The Blenders / The Millionaires

1948年・ニューヨーク州 
Henry Oliver 'Ollie' Jones(lead・tenor)・Abel DeCosta(tenor)・Tommy Adams(baritone)・James DeLoach(bass)・Herman Flintall(pianist・arranger)

The Blenders
■I can dream, can't I・Come back baby blues(National-9092)49.10
■Gone (my baby's gone)・Honeysuckle rose(Decca-48156)50.05
■Count every star・Would I still be the one in your heart(Decca-48158)50.06
■I'm so crazy for love・What about tonight(Decca-48183)50.11
■I'm afraid the masquerade is over・Little small town girl(Decca-27403)51.01
■All I gotta do is think of you・The busiest corner in my home town(Decca-27587)51.05
■My heart will never forget・You do the dreamin'(Decca-48244)51.10
■I'd be a fool again・Just a little walk with me(Decca-28092)52.04
■Never in a million years・Memories of you(Decca-28241)52.06
■I don't miss you anymore・If that's the way you want it baby(MGM-11488)53.05
■Please take me back・Isn't it a shame ?(MGM-11531)53.07
■You'll never be mine again・Don't play around with love(Jay Dee-780)53.08
■Don't around with love・I'm gonna do that woman in (The Sparrows)(Kelway-101)71.03
■Don't fuck around with love(Davis-1973)73
The Millionaires
■Somebody's Lyin'・Kansas kapers(Davis-441)55.09

