーロッパでのライブを定期的におこなった。また、かつてグループに在籍していたメンバーも自身のFive Satinsを結成しており、Fred ParrisのいないThe Five Satinsの録音やデュエットものまである。