The Swallows

1946年・メリーランド州・ボルチモア
Tenor Eddie Rich(lead)・Earl Hurley(tenor)・Herman 'Junior' Denby(lead・baritone)
Frederick 'Money Guiter' Johnson(baritone・34.10.27~98.10.28)・Norris 'Bunky' Mack(bass)・Irving Turner

■Will you be mine・Dearest(King-4458)51
■Wishing for you・Since you've been away(King-4466)51
■Etarnally・It ain't the meet(King-4501)51
■Tell me why・Roll, roll, pretty baby(King-4515)52
■Beside you・You left me(King-4525)52
■I only have eyes for you・You walked in(King-4533)52
■Please, baby, please・Where do I go from here(King-4579)52
■Laugh・Our love is dying(King-4612)53
■Bicycle tillie'・Nobody's loving me(King-4632)53
■Pleading blues・Trust me(King-4653)53
■It feel so good・I'll be wating(King-4676)54

The Swallows
45s Dearest
Charly-278
1991年

46年に当時13歳の少年達がボルティモアで結成したThe Oakaleersというグループが母体となった。メンバーは、Lawrence Coxson(テナー)・lrving Turner(テナー・バリトン)・Earl Hurley(テナー・ボンゴ)・Herman 'Junior' Denby(テナー・バリトン・ベースギター)・Frederick 'Money Guitar' Johnson(バリトン・ギター)・Norris 'Bunky' Mack(ベース・ピアノ・ギター・ドラム)の6人。彼らはボーカルだけでなく、楽器もこなす独立したユニットとして当時ではユニークな存在だった。ちなみにFrederick Johnsonは左利きで、右利きのギターをそのまま逆にもって(ブルース系のミュージシャンに多く見られるスタイル)弾いている。The Oakaleersも他のグループと同様に、地元の街角で歌い、当時の人気の高かったアマチュアコンテストなどに出演していた。Earl Hurleyは当時すでに有名となっていたThe Vibra - Naires(The Oriolesの母体となたグループ)のシンガーSonny Tilの家のちょうど反対側に住んでおり、お気に入りのグループで影響も受けていたという。48年にLawrence Coxsonがグループを去り、Eddie Richが新たに加入している。面白いことにLawrence Coxsonは時折メンバー欠員等があった時には一時的なメンバーとして何度となくThe Oakaleers参加している。やがてFred Johnsonの母親によって提案されたThe Swallowsへとグループ名を変えた。彼女の好きだったThe Ink Spotsのヒット曲When the swallows come back to Capistranoからとったといわれている。また改名したころのグループのテーマソングともなったが、グループ自身はレコーディングはしていない。この曲はのちにThe Dominoesがカバーしヒットさせた。Andy Magruder(The Five Blue Notesのリードシンガー)はThe Swallowsがワシントンのハワード劇場に出演し、主演格のPearl Baileyを上回る人気を得ているのを目の当たりにした。(いくつかの資料では51年2月にAtlanticがボルティモアのThe Oakeneersと呼ばれるグループと契約したと報告されていたが、このグループがAtlanticでレコーディングしたことはなく、同名の異なったグループであると思われる。)The Swallowsは、レコーディングする前からかなりの出演依頼が殺到しておりそれをこなすのに日々追われていた。その多くがクラブや映画館での公演であった。40年代後半に出演したSpa Musical Bar(Eddie Leonard経営)がThe Swallowsとしての初舞台といわれている。彼らの評判を聞いたJack Gale(地元のDJ)はBill Levinson(Ike Goldstickとともに究極的にグループを管理したチーム)に紹介することとなる。Ike Goldstickはレコード店のオーナーでもあり、音楽業界では顔のきく彼はさっそく地元のナイトクラブにおいてThe Swallowsの出演交渉を開始した。ある日Kingの代表がGoldstickの店を訪れThe Swallowsについて話し会いオーディションの手配をすることとなる。メンバーはHenry Glover(KingのA&R担当)が自分達の音楽に耳をかたむけるためにやってきたという印象を受けたという。彼はグループとの契約を望んだが、しかし問題もあった。