The Blenders
CD Come back baby blues
Famousgroove
FG-971018
1997年

フランスの会社からリリースされた27曲入りのコンプリートものCDです。この手のアルバムって見かけたときに買っとかないとあっという間に消えちゃいますよね。

The BlendersはOllie Jonesはがセカンドテナーとして在籍していたグループである。46年にOllie JonesはJimmy Ricksから誘いを受けThe Ravensのメンバーとなるが再び彼により解雇されるというトラブルにもかかわらずこの二人の友情は長年に渡り続く事となる。The RavensはHubレコードにおいて6曲(Lullabyや彼の書いたOut of a dreamなどがある)をレコーディングし、すべての曲はその年の6月にリリースされた。The RavensのアレンジャーであったHoward Biggsは、しかしOllie Jonesの声に力強さが物足りないと感じており、新たにグループにあったテナーが現れるのを待っていた。同年の遅く、Jimmy RicksはMaithe Marshallというバーテンをしていたテナーシンガーをグループに誘い、47年1月Ollie JonesはThe Ravensを去る。The Ravensを解雇となったOllie Jonesは、カーニバルサーキット(40年代において地方で非常に人気のあった公演形式)でおよそ9カ月間にわたりThe Four Notesのメンバーとして活動する。The Four NotesはGene Smith(リード)・Tommy Adamsなどが初期メンバーでJames Sapp・Frederick Johnsonなどが後年に参加している。Tommy AdamsはBill Kenny(The Ink Spots)の模倣のようなシンガーだったという。48年、Ollie Jonesは自身のグループを結成する決意をした。まず最初に彼は、James DeLoachを連れて Jimmy Ricksに会わせた。James DeLoachの評価をJimmy Riksに聞きくためと言われている。Jimmy Ricksは彼を絶賛したという。続いてTommy Adamsを誘い、グループを仕上げるためGerald Hal(リハーサルスタジオを所有・ボイストレーナー) に相談を持ちかけた。彼を通じて紹介されたAbel DeCostaがグループに加入することになった。5人目のメンバーHerman Flintallの加入によりThe Blendersが結成された。グループは再びレコーディングについてのアドバイスを求めてJimmy Ricksに会っている。結成から数週間にJimmy Ricksが彼らをNationalレコード紹介した。またThe Ravensのブッキングも行っていたJimmy Ricksは、彼らのための手配もするようになる。49年9月、NationalでI can dream, can't I・Why is it you・Come back baby blues・Why does a good man get kicked aroundの4曲をレコーディングし、I can dream, can't Iが10月にリリースされた。Nationalレコード在籍中にThe BlendersのマネージャーとなるLee Magid(NationalのA&R担当)に出会っており、50年に彼がNationalを退社するときにはThe Blendersを連れていくことになる。50年4月1日にThe BlendersはCoral(Deccaレコードの子会社)と契約したと発表し、以降の3年間は親会社からリリースされることとなった。この移籍とほぼ同時期に新たなメンバーErnie Brown(テナー・ギタリスト)が加入している。当時(50年)の資料にはTeddy Brannonは2つのグループのピアニスト・アレンジャーであると記載されている。DeccaレコードはThe Blendersにとって最も大きいレコード会社の1つであり、この契約はラッキーだと全員が感じていた。Deccaは40年代のThe Ink Spots・The Mills Brothers・Ella Fitzgerald・Louis Jordanに続く大物スターになることを望んでいた。しかしグループのシングルは Deccaが期待したほどの成績をあげる事ができなかった。The Blendersは50年4月3日にHoneysuckle rose・Gone (my baby's gone) を、4月27日にCount every star・Would I still be the one in your heartをレコーディングし、Honeysuckle roseが5月にリリースされ、5月27日にレビューでexcellentと評された。同週にはCount every star(The Ravens)・If you only knew(Billy Mathews and The Balladeers)・Missing you(The Four Blues)らが取り上げらている。DeccaレコードはCount every star・Would I still be the one in your heartをリリース、その1週間後にはHoneysuckle roseを続けて発表した。Count every starは6月3日にexcellentと評された。同週に取り上げられたのはJust can't get free(Little Esther)・Moonlight(The Orioles)・Cryin' for you(Mr. Google Eyes)らであった。6月、Deccaレコードの広告にニューヨークの聖歌隊で歌っていた頃の話を交えたThe Blenders物語が掲載された。彼らはゴスペルからポップスへと転身してこれからという時に第二次世界大戦が始まる。グループは戦争が終わるのを待つしかなかった。Decca入社の数カ月後にTommy Adams・James DeLoach は病気のためにグループを去ることとなる。Tommy AdamsにかわってDick Palmerが加入する。彼はThe Palmer Brothers(彼の兄弟ClarenceとErnieがメンバー)やThe Beavers(同じDeccaに在籍していたグループ)にいたシンガーでギタリストでもある。Ernie BrownもDick Palmerの加入後6カ月でグループを去った。彼は53年にThe Ink Spotsに加入している。一方のJames DeLoachにかわって加入したのはRaymond Johnson(ベース奏者)で、彼は Dick Palmerと同じくThe Beaversにいた。50年10月4日、Ollie Jones・Abel DeCosta・Dick Palmer・Raymond JohnsonはDeccaレコードでI'm so crazy for love・I'm afraid the masquerade is over・Little small town girl・What about tonightをレコーディングし、I'm so crazy for loveが50年11月にリリースされ、11月17日にレビューされた。この週にはI'm so crazy for love(Lonnie Johnson)・Can't seem to laugh anymore(The Orioles)・Time out for tears(Dinah Washington)・Teardrops from your eyes(Wynonie Harris・Oh babe として知られている)・Merry christmas baby(Charles Brown)が取り上げられている。The Blendersはチャートを賑わせることもなかったが、51年1月には、DeccaはI'm afraid the masquerade is overをリリースした。このシングルはレビュー誌には送られなかったようである。51年2月15日、グループはさらに4曲、The busiest corner in my home town・All I gotta do is think of you・You do the dreamin・My heart will never forgetをレコーディングした。The Blendersは、Richard Hayes Showに出演した。この番組は51年3月から始まり、DuMontネットワーク(ニューヨーク・5チャンネル・毎週火曜日午後11時~)で放映された。50年8月、同番組の Songs For Saleというコーナーに再び出演している。4月にDeccaはThe Blendersとの契約を2年間更新したと公表し、5月にThe busiest corner in my homeをリリースした。