The Beltones / The Symbols / The Maters

1950年代初頭・ニューヨーク・ニューヨーク州
Andrew Pope(lead)・Clayton "dickie" Williams(1st tenor)・Bobby Ward(2nd tenor)・
Herb Rooney(baritone)・Robert Brown(bass)

The Beltones
■I talk to my echo・Oof goof(Hull-721)57.04
The Masters
■A man is not supposed to cry・Look out(End-1100)61.11
■Crying my heart out・I'm searching(Le Sage-713・714)62
The Masterettes
■Follow the leader・Never never(Le Sage-711)62

The Beltones
45s I talk to my echo
Hull-721
1957年

Beltones名義での唯一のシングル盤です。赤ラベルや黒ラベルなどプレス違いがいくつかあるようです。オリジナル盤は20ドル位でしょうか。

The Beltonesは南ジャマイカ・プロジェクト出身(The Rivileers・The Cellos・The Deltairs・The Cleftones・The Five Sharps等が同郷である)で結成された。The Rivileersにあこがれを抱いていた Wilbur Brown・Robert Brown(Wilbur Brownとの血縁関係はない)の二人はThe Love Larks(1952年にThe Bencholeersとして結成されたグループ・Diddle-le-bomをレコーディングしたThe Love Larksではない)で歌っていた。このThe Love LarksはPete Le Monier・Bobby Ward・Billy Boatswainらがメンバーであった。ジャマイカ高校に在籍したPete Le Monier以外のメンバーは全員ウッドロー・ウィルソン高校の友人であった。当時のグループについて「僕たちは仕事帰りに集まって、地下鉄のベンチやナイト・クラブで歌った。歌う事に関してはほんとに長い間お金とは無縁だったよ」とWilbur Brownは振り返る。グループを掛け持ちしていたために色々と制約のあったBobby WardはThe Five Sharpsにも在籍し、Robert BrownとともにThe Beltonesを結成したのであった。グループに加わったのはAndrew Pope・Clayton Williams・Herb Rooneyである。この頃The Love Larksはさらに多くの公演に出演し知名度を上げてき、Robert BrownはThe Beltonesを去る決意をした。「僕たちはとても真剣だった。でもグループのサウンドはThe Cleftonesの亜流みたいで、まったく売れなかったよ」とRobert Brownは語っている。ベース・シンガーの抜けたThe BeltonesにはAlva Martinが加入し、1956年8月にHullレコードでレコーディングを行った。I talk to my echoとOof goofは共にAndrew Popeがリードを歌ったが、1957年春までリリースされなかった。Hullレコードはブロードウェー1595にあり、Billy Dawn Smith(Billy Dawn Quartet・The Four Dukes・The Heraldsに在籍した経歴を持つ)・William Henry Miller(The Miller Sistersの父親)・Bea Kaslinの3人による共同設立されたレーベルである。この3人はHereldレコードで働き、Billy Dawn Smith・William Henry Millerは作曲家でもあった。Bea KaslinがレーベルをHullと命名し、最初に資金提供したのも彼である。ともかくI talk to my echoはセールス的にも失敗し、HullレコードはThe Beltonesに興味を失い2度とレコーディングが行われることはなかった。一方のThe Love Larksはこの頃にはすでに解散していた。こちらに在籍していたRobert Brownは The Beltonesにベースとして復帰しAlva Martinと再び交替した。 のちにAlva Martinはサックス・プレーヤーそして編曲者となり、The Isley Brothersの大ヒットIt's your thing(1969年・Herb Rooney制作)を出す事こととなる。The BeltonesにはRobert Brownが友人のWilbur Brown(The Love Larksのテナー)を誘い新たに加入した。また Herb Rooneyに代わりGeorge"Buster" Cottmanが加入した。この頃のメンバーは、Andrew Pope・Clayton "Dickie" Williams・Wilbur "Buzzy" Brown・Robert Brown・George "Buster" Cottmanの5人編成となる。Hullレコードからのリリースに失敗したThe Beltonesはブロードウェー1697にあったOld Townレコード(Hy Weiss設立)の扉をたたいた。1958年春、Buddy Lucas OrchestraのバッキングでCrying my heart out・Lover, lover, lover・Country boy・Last rose of summer(すべてAndrew Pope・Hy Weissが作曲となっている)をレコーディングした。この時点でグループはThe Beltonesと呼ばれて(1958年12月に新聞に掲載された写真にはこの名前記されている)いたが、Old Townのマスター・テープ・ボックスにはThe Symbolsと記載されており、この時収録した4曲はAceレコードから約2年後にリリースされた。この時にThe Symbolsに改名したことについて、Robert Brownは「ともかく短期間だけこの名前を試してみることをグループで話し合った」ことをかすかに記憶している。この理由としてHullレコードがこの