この頃のメンバーはFrederick Johnson・Earl Hurley・Eddie Rich・Junior Denby・Bunky Mack・Irving TurnerであったがKing側は、当時のスターグループのほとんどが5人編成であったためThe Swallowsにもを5人に落とすことを提案してきた。 結果Irving Turnerがはずれることになった(彼53~54年にかけてフルタイムメンバーとして復帰している)。2年後の53年11月13日にKansas City Call誌にThe Swallowsについての小論文が掲載されている。難解な文章であったが、それはグループの起原に関して詳細に書かれていた。『ボルティモアのRoyal Theaterに出演交渉するためにマネージャのBill Levinsonは劇場のマネージャーと彼のオフィスにいた。その時ステージ上にはリハーサルのために集まったグループがさかんに声を出していた。マネージャはミーティングを中断し、このリハーサルを携帯レコーダーで録音した。これが彼等の最初の(契約にはない)レコーディングであり、彼らがそのステージを去る前にこのテープは発送された』。The Swallowsの最初のセッションは51年4月6日にニューヨークで行われた。Will you be mine・Dearest・Wishing for you・Since you've been awayの4曲で、すべてEddie Richがリードを担当した。当時のメンバーは誰も楽譜を読むことができなかった。作曲はHerman Denbyが担当し、それをメンバーに教えるのも彼の担当だった。著作権を得るために編曲者Billy Conradと共に作曲している。Herman Denbyの作品にはWill you be mine・Dearest・Wishing for you・You left me・Roll, roll, pretty baby・Tell me why・Beside you・You walked inなどがある。グループのリリースの多くでピアノを担当したのはSonny 'Long-Gone' Thompson(Kingのスタジオミュージシャンの代表的なアーティスト)である。5月にKingから最初のシングルDearestでデビューをはたした。6月9日(両面ともに『excellent』の評価を受けた)にレビューされ、Layin' the boogie(Piano Red)・Blue moon(Lynn Hope)・Player piano boogie(Martha Davis)・You foolish thing(The Ravens)・In the cool of the evening(The Five Blue Flames)・Sidewalk shuffle(The Red Caps)・I need you all the time(The Radars)などとチャートを競った。7月7日に、Will you be mineがカリフォルニア州オークランドで好評となり、ロサンゼルスでヒットする8月25日までチャートに入った。R&Bチャートでは第9位が最高となる大きなヒットとなった。2枚目のSince you've been awayが51年8月にリリースされ9月1日のレビューでもエクセレントと評価されている。同じ週に登場したのはOwl stew(Cecil Gant)・Gin, gin, gin(Todd Rhodes)・Sad and lonesome(Larry Darnell)・Castle rock(The 4 Deep Tones)など。9月の初旬に、ボルティモアのRoyal Theaterで1週間の公演のあとワシントンのHoward劇場にも出演している。9月15日の地元誌Baltimore Afro Americanで、グループは好意的な内容でThe Oriolesと比較された。この記事では、伴奏者としてFrancis Johnson・Herman Dudleyとクレジットされた。グループの2回目のセッションが51年9月19日にニューヨークで行われた。Eternally・You left me・It ain't the meat・Roll, roll, pretty babyの4曲をレコーディングした。3回目のセッションは51年10月10日に同じニューヨークでTell me why・Beside youの2曲がレコーディングされた。この時期以降ほとんどのナンバーをHerman Dudleyがリードをとるようになっていく。10月26日に、Count Basieのパッケージツアーに同行し、デトロイトのParadise Theaterから始まり東部へと公演を続けた。12月にEternallyをリリース、続けてTell me whyもリリースされている。51年12月22日にIt ain't the meatが再びエクセレントの評価を受けている。Have a ball(Joe Houston)・I'm just wandering(Jimmy Witherspoon)と前後してレビューされた。しかしEternallyは52年1月19日にコロンビア・サウスカロライナの一部で好評だったものの大きなヒットにはならなかった。52年2月13日、4回目のセッションのためにニューヨークのスタジオに向かう。すべてJunior DenbyのリードによるI only have eyes for you・Deed I do・You walked in の3曲を収録した。