The Hornets

1951年・オハイオ州・クリーブランド
James 'Sonny' Long(lead)・Johnny Moore(tenor)・Ben Iverson(baritone)・Gus Miller(bass)

■I can't believe・Lonesome baby(States-127)53.11
■Wedding day・Jamaica farewell(Way Out-)62.
■Fools rush in・Love me(Way Out-)62.

The Hornets
45s I can't believe
States-127
1953年

51年にCentral High School(クリーブランド)の生徒だった、James Long・Johnny Moore・Ben Iverson・Gus Millerの4人が結成したThe Mellowtonesが母体となる。まもなくJohnny Mooreがグループ名をThe Hornetsと改名している。Sonny Turnerの在籍したThe Metrotonesに似ていたからという理由であったと言われているが、実際にはThe Metrotonesより先にThe Hornetsはレコーディングを行っている。グループは主にThe DominoesやThe Oriolesのヒット曲をカバーして練習し、クリーブランド・シンシナティ・シカゴ・デトロイトなどのクラブや映画館・ジムでの週末ライブに出演で活動を行っていた。53年夏に地元のスケートリンクでのライブを見たLeonard Allen(States設立・シカゴ)はグループをレコーディングセッション招くこととなる。8月12日(当時はまだThe Mellowtonesと呼んでいた)グループはシカゴに向かい、I can't believe・Lonesome baby・You played the game・Ridin' and rockin'・Big city bounceをレコーディングしている。このセッションでのレコーディング記録にはCleveland Quartetと記載されている。この頃にグループ名の変更がすでに考慮されていたと推察できる。またStatesの発案の可能性もある。しかし誰もグループに名前を尋ねようとしなかったというのも不思議な話である。53年11月、グループはI can't believeでシングルデビューを果たした。このシングルは12月19日に、Saving my love for you(Johnny Ace)・TV mama(Joe Turner)・That's it(The Royals)・Cherry(The Diamonds)とともにレビューされた。このレコーディングセッション後、Gus Millerがグループを去りBill Brent(ベース)が加入している。またリードボーカルをJames LongからJohnny Mooreへの交代も思案されていた。しかしこの交代が行われる前にThe Hornetsはある出来事を迎えている。54年8月6日にクリーブランドで行われた、Gale Agency主催のツアーにThe Driftersと共演するのであった。当時のThe Driftersは、Little David Baughan(リード)・Gerhart Thrasher(テナー)・Andrew Thrasher(バリトン)・Bill Pinkney(ベース)・Jimmy Oliver(ギター)というメンバーである。オリジナルメンバーだったClyde McPhatterはこの時すでに徴兵されている。Johnny Mooreは楽屋でBill Pinkneyと話し、The Driftersの将来について色々と質問を投げかけた。この日はなにも起らなかったが、54年のサンクスギビングの週にThe Driftersは、Arthur Prysock・Annie Laurie・Wilbert Harrison・Paul WestonオーケストラとともにCircle Theater(クリーブランド)へやって来た。Johnny Mooreは再びBilly Pinkneyを訪れ、The Driftersの南部ツアーのパックメンバーのオーディションを受け、翌日The Driftersへの加入を知らされた。The Driftersは2人のテナーシンガーを得ることとなった。加入直後のThe Driftersは、Little Daveが主にA面(Money honeyなど)でリードをとり、Johnny MooreはB面(GoneやThe way I feelなど)を歌っている。Johnny Mooreが雇われた理由のひとつに、Little Daveの飲酒癖が言われている。メンバーは彼を恐れていたともいわれている。55年3月、Johnny Mooreは正式にThe Hornetsを抜けているが、この当時すでにThe Hornetsは解散状態であった。55年8月、The DriftersのロードマネージャーPercy Livingstonは、Johnny Mooreにリードボーカルを担当させることを決め、その数カ月後にLittle Daveは解雇されている。Johnny Mooreはクリーブランドのマイナーグループのセカンドリードボーカルから一躍有名なThe Driftersの公式リードボーカルへと出世したのである。Johnny Moore自身は、ファンに受け入れられるまでにおよそ1年かかったと語っている。60年代初頭に、Ben IversonはLester Johnson(テナー)を迎えて新しいThe Hornetsを結成する。62年、グループはWay Out(Lester Johnson設立)から2枚のシングルをリリースしたが、ヒットになることもなく解散してしまった。ちなみにFlashにもThe Hornetsというグループがいたが、本稿とは別のグループである。Johnny Mooreは、57年11月までThe Driftersに在籍したが、60年にJohnny Darrowとしてソロとして独立している。Johnny Darrow名義ではMelic・Sueから数枚をリリースしている。しかし63年4月に再びThe Driftersに復帰した。63年の5月にAtlanticはThe DriftersのリードシンガーであったRudy LewisのソロシングルI've loved you so long(B面はBaby I dig love)をリリースしたいるので、Johnny Mooreの復帰はある意味ではマネージメント上の保険といえるかも知れない。Rudy Lewisは64年5月に死去するまでThe Driftersのリードを担当し、Johnny Mooreはその後のグループを継続する。66年半ば、Johnny MooreはThe Driftersのベースシンガーとして元The HornetsのBill Brentを加入させている。彼の声は同年10月に行われたBaby, what I meanのセッションで聞ける。Johnny MooreはThe DriftersでAdorable・Ruby baby・Soldier of fortune・I gotta get myself a woman・Sadie my lady・It was a tear・Fools fall in love・Yodee yakee・Souvenirs・Hypnotized・I know・If you don't come back・I'll take you home・Didn't it・One way love・Under the boardwalk・He's just a playboy・I've got sand in my shoes・Saturday night at the movies・Spanish lace・The christmas song・I remember christmas・In the park・At the club・Quando, quando, quando・I wish you love・Tonight・More・What kind of fool・The good life・As long as she needs me・Desafinado・Who can I turn to・San Francisco・Temptation・On the street where you live・Answer the phoneなど数多くのリードを歌い一時代を築いた。Johnny MooreはThe DriftersがAtlanticレコードから去ったあともグループに在籍し、70年代の初頭にはイギリスへ移住したが、70年代~90年代にわたりグループとともにステージに立ったが98年12月30日に死去した。