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Goodnite It's
The Spaniels有名なR&Bレーベルのひとつ、Vee-Jayを世に知らしめたのがThe Spanielsのサウンドである。ルーズベルト高校の生徒がグループを結成する。メンバーは、Ernest Warren・Opal Courtney Jr.・Willie Jackson・Gerald Gregoryの4人。無名のカルテットは、学友のJames 'Pookie' Hudsonの歌声の素晴しさを知り学校で開催されるショーで一緒に出演するように誘った。52年に行われたこのクリスマスショーにPookie Hudson and The Hudsonairesとしてステージに立ち、このグループが母体となった。第11期の卒業生となったグループは、Pookie Hudsonの書いたBaby it's youなどを練習し地元の教会やタレントショウへの出演などで活動を開始。やがてPookie Hudsonの滑らかでかすれたような歌声は評判となっていく。ある日、Gerald Gregoryの妻はグループを評して「まるで犬の群れのようだわ」と言った。グループは新しい名前を考慮中だったが、鳥の名前(当時の流行のひとつで、バードグループといった表現もされる)にはしたくなかった。グループは彼女の言葉にヒントを得て、The Spaniels(コッカ・スパニエルからきている)と命名した。54年の春、グループは地元のWWCAにあるレコード店を訪ずれた。この店はJames Bracken・Vivian Carterが経営しており、なにか新しい事業を始めようと思っていた二人にとって、グループの歌は、自分達のレーベルを始める決心をさせることとなった。やがて2人のイニシャルからVJ(Vee-Jay)を設立する。Vee-Jayはシカゴに拠点を移し、53年5月5日にBaby it's youとBounceをレコーディングした。53年7月にVee-Jay 101としてリリースされ、跳ねるようなバラードピアノとベース・美しいメロディーラインはその後のOh my darling(The Capris・54年)・So strange(The Jesters・59年)などを生み出すレコーディングの基本の一つとなった。Baby it's youはシカゴを中心に売り上げを伸ばし、ラジオでもさかんにオンエアされやがて大手のChanceがグループに興味を示した(後年Vee-Jayは、Chanceのすべてのマスターを所有しリリースすることになる。9月5日には、ナショナルR&Bチャート第10位・ジュークボックスチャート第10位の世界的大ヒットとなった。グループは、中西部のR&Bグループとして最初の成功者となった。次の作品The bells ring outは、地元で評判になっただけで終わってしまう。この頃からグループは、ステージにおいて、リードボーカルがマイクを持ち、他のメンバーはステップを踊るといった「見せる」工夫に重点をおきはじめている。54年3月に名作Goodnight, sweetheart, goodnightをリリース。ビルボード誌は「ポップな断片がいっぱい詰まった作品となっている。ベースシンガーの、まるでサックスを真似たようなボーカルは、この曲をより一層盛り上げている。グループの強力なシングルとなるだろう」とレビューした。ちなみに70年におこなわれたPookie Hudsonへのインタビューで「Gerald Gregoryはサックスを真似たわけじゃないんだ。どちらかと言うとうまく歌う事に一生懸命だっただけさ」と述べている。この曲も大ヒットを記録したが、The McGuire SIsters(黒人グループのカバーを数多くリリースし、ヒットさせている)がカバーをリリースし、白人マーケットで売り上げを伸ばし、第7位を獲得している。グループのシングルも54年の夏にはR&Bチャート第5位でピークに達した。次のシングルLet's make up(Pookie Hudson作)をリリース。B面はのちにWalter Schumannのヒット曲The ballad of Davy Crockett(55年・第14位)のB面に収められた。54年6月11日、グループ最初の公演をニューヨークのアポロ劇場でおこなった。Joe Turner・Arnett Cobbのオーケストラとの共演で、長期にわった。8月には、The Drifters・The Counts・Erskine Hawkins・Roy Hamilton・King Pleasureらとミッドウエストで開催されたBiggest R&B Showに、9月12日にはブルックリンのパラマウント劇場に出演している。55年5月にDo wahをリリースしたが失敗に終わっている。しかし次のYou painted picturesのリリースで見事チャート(10月・R&Bチャート第13位)に返り咲いた。この頃、Opal Courtney Jr.が徴兵によりグループを去った。Cal Carter(Vee-JayのA&R担当)は数カ月にJames 'Dimples' Cochranをメンバーとして補充した。続けて、Ernest Warrenが徴兵され、グループはカルテットとしてレコーディングを続けた。False love・Dear heartとリリースしたが、グループは全くヒットを出す事ができなくなっていった。レコードが売れない中、Pookie HudsonとWillie Jacksonはグループを去っていった。メンバーは、Carl Rainge(リード)・Gerald Gregory(ベース)・James Cochran(バリトン)・Don Porter(テナー)となり、56年に1枚のシングルSince I fell for youを残している。57年にPookie Hudsonが復帰し、Peace of mind・Everyone's laughing(ともに57年7月にポップチャート第69位)やTina、そしてStormy weatherといった名作を発表していく。58年にPookie Hudsonはワシントンのカスバ・クラブでThe Nightingalesとともにゴスペルシンガーとして出演している。The Nightingalesは、The twistという曲を持っていたがあまりにも非宗教的な歌であることから、この曲をグループにレコーディングしないかと申し出ている。しかしグループはこの曲を取り上げなかったが、のちにHank Ballardが取り上げて大ヒットすることとなった。Chubby Checkerのヒットが先にあれば、グループもレコーディングしていただろうといわれている(The Nightingalesは すでにHank Ballard and The Midnightersの演奏をリリース前に聞いていたが、どのような経緯でこの曲を持つようになったのかは不明)。60年、グループはPookie Hudson・Ernest Warren・Gerald Gregory・Bill Carey・Andy McGruder(元The Five Blue Notes・Sabre)となり、Vee-Jayでの最後のシングルI knowをリリースし、その夏にR&Bチャート第23位となった。61年にAndy McGruder・Gerald Gregoryが脱退し、Neptuneへ移籍。For sentimental reasonsのレコーディングには、Ricky Burden(グループのロードマネージャ)がベースシンガーとして参加した。Pookie Hudsonは数枚のソロシングルをJamieからリリース後、62年に、Little Anthony独立後のThe ImperialsをバックにDouble-L(Lloyd Price設立)からI know, I knowをリリースした。60年代の後半Pookie Hudsonは、自身のNorth Americanを設立し、Fairytales(再びThe Imperialsをバックに使っている)を発表し、70年にCalla(Nat McCalla設立)からリリース(配給はRoulette)され、同年の秋にはR&Bチャート第45位にランクインし、彼の最後のチャートシングルとなった。North Americanは70年代の初めに、新しいThe Spanielsのシングルを2枚リリースしている。メンバーは、Pookie Hudson・Charles Douglas(テナー)・Alvin Wheeler(テナー)・Alvin Lloyd(バリトン)・Pete Simmons(ベース・グループの前のギタリスト)。Charles DouglasがAndrew Lawyer(元The Truetones)と交代し、BuddahからGoodnight, sweetheart, goodnightをリメイクした。74年にCanterbury(Henry Farag設立)から、Pookie Hudson・Carl Rainge・James Cochran・Don PorterのメンバーでPeace of mind(B面はShe sang to meとアカペラバージョンのDanny boyが収録された)をリリースし、これがグループ最後のシングルとなった。