I only have eyes for youは34年にAl Dubin・Harry Warren作曲、Dick Powellによって映画Damesで歌われた曲のリメイクだった。Deed I doは26年にWalter Hirsch・Fred Rose作曲、27年にBen Bernie(オーケストラリーダー)によりヒット、また同年Ruth Ettingがカバーした。You walked inは48年にLena HorneのヒットでThe Swallowsの他にもThe Gems・The Dominoesらがカバーした。3月20日、フィラデルフィアでJohnnie RayとともにEarle Theaterでの1週間公演を行う。Ben Bart's Universal Attractionsと銘打って開催された。4月11日、Howard TheaterでSonny Thompsonのオーケストラとともに1週間公演開始、Beside youリリース直後の公演だった。このシングルは4月19日にグッドの評価を得た。Have mercy baby(The Dominoes)・Keep on churnin(Wynonie Harris)・Wheel of fortune(Maurice King)・Slow caboose(Sax Mallard)らとレビューされた。5月10日にオークランドでThe Swallowsとして最大のヒットとなり、R&Bチャート第8位となった。5月に、I only have eyes for youをリリース。同月、アトランティック市のWeeke's Cafeで公演、以降1カ月間にわたるワンナイト公演をおこなった。B面のYou walked inもグッドの評価を5月31日に与えらた。同週のレビューではEasy, easy baby(Varetta Dillard)・You're part of me(The Four Buddies)・How long(The Five Keys)・Hadacol, that's all(The Treniers)・I'll always be with you(Joe Medlin)・Lonesome and blue(Annie Laurie)・But I forgive you(Tampa Red)・Just a travelin' man(Joe Turner)などが登場した。6月13~16日、ニューポート・ケンタッキーのSportsman's Clubで公演したのち、オハイオで開催されたAlan 'Moondog' FreedのDance Caravan of Rhythm and Blues Starsショウにも出演した。このショウで、19日にEdna McGriff・Buddy Lucas OrchestraとともにCrystal Beach Ballroom(ロレイン)、20日に Summit Beach Ballroom(アクロン)、21日にAvon Oaks Ballroom(ヤングストン)とツアーを行っている。Alan Freedはそれぞれの公演をレコーディングし、彼のWJWショーでオンエアしている。52年8月、Wini BrownH-Bomb Ferguson・Little Miss. Sharecropper・Todd Rhodes Orchestraらとツアーを開始、およそ2カ月間かけて南部一帯を回る過酷なものだった。8月16日に、You walked inがミルウォーキーでもヒットしていた。52年10月7日に5回目のセッションをシンシナティで行いOur love is dying・Where do I go from hereを、2日後にNobody's lovin' me・Please baby please・Laugh (though you want to cry)・Trust meをレコーディングした。前回と同じくすべてJunior Denbyがリードをとった。11月にWhere do I go from hereをリリース。11月15日にI'll get along somehow(Larry Darnell)・Soft(Tiny Bradshaw)・Standing around crying(Muddy Waters)とともにレビューされた。53年1月3日にPlease baby pleaseがシンシナティでヒットしている。53年2月に、ツアーでランカスターからペンシルベニアへ向かう途中にメンバーは交通事故に会い、入院した。幸いたいした怪我もなかったがツアー用の車の修理を待つ間、彼らは病院でちょっとしたライブを行い患者を楽しませたという。The Swallowsとして最後のKingでのセッションが53年3月20日にニューヨークでおこなわれた。Pleading blues(Money Johnson)・I'll be waiting(Eddie Rich)・Bicycle tillie(Bunky Mack)・It feels so good(Money Johnson)の4曲で、それぞれがリードをとった。Bicycle tillieはMy Bicycle Tillieというタイトルで47年のThe Cats 'N Jammer Threeがオリジナルだが、同年The Four TunesがGonna Ride Tillie Tonightとしてヒットさせた曲。