これがレビュー誌に送られなかった2枚目となる。Deccaが契約を更新していながらもなぜ積極的なプロモーションを行なわなかったのかは疑問である。Decca在籍中にグループのマネージャーはLee Magid(SavoyレコードのA&R・53年秋にCentralレコードを設立する)からRita Donに交代している。51年10月 You do the dreaminをリリース、10月27日にThey said it couldn't happen(The Sugar Tones)・Tabor inn(Bob Williams)・Bar room blues(Roy Brown)とともにレビューされた。51年の中ごろJames DeLoachがThe Blendersに復帰し、Raymond Johnsonはバリトンを担当するようになったが、間もなくRaymond Johnson・Dick Palmerはグループを去る。Raymond Johnsonはその後Phil Shaw(テナー)・Willis Sanders(バリトン)とともにThe Marshall Brothersを結成し、Savoyレコードに入社した。またさらに後には、The DominoesのBill Brownにかわりグループに加入することとなる。The BlendersにはNapoleon 'Snaggs' Allen(バリトン・ギター)と、当面のベースシンガーとして'Muscles' Swansonが加入した。51年後半までのメンバーは、Ollie Jones・Abel DeCosta・James DeLoach・Napoleon Allenである。再編成したグループは52年3月6日に最後のDeccaセッションを行い、Never in a million years・I'd be a fool again・Memories of you・Just a little walk with meを収録。この中からI'd be a fool againが52年が4月にリリースされ、4月26日にMy last affair(Charles Brown)・Until the real thing comes along(Billy Bunn and The Buddies)・Lawdy miss Clawdy(Lloyd Price)・Goin' home(Fats Domino)・Housewife blues(The Enchanters)とともにレビューされた。52年6月、Deccaでの最後のシングルNever in a million yearsをリリースするが、これもまたレビュー誌に送られなかった。The BlendersはDeccaでは成功したグループとは言えなかったが公演活動は順調に行われた。アポロ劇場の公演についてOllie Jonesは「俺達にはまだ大きなヒットがなかったから、ステージが恐かったんだ。リラックスするのに2日もかかってね。特にJimmy DeLoachはオーディエンスに対して非常に内気だったよ」と回顧する。この頃のThe Blendersは、クラブやパッケージツアーに集中しいつもの黒人向けの劇場での公演を行わなくなっている。グループとDeccaレコードとの2年契約が終わろうとしていたがDeccaは契約更新を見送った。その後1年間はグループとしてのレコーディング・リリースともに行われなかった。Rita Donは独立プロデューサのJoe Davisと契約し、53年3月27日、Joe Davisはプライベート・セッションを行い6曲をレコーディングする。If that's the way you want it baby・Please take me back・Isn't it a shame ?・I don't miss you anymore・You'll never be mine again・Don't play around with loveで、この中から4曲をMGMレコードに売却した。4月17日に再びセッションを行い、Somebody's Lyin'(Joe Davis作・44年5月にThe Red Capsがリリースした)・Kansas Kapersを収録する。53年5月、If that's the way you want it baby・I don't miss you anymoreがMGMからリリースされた。5月16日にIt's you I miss(The Falcons)・Ghost of my baby(The Checkers)・Rockin' is our bizness(The Treniers)とともにレビューされている。この頃にマネジャーだったRita Donが死去し、グループへの仕事が急速に減ってしまう。6月、Joe Davisは翌月に自身のレーベルJay-Deeレコードを発足させると発表する。当時の記事によると(MGMからの退社は友好的に行われたと書かれているが)、彼はThe BlendersとMGMに在籍していたR&Bアーティストのほとんどすべてを連れていったと報道された。MGMでの最初のシングルは不成功に終わり、7月にPlease take me backが2枚目としてリリースされた。これは7月4日にHere goes a fool(The Clovers)・Mess around(Ray Charles)・Please tell it to me(The Four Bells)・Foolish one(The Rocketeers)らとレビューされた。The BlendersのJay-Deeでのリリースは53年8月のYou'll never be mine againで、3月に収録した作品からのものだったが、このレーベルでの唯一のシングルとなった。この3月に行われたセッションでJoe Davisは、Don't play around with love(You'll never be mine againのB面となった曲)のアレンジバージョンをレコーディングした。これはDon't fuck around with loveと題されDJに送ることを計画していた。この曲は71年にKelwayレコードがリリース、のちにJoe Davis自身は73年にDavis(彼自身のレーベル)から発表している。Jay-Deeからのリリースは53年9月19日にThe tears keep tumbling down(Ruth Brown)・Rose Mary(Fats Domino)・Money honey(The Drifters)・Midnight hours journey(Johnny Ace)・The drunkard(The Thrillers)・4-11=44(Bobby Mitchell and The Toppers)・Beginning to miss you(The Orchids)・Thrill of romance(The Gay Tunes)らとともにレビューされた。Joe Davisの傘下でのグループは、自身のThe Blenders名義ではたった1枚のシングルであったが、Jay-Deeからのリリースの2年後の55年9月に、かつてのセッションからのシングル Somebody's Lyin・Kansas kapersがリリースされた。しかしグループ名はThe Millionairesとクレジットされている。The Blendersの末期、Chauncy 'Lord' Westbrook(同じくErnie Brownも)がしばしばSnaggs Allenと交代している。Chauncy Westbrook(バリトン・12弦ギター)は、53年後半に短期間だがThe Oriolesに加入するために、自身のグループを持っていたRalph Williamsと交代した。Ralph WilliamsはJimmy Oliverが加入前のThe Driftersに在籍している。そしてThe Blendersは54年に最終的な分裂にいたった。Ollie Jonesはデモレコーディングやバッキングとして活動しながらもやがてJesse Stone(アレンジャー)に出会い作曲に専念していく。The Blendersの解散後、Ollie Jones・Abel DeCostaはThe Cuesを結成、Jesse Stoneはグループのプロデューサ・アレンジャーとして参加し、Atlanticレコードで、Ruth Brown(The Rhythmakers)・Joe Turner(The Blues Kings)・Charlie White(The Playboys)・Lavern Baker(The Gliders)・Ivory Joe Hunter(The Ivorytones)など多くのアーティストのバッキングに様々な名前で参加した。またGrooveレコードからもThe Studentsとしてシングルをリリースしている。現在The Blendersのオリジナルメンバーは全員死去している。