The Checkers

1951年・ニューヨーク州・ニューヨーク
John Carnegie(lead)・Charlie White(lead)・Joe ―(baritone)・Bill Brown(bass)

■Frame in my heart・Oh oh oh baby(King-4558)52
■Nights curtains・Let me come back(King-4581)52
■My player tonite・Love wasn't there(King-4596)53
■Ghost of my baby・I wanna know(King-4626)53
■You never had it so good・I promise you(King-4673)54
■White criffs of Dover・Without a song(King-4675)54
■House with no windows・Don't stop Dan(King-4710)54
■Over the rainbow・You've been fooling around(King-4719)54
■I wasn't thinkin', I was drinkin'・Mama's daughter(King-4751)54
■Can't find my Sadie・Tryin' to hold my gal(King-4764)55
■Heaven only knows・Nine more miles(King-5156)58
■Teardrops are falling・Rocka locka(King-5199)59

The Checkers
LP The Checkers
King-503
1970年代
King-503とありますが実はこれ海賊盤。当時はこの手のお皿が出回っていました。本物はEarl Bosticのアルバムなのでした。

CD Complete King
recordings 1952-55
Ace CDCHD-1047
2005年
圧巻の26曲入りCD、もうお腹いっぱいですよね。定評の英国Aceからリリースされました。