同月、Our love is dyingとLaugh (though you want to cry) のカップリングでシングルをリリース、Laugh (though you want to cry) はIvory Joe Hunterが作曲の一部を担当した。3月28日にエクセレントの評価を受けた。その週にはDaughter (that's your red wagon)(Sax Kari)・Pappa(Benny Brown)(この2曲はRuth Brown の (Mama) He treats your daughter meanのアンサーソング)・Grandpa stole my baby(Roy Brown)・I'm comin' back to you(Carmen Taylor)などが登場した。53年5月、Nobody's lovin' me(B面はBicycle tillie)をリリース。6月13日にI lost everything(Charles Brown)・Come on and love me, baby(The Du Droppers)・Will she know(The Serenaders)・Fool at the wheel(Little Richard)とともにレビューされた。さらに9月にTrust me(B面はPleading blues)をリリース。両面ともに好評で9月26日に、They call me big mama(Willie Mae Thornton)・Tiger man(Rufus Thomas)・I'm so high(The Five Keys)とともにレビューされた。The Swallows最終のKingからのリリースは53年11月にリリースされたI'll be waiting(B面はIt feels so good)である。11月21日にGive thanks(The Platters)・Sad life(Jimmy Witherspoon)・Blind love(B.B. King)とともにレビューされた。The Swallowsは53年遅くまでKingに在籍している。彼らとKingとの2年契約ではその年の4月までだったが、Kingはその後もシングルリリースを続けていたので何らかの延長契約がなされたと思われる。この後にJunior DenbyはKingからソロとしてデビューする。54年5月、Junior DenbyはKingでセッションを持ち、With this ring・I'm still lonesome・This fool has learned・If you only have faith in meの4曲をレコーディングした。これらがすべてリリースされた直後、彼は陸軍に徴兵された。一方The SwallowsはJunior Denbyに代わるメンバーとしてIrving Turnerが加入、そのおよそ2カ月後にHerman Williamsと交代した。ベース担当のNorris 'Bunky' MackもAl Franceと交代している。セカンドテナー担当としてDee Ernie Bailey(Barefoot Billとも呼ばれた)が6番目のメンバーとして加入した。54年7月に、マネージャー(この頃にはBill Levinsonは去っている)はAfter Hours(Flap Hanford設立)というマイナーレーベルと1枚のシングルを契約した。After Hours時代のメンバーはEarl Hurley・Eddie Rich・Dee Ernie Bailey・lrving Turner・Money Johnson・Al Franceの6人。同月にシングルMy babyはリリースされたが、ほとんど話題にならなかった。当時のヒットにはDoll face(The Vibranaires)・Big mouth mama(The Shadows)・Peggy(The Hollywood Flames)・In the chapel in the moonlight(The Orioles)・What's that(The Five Royales)・Bald head(The Treniers)などがあった。55年にAl FranceがEdward 'Buddy' Crawfordと交代、またドラマーとしてWilliam 'Ace' Thomasが加入している。翌56年、Irving Turnerに代わりBobby Hendricksが加入した。56年9月に、Bobby Hendricks・Dee ErnieはThe Flyers(Bill Pinkney)に加入するためにグループを去った。この時点でThe Swallowsの崩壊は決定的となった。ちなみにBobby Hendricksはその後The Driftersへ加入しItchy twitchy feelingのヒットを放った。Frederick JohnsonとEarl HurleyはThe Swallowsを10年間支えてきた中心的なメンバーだった。激しいメンバー交代によりThe Swallowsは最終的に解散した。Eddie Richは一度もグループを去ったことはないがオリジナルメンバーではなかった。また彼は交友のあったバルチモア出身のグループThe Honey Boysのマネジャーとして、Modernのオーディションをとりつけている。