The Laddins

ニューヨーク州・ニューヨーク
Sylvester 'Sonny' Johnson(lead)・Ernest 'Mickey' Goody(tenor)・Earl Marcus(tenor)
John Marcus(baritone)・Robert Jeffers(aka Bobby Jay・bass)

■Did it・Now you're gone(Centra-2602)57
■Yes, oh baby yes・Light a candle(Gray Cliff-721)59
■She's the one・Come on(Isle-801)60
■Oh how I hate to go home・There once was a time(Theatre-111)61
■Try, try again・Tht's what you do to me(Groove-4 5)62
■If you need me I'll be there・I'll kiss your teardrops away(Angie-1709)62
■Push, shake, kick, and shout・(Angie-1003)63
■Push, shake, kick, and shout・(Bardell-776)63
■Dream baby・Dizzy Jones birdland(Butane-779)64

The Candles
LP Radio WWRL’s
Bobby Jay presents
Relic 5018
1979年

50年代中ごろに活動したハーレム(ニューヨーク市)出身のグループでThe Pastels(ワシントンやシカゴとは別のグループ)と名乗った。このグループが母体となった。メンバーチェンジをくり返し、シカゴに同名のグループがいることを知りThe Laddinsと改名した。レコーディングキャリアは57年から64年ごろまでにわたった。オリジナルメンバーはDavid 'Pinky' Coleman・Ernest 'Micky' Goody・Early 'E. J.' Marcus・John Marcusの5人。57年にベースシンガーのBobby Jayが加入し6人編成となったが、グループのポロモーション写真撮影をすでに終えたのちのことである。このため、公式なグループ写真には彼は写っておらずカルテットとして知られた。57年にCentralと契約しDid itでシングルでビューした。Bobby Jayの後年のインタビューではこの作品はハーレムの粗雑なスタジオというより店内に近いという最悪のコンディションでレコーディングされたという。58年にはMa baby's left me・I'm falling in loveをリリースしたが、いずれもヒットしなかった。やがてブロードウェイのブリルビルで働くJack Hookと出会い、彼の紹介により翌59年にGery Cliffに移籍しYes oh baby yesをリリースしたが、こちらもヒットしなかった。ここではEternally・So long darlingもレコーディングしたが未発表のままであった。続いて60年にIsleへ移籍しCome onをリリース、結果は同様で、同時にレコーディングしたA certiain kind of loveも未発表となってしまう。この時Gray Cliffはグループのシングルをリリースしている。60年にグループは再びCentralと契約しツアーも開始している。間もなくCentralはグループのマスターをSlim(Times Squareの子会社)に売却しDid itが再発されている。この再発に関してはグループへはまったく金銭が支払われなかったという。グループの最も人気が高かったシングルは、61年にTheater(Laulieの配給会社)と契約してリリースしたOh how I hate to go homeだったが、このレーベルは非常に短期間で倒産した。なおこのレーベルでも7曲もの作品が未発売のままである。同61年にリードシンガーのSylvester Johnsonがグループを去りDavid Colemanが加入した。62年にはI'll kiss your teardrops awayをAngieから、Try, try againをGrooveからリリースしたがこれも売れなかった。失意のうちに同92年冬にグループはニューヨークを離れマイアミ(フロリダ州)へ活動拠点を移した。63年には、Angieでの作品Push, shake, kick and shoutをBardellが再発している。The Laddinsはメンバーの一新を行い、新たなリードシンガーYvonne 'Frankie' Gearing(在籍当時はEddie 'Califolnia' Jonesという名前を使った)をはじめとする、Alfred Ellis・Dizzy Jones・Ernest Goody・Ernest Marcusという顔ぶれとなった。Bobby Jayは兵役のために参加することができなかった。心機一転したグループはThe SteinwaysとしてButaneと契約しDream babyを64年にリリースした。MotownのThe ElginsやフィラデルフィアのThe Formations的なサウンドであった。一方兵役を終えたBobby Jayは、ニューヨークのWWR・WCBSといったFM局をはじめ、オーガスタス(ジョージア州)メンフィス(テネシー州)・ニュアーク(ニュージャージー州)などでDJとして活躍している。ビルボード誌は、77年に「年間Air Personality」に彼を選出し名誉を与えている。彼はまたオフブロードウェイで役者として演じたり、トークショウのホストをつとめたり、レコードプロデューサーとしても活動している。Lewis Lymonとともに再結成したThe TeenagersのメンバーとしてJimmy Castor・Jimmy Merchant・Herman Santiagoとともに時折ステージに立っている。Frankie GearingはThe Coads・The Steinways(Goody・Marcusの兄弟もメンバーである)・The Glories・The Quiet Eleganceなどにも在籍し、ソロシンガーとしてもレコーディングし、故郷のペーターズバーグ(フロリダ州)ではいまでも人気の高いエンタテイナーである。David Colemanはすでに死去した。Alfred 'Pee Wee' EllisはJames Brownのバンドのサックスプレヤーとして活躍した。