The Strangers

1952年・ニューヨーク州・ブルックリン
William Clark(tenor)・Pringle 'Yeoman' Sims(renor)・Bernard Jones(baritone)・Woodrow Jackson(bass)・Seifert 'John' Brizant II(piano・arranger)

■My friends・I've got eyes(King-4697)54.01
■Blue flowers・Beg and steal(King-4709)54.04
■Hoping you'll understand・Just don't care(King-4728)54.06
■Drop down to my place・Get it one more time(King-4745)54.10
■Dreams came true・How long must I wait(King-4766)55.01
■Without a friend・Think again(King-4821)55.08

The Candles
45s My friends
King-4697
1954年

52年にプットナムのトプキンスアベニュー(ブルックリン)で結成された。メンバーはWilliam Clark・Pringle Sims・Bernard Jones・Woodrow Jackson・Seifert Brizant IIの5人が結成した。全員がミドルティーンであった。1年後にBernard Jonesが抜けJohn Grant(バリトン)が加入した。グループのお気に入りはThe Swallowsで盲目的に崇敬したといわれ、Dearest・Eternally・Tell me whyなどはレパートリーとして特に好んで取り上げていた。またThe Strangersは、グループの持ち歌の大部分を自作していたグループでもあった。メンバーが青年期であったことを考慮しても、グループは忘れがたい歌詞を書いており、これらがKingレコードでレコーディングされた時にR&Bのクラシックとなるのであった。The Strangersは、いよいよレコーディングへ臨もうと決意し、The SwarrowsのホームレーベルであったKingへ交渉を持ち込んだ。William Clarkはニューヨークへ向かい、KingオフィスでHenry Gloverに会っている。Henry Gloverは46年にKingに入社し、Buddy Johnson・Willie Bryant・Tiny Bradshaw・Lucky Millinderなどを育てた人物で、入社以前から作曲家・プロデューサー・A&Rとしても活躍している。53年当時のボーカルグループ人気に伴い、Kingでもいくつかのグループ確保を行うこととなっていた。こういった背景のもと、Henry GloverのもとへThe Strangersが訪れて来たのであった。グループを気に入ったHenry Gloverは、53年12月28日にThe Strangersの最初のセッションを行ない、My friends・I've got eyes・Blue flowers・Beg and stealを収録した。54年1月に、KingからMy friendsでデビューを果たしたが、このシングルはレビュー誌には送られていなかったために取り上げられることはなかった。しかしそれにもかかわらず4月17日にはフィラデルフィアで、5月8日にはシンシナティ(Kingの本拠地である)で、6月26日にはニューヨークでそれぞれヒットチャートにランクインするという大ヒットとなった。54年4月、KingはさらにBlue flowersをリリースする。今回は5月22日にI feel so bad(Chuck Willis)・Forever(The Rivileers)・Good news(The Hawks)・Darling I know(The El Rays)・I'm a wine drinker(The Bards)らとともにレビューされた。6月25日、スタジオに戻ったThe Strangersは、Hoping you'll understand・Drop down to my place・Just don't care・It's too badをレコーディングし、5日後にはHoping you'll understandがリリースされた。これは8月28日に、Annie had a baby(The Midnighters)・You hear(The Lamplighters)・No there ain't no news today(The Penguins)・Please tell me so(The Cherokees)らとレビューされている。The Strangersが出演したのはニューヨークとニュージャージーだけであった。アポロ劇場のアマチュアショウで準優勝し、Georgie Hudson(DJ)の開催したパッケージショウにも出演。このショウはパラディウム・Baby Grand(ブルックリン)で行われたが、グループのライブの多くは地元のクラブであった。マネージャーを持たなかったThe Strangersではそういった公演場所がほとんどであり、トップクラスの映画館やツアーは行う事ができなかった。グループの3回目のセッションが54年8月13日に行われ、Have fun・Dreams came true・How long must I wait・Get it one more timeを収録した。54年10月に、KingはDrop down to my placeをリリース、それまでのシングルはバラードとリズムナンバーのカップリングだったが、今回は両面共にダンスナンバーであった。このシングルは10月30日に、Crazy chicken(The Five Jets)・Annie's aunt fannie(The Midnighters)・Yum yum(The Lamplighters)・Eternal love(The Rivileers)・Black diamond(Roy Brown)・Put some money in the pot, boy(Louis Jordan)・Vadunt-un-va-da song(The Ramblers)・Soft, sweet and really fine(The Five Dukes of Rhythm)らとともにレビューされている。55年1月には、Dreams came trueをリリースし、2月5日に、Close your eyes(The Five Keys)・Ko ko mo(The Flamingos)・Ko ko mo(The Charms)・I love you mostly(The Orioles)・No chance(The Cadillacs)・Tired of your sexy ways(The Four Jacks)・You didn't learn it at home(The Five Royales)・Baby let's play house(The Thunderbirds)・I thought you'd care(The Gems)らとレビューされた。The StrangersのKingでの最後のセッションは55年6月15日に行われ Without a friend・Think againを収録、8月にリリースされ、8月13日のレビューではShip of love(The Nutmegs)・Two strangers(The Marigolds)・Women about to make me go crazy(The Five Royales)・Tell me darling(The Gaylarks)・W-P-L-J(The Four Deuces)・When you dance(The Turbans)・The bible tells me so(The Coronets)・Please be mine(The Casanovas)とともに取り上げられている。The StrangersはKingに約1年半在籍し6枚のシングルをリリースしたが、いずれも商業的な大きな成功といえるほどのものは出せなかった。グループの人気は50年代よりもむしろ60年代のオールディーズリバイバルブームの頃の方が大きいものであった。55年、The Strangersはグループのサウンドをより近代的なものへと変化させていったが、結局このことが彼らの崩壊へ導くこととなった。彼らにとって新しいスタイルであったが、時代に合わず成功をするにはあまりにもわかりにくいもの、つまりコマーシャなサウンドではなかった。60年代初頭、John GrantはThe Vanguardsへ加入し、Ralph Kiner(Pittsburgh Piratesという球団の選手からアナウンサーとなった人物)がマネージメントを担当したが、野球シーズンが始まったとき彼はアナウンサーに復帰し、結局このグループも解散に至っている。William ClarkはThe Spanielsのバックバンドのドラマーとなったのち、The Flamingosのメンバーとし72年にGolden teardropsのリメイクでリードを歌っているが、96年に死去した。John Brizantは作曲家・アレンジャーとして音楽界での成功を成し遂げた。