The Honey Boysのメンバーは、Calvin 'Khaki' Rowlette(リード・~66.?.06)・ John 'Prince' Billy(テナー)・Diason 'Dixon' Stokes(バリトン)・Roland 'Big Boy' Jackson(ベース)。ちなみに56年にグループとして唯一のシングルがModernからリリースされている。後にEddie RichはCalvin Rowletteに代わりこのグループに加入した。57年の遅くに、Eddie RichとCalvin RowletteはThe Swallowsを再結成している。メンバーは、Frederick 'Money Guitar' Johnson(The Jumpin' Jaguarsのギタリスト)・Earl Hurley(テナー・The Swallowsのオリジナルメンバー)・Buddy Bailey(The Capitols・The Cloversのリードシンガーではない)・の5人。58年1月に、新生The SwallowsはTillie's(カントリー&ウエスタン好きのオーナーだったといわれる)というクラブの出演などで活動をはじめた。Oh lonesome me(Don Gibson作曲)のリメイクをかつてのKingに持ち込みオーディションを受けた。56年2月4日のレコーディングセッションでOh lonesome me・Angel baby(ともにカントリー調な作品)をレコーディング、ともにCalvin Rowletteがリードをとった。このシングルはFederalから58年2月にリリースされた。2月17日にBook of love(The Monotones)・Gee, golly(The Coasters)・I wanna be loved(The Lovers)・If only the sky were a mirror(The Classics)とともにレビューされ好評だった。2回目のセッションが58年4月28日に行われ、We want to rock・In the palm of my hands・Rock-a-bye baby rock・Laughing boyをレコーディングした。We want to rock(B面はRock-a-bye baby rock)が5月にリリースされ地元のボルティモアで話題となった。5月26日のレビューではYou're making a mistake(The Platters)・I remember(The Five Discs)・I want to be loved but only by you(Donnie Elbert)とともに好評を得た。58年6月11日、The Swallows時代の第ヒット Beside youのリメイクをレコーディングした。同月リリースされたが3カ月以上もレビューには登場しなかった。新生The Swallows最後のセッションは58年7月11日に行われている。Itchy twitchy feeling(オリジナルスワローズのメンバーBobby Hendricksのヒットのリメイク)・Who knows, do you?の2曲をCalvin Rowletteのリードでレコーディングした。両サイドが7月28日にThe letter(Don & Dewey・One day next year(The Heartbeats)・For old times sake(The Diablos)とともにレビューされた。Beside you・Laughing boyもようやく9月29日にレビューされている。この週のヒットにはI sold my heart to the junkman(The Silhouettes)・Walking along(The Solitaires)・Baby-o(The Six Teens)・At the ball(The Unique Teens)などがあった。再結成したThe Swallowsには実力に見合った素材の不足が大きな問題であったにもかかわらず、常にグループのリリースに対する評価は悪くはなかった。数年後、Eddie Rich・Junior DenbyはThe Swallowsとして活動を三たび開始する。80年代にEddie RichはフィラデルフィアのStarbound(Val Shively設立)でThe Swallows名義でレコーディングしている。メンバーは、Leroy Miller(最後のセッションでDavid Banksと交替した)・Thomas Brown・Theodore Estep・Albert Smithの4人。シングルは86年と91年にリリースされている。また88年にSince you've been awayをStarbornからソロとして発表している。90年代初期に、Junior DenbyはThe CardinalsのメンバーらとThe Swallowsを結成している。94年に、The SwallowsはUGHA Hall of Fameに選出されEddie Rich・Junior Denbyが代表して参加した。Earl Hurley・Frederick Johnson・Calvin Rowletteなどメンバーの多くがすでに故人となっているが、Eddie RichはThe Swallowsとして2001年に舞台に立っている。Junior DenbyはHarold WinleyのThe Ink Spotsに参加している。