The Jumpin Jacks / The Romeos

1942年・ノースカロライナ州・ウィンストンセーラム
Eli Spillman(tenor)・James Little(baritone)・Frank Wilson(baritone)・Daniel McGill(bass)

The Jumping Jacks
■Do let that dream come true・Why oh why(Lloyds-101)53.05
The Romeos
■I beg you please・Love me(Apollo-461)54.08

The Jumpin Jacks
45s Do let that dreams
come true
Lloyds-101
1953年

ウィンストンセーラム出身のグループで、同地出身ではThe Five Royalesが有名で彼らの名前をつけた通りもある。またThe Casanovasのメンバーの何人かも同じウィンストンセーラムに住んでいる。そうした地元グループのひとつがThe Jumping Jacks(のちにThe Romeosとなる)である。The Jumping Jacksは、第二次世界大戦(42~43年)の頃よりウィンストン北部のボストンでDaniel McGill(ウクレレ奏者)を中心に、Eli Spillman・James Little・Frank Wilsonの4人で結成し音楽活動を始めた。メンバーはEli Spillmanが18歳、Daniel McGillはすでに30歳代という年齢の幅があった。最年長のDaniel McGillはベースだけでなく、グループのマネージャーも担当していた。非公式なメンバーとしてFrank Wilsonの兄弟のJesse Wilsonも参加しており、彼はメンバーがライブに参加できない時の臨時メンバーである。グループは特にジャイブソング(ノベルティに近いもの)を好んだことからThe Jumping Jacksと命名した。グループのお気に入りはThe Ink SpotsやThe Mills Brothersであった。彼らはDaniel McGillが書いた歌を含めて毎週末に練習をくり返し、やがて地元のLincolnやLafayetteといった映画館やクラブでライブを始め、アマチュアショウにもたびたび挑戦するようになる。時にはBowman Gray Stadiumでもプレーした。51年頃にClyde Hines(ピアニスト・Daniel McGillの友人)がグループに加入しおよそ2年間在籍した。メンバーが一緒に歌いはじめて10年ほどたっていたがシングル1枚すら出す事ができなかった。そこでDaniel McGillはニューヨークへ赴きレコード会社の訪問を始め、ようやくApolloでのオーディションを受けることが決まった。The Jumping Jacksの唯一のセッションが53年4月27日にニューヨークで行われ、Do let that dream come true・Why oh why・Julocka-Jolly・Long haired raggedy rascalを収録した。Clyde Hinesもこのセッションにピアノで参加している。53年5月にDo let that dream come trueでLloyds(Apolloの子会社)からシングルデビューをはたした。53年6月20日のレビューに、Knock him down whiskey(Sugar Ray Robinson)・Get it(The Royals)・The deacon don't like it(Wynonie Harris)とともに取り上げられ、評価もよかった。同週のレビューでは推薦盤としてI'll cry no more(The Crickets)・If I can't have you(The Flamingos)が掲載されている。The Jumping Jacksのシングルは、地元で順調に売り上げを伸し、またDaddy-O(WAAA局のDJ)によってさかんにオンエアされた。グループはWAAAとWSJSのラジオショウに出演しライブを行っている。しかし、Apolloは大きなプロモーションを行う事ができなかった。そのためグループは一度もツアーを行っていない。デビューシングルは全米チャートでの成功に失敗したメンバーは、喜劇や道化よりも正統なグループとして売り出すことを望み、54年の早くにThe Romeosと改名した。ちなみにこの改名後の50年代後半には、Bruce・One-O-One・Capitol・DeccaからThe Jumping Jacksという同名グループの作品がリリースされているが本稿のグループではない。改名の直後にClyde Hinesはグループを去っている。当時のDaniel McGillは、The Five Royalesのメンバー達のすぐ近くに住んでおり、この2つのグループは一緒にリハーサルをすることもあったという。54年7月16日にThe Romeosの唯一のセッションが行われ、I beg you please・Love me・Somebody's been plowing my mule・Oh baby ohを収録した。セッション後の54年8月、ApolloはThe Romeosとの契約を公表し、彼らを新しいグループだと宣伝している。Apolloにとっても1作目の失敗がありお互いに都合が良かったといえる。同月にI beg you pleaseが、今回はApolloからリリースされ、54年9月18日のレビューに、The real thing(The Spiders)・Bless you(The Chords)・Give it up(The Hawks)・Eternal love(The Heralds)・The wind(The Diablos)・Boot 'em up(The Du Droppers)・Native girl(The Native Boys)らとともに取り上げられたが、平均点の作品と評された。心機一転、改名してのリリースだったがこのシングルもまたセールスに失敗となってしまう。この頃からメンバー間の意見の衝突がはじまり、メンバーの何人かはゴスペルへ転向、まもなくThe Romeosは解散してしまう。「俺達はいいハーモニーを造りだせたんだ。でも、いい歌に出会わなかったのさ」とJames Littleは後年に述べている。グループの取り上げたすべての歌はDaniel McGillの作品だったが、そこには「新しい何か」がなかった。またグループと親しかったThe Five Royalesに比べあまりにも流行遅れであった。