The Dominoesから派生したグループ。Charlie White・Bill Brownが中心となって結成した。当時のThe Dominoesのメンバーは、Clyde McPhatter・Joe Lamont・Charlie White・Bill Brown・Billy Wardであったが、51年9月頃にCharlie Whiteが、52年2月頃にBill Brownがグループを去っていた。The DominoesにはJames Van Loan・Raymond Johnsonが加入している。Raymond Johnsonは The Beavers・The Blenders・The Marshall Brothersなどに在籍していた。Charlie Whiteの歌声はThe deacon moves in・That's what you're doing to meで、Bill Brownの歌声はChicken blues・Sixty minute man・I am with youなどで聞かれた。独立したCharlie WhiteはLou Krefetz(The Cloversのマネージャ)と契約する。この直後にThe Cloversに加入するであろうと発表されたが実現するには少し時間がかかることとなる。この時King(The Dominoesは子会社の Federalに在籍)はThe Dominoesの人気にあやかったグループでもうひと儲けしたいと彼に提案する。Charlie WhiteとマネージャのLou Krefetzは新しいグループを作るためにメンバー探しをはじめる。ほどなくBill Brownが加入、続いてJohn Carnegie、そしてバリトンシンガーのJoe(とだけ記されている)が加入し、The Checkersが結成された。このJoeにいては不明な点が多いが、Bill Brown・Joe Lamont(The Dominoes)とともに 5 International Gospel Singers of South Carolinaというグループで一緒に歌っていた事があるという説もある。数カ月のリハーサルを経た後に最初のレコーディングセッションを、52年6月20日に行い4曲をレコーディング(この時のレコーディングはBill BrownとCharlie Whiteの2人でおこなったという説もある)した。Without a song・Oh, oh, oh baby・Flame in my heart・My prayer tonightである。そして8月にFlame in my heart(Andrew McCarter作・B面はHenry Glover作)でシングルデビューした。Henry GloverはKingのA&R担当である。レコードは52年9月13日に、Blow man blow(Calvin Boze)・My song(Hadda Brooks)・Write me one sweet letter(The Ravens)・Blue tango(Maxwell Davis)などと並んでレビューされ、The Checkersの次回作はチャートに失敗するであろうと批評された。9月19日には、Let me come back・Love wasn't there・Night's curtainsをレコーディングし、11月に、Night's curtainsをリリースし、You belong to me(The Orioles)・Please have mercy on me(Little Richard)・Last laugh blues(Little Esther & Little Willie Littlefield)と並んでレビューされている。このレコードも失敗作となり、53年1月にMy Prayer Tonight(Henry Glover作)のリリースではレビューすらされなかった。その週にはCross my heart(Johnny Ace)・Let me go home whiskey(Amos Milburn)・Pachuko hop(Chuck Higgins)・K.C. loving(Little Willie Littlefield)・Poon tang(The Treniers)・Dream girl(Jesse & Marvin)・Keep it a secret(The 5 Crowns)・Drag it home, baby(The Jets)・Be true(The Vocaleers)・When boy meets girl(Fat Man Matthews & 4 Kittens)らが取り上げられていた。53年にCharlie Whiteがグループを抜け、The Cloversに正式に加入している。彼は約1年後にはこのグループも抜け、The Playboys(元The Cues・AtranticのCat)に加入し、その後はWinleyで2枚のソロシングルを残している。彼の交代としてTeddy(とだけ記されている・Teddy McRaeという説もある)がテナーとして加入した。97年8月におこなわれたPerry Heyward(元The Spallowsのリードシンガー・Jey-Dee)とのインタビューによると、53年の初頭、Perry Heywardの隣に住んでいた少女からパーティーの出演依頼を受け、そこでThe SpallowsとThe Checkersが顔をあわせている。Bill BrownはPerry Heywardの婚約者の従兄弟であるということが分かった。数カ月後にPerry Heyward はThe Checkersに招待され、徴兵されたJohn Carnegieにかわってグループへの加入をBill Brownからすすめられオーディションを受ける事を決意する。Perry HeywardがBill Brownとともにスタジオに入ると、すでに7人のシンガーが歌い終わり10人以上が順番を待っていたという。Perry HeywardがWhen the swallows come back to Capistranoを歌い終わった時、他の人たちは家に帰されたという。この頃The Checkersはリリースもあまりなく多くの時間をリハーサルに費やしている。Perry HeywardはThe CheckersだけでなくThe Spalowsとも練習ばかりをしていた。53年4月17日、グループは再びスタジオに入り、I wanna know(The Du Droppersのカバー)・Ghost of my baby(Henry Glover作)をレコーディングし、Perry Heywardは両面でリードを歌った。しかしPerry Heywardは 自分の音域を超えて歌わなければならなかったI wanna knowに満足していなかった。シングルは4月の末にリリースされ、53年5月16日にはレビューで好評だった。この週は、You're the beating of my heart(Goldie Boots & The Falcons)・If that's the way you want it baby(The Blenders)・Rockin' is our bizness(The Treniers)・Red top(Gene Ammons)・The blues came tumbling down(Tiny Bradshaw)などがレビューされている。グループはブルックリンのBaby Grandで公演をおこない、これがPerry HeywardのThe Checkersとしての初舞台となった。なおPerry Heywardがグループとしてステージにたったのはこの時だけであるという説もある。大きな変化もないグループに落胆したPerry Heywardは数カ月の内にグループを去り再びThe Spallowsとして活動していくこととなった。この頃The SpallowsではLittle David Baughan(Clyde McPhatterの亜流といわれた)がリードをとっていたが、Perry Heywardと入れ代わるようにThe Checkersに加入している。Little DavidはClyde McPhatterが53年5月に結成したThe Drifters(Atlantic・当時Lucilleが唯一のリリース)の初期メンバーの一人で、The Driftersのサウンドに難色を示すAtlanticに対しClyde McPhatterが脱退した後にLittle Davidがリードで参加している。Little Davidの加入により、Clyde McPhatterばりのテナーとBill Brownベースの両方をフルに利用できた(The Dominoesサウンドにより近付いた)ともいえた。53年9月26日にLittle David・Teddy・Joe・Bill Brownの4人はスタジオ入りし4曲レコーディングを行った。A friend in need(未発表)・You never had it so good・White cliffs of Dover・I promise youである。10月にこのセッションからI promise you(B面はYou never had it so good・Henry GloverとTheodore McRaeの共作)がリリースされ53年11月7日にレビューされている。同じ週には、Rags to riches(The Dominoes)・The feeling is so good(The Clovers)・Baby you're the one(The Ebonaires)・Stop crying(Little Esther)などがあった。同月、White cliffs of Dover(スタンダード曲)とグループの最初のセッションからWithout a songのカップリングがリリースされ、54年1月2日にレビュー、Until the real thing comes along(The Dominoes)・My gal is gone(The 5 Blue Notes)・Mommy loves daddy(The Chords)・Climb the wall(Fluffy Hunter)などがこの週に掲載されている。White cliffs of Doverは54年3月20日からおよそ5週もロサンジェルスでヒットを記録した。54年3月12日にHouse with no windows・Don't stop Dan(Henry Glover作)・You've been fooling around(Danny 'Run Joe' Taylor作)・Over the rainbow(スタンダード)をレコーディング。54年4月に House with no windows(B面はDon't stop Dan)をリリースした。5月1日に、Why don't you do right?(Mike Gordon)・Jump, red, jump(Red Prysock)・Under a blanket of blue(The Cardinals)・Another sad night(Mel Walker)とともにレビューされている。5月の終わり頃にはB面のDon't stop Dan が Pick of the Weekに取り上げられている。このシングルは、ニューヨーク・フィラデルフィア.クリーブランド・デトロイト・シンシナティ(Kingの本拠地)・セントルイス・アトランタ・ダラスなどで好調なセールスを記録した。6月に、You've been fooling around(B面はOver the rainbow)をリリース、54年6月12日に、Three coins in the fountain(The Dominoes)・Riot in cell block no. 9(The Robins)・Til I say well done(The Kings)がレビューされた。そして春も終わろうと言う頃には、グループにはCharlie White・Bill Brown だけが残っている。JoeとTeddyについてはその後の動きを推測することは不可能である。Charlie White・Bill Brownは新しいメンバーを探しはじめ、同じKing(レコーディングは子会社のDeluxeで行っている)に在籍していた The Blue DotsのテナーシンガーEddie Harrisが新たに加入した。Eddie Harrisは、The Blue Dotsとして8月26日にセッションを行っていたが、9月にはThe Checkersのメンバーとして参加している。この頃The Spallowsはすでに解散していたがここから二人目のテナーとしてDavid Martinが、また バリトンにはJames Williamsが加入した。54年10月1日にこのメンバーによるセッションが行われ、Mama's daughter(Lowman Pauling作・The Five Royals)・Can't find my Sadie・Trying to hold my gal(Lowman Pauling作)・I wasn't thinking, I was drinking(Lowman Pauling・Eunice Davis作)をレコーディングしている。Can't find my Sadie は Eddie Harrisのリード、それ以外はEddie Harris・Bill Brownのリードである。11月、KingからMama's daughter(B面はI wasn't thinking, I was drinking)をリリース、54年11月11日に、Sincerely(The Moonglows)・Shake it up mambo(The Platters)・So all alone(The Moonlighters)・Someday my love will come my way(The Chanteclairs)・Runaround(The Orioles)・Late rising moon(Earl Curry & The Blenders)・Waitin' around for you(The Counts)・Blues in a letter(The Flamingos)とともにレビュー。11月8日にはUniversal Attractionsツアーを開始、Dinah Washington・Danny Overbea・Cootie Williams Orchestraらが参加、12月の末には、このツアーは James Moody Orchestra(Cootie Williamsの代理として)も参加し南西部公演が追加された。Baby Grand(前出)公演・Universal Attractionsツアーは、グループの行ったたった2つのライブである。12月にCan't find my Sadie(B面はTrying to hold my gal)をリリース。翌55年1月8日、I've got A woman(Ray Charles)・Bye bye young men(Ruth Brown)・God only knows(The Crystals)・Nothing sweet as you(Bobby Mitchell)とともにレビュー。この後、The Checkersは解散した。Eddie HarrisはEmberからThe Marktonesのメンバーとしてシングルを発表している(Eddie Harris with The Exodusというグループが61年にヒットを放っているが、同姓同名の別人)。The Checkersは解散したがリリースはその後もおこなわれた。グループにはそれほどのヒットがなかったにもかかわらずKingは、58年10月にThe Checkers名義で、Nine more miles(B面はHeaven only knows)をリリースしている。ちなみにNine more milesのマスター番号(Federal-1305)は、Otis Williams and The Charmsのマスター番号と同じ(レコーディングはDeluxeで行った)だが、Otis Williamsはこれを否定している。Checkers・Charms以外のアーティストである可能性もあるが、詳細は不明である。しかしThe Charmsもこの曲をレコーディングしヒットさせているのは事実である。またこの曲はEarl Washington and The Minute Men(Federal-130~4・KingからCheckerに売却されChecker-905としてリリース)とThe Sugar Canes(Federal-1306~7・インストナンバー)のセッションの間にレコーディングされている。さらに59年4月にはTeardrops are falling(B面はRock-a-locka)をリリース。両面とも55年にJackie Rue and The Five Wings(King)のリメイクだった。59年11月にLet me come back・White cliffs of Dover、62年にはOver the rainbow(B面はLove wasn't there)が、いずれもなぜか突然にKingから再発されている。King最後のThe Checkers名義のリリースはKing Oldies seriesとして発売されたOver the rainbow・White cliffs of Dover(発売日時は不明)であった。Bill Brown・Charlie White・John Carnegie・Little David Baughanはすべて死亡している。現在までにJoeとTeddyに関しては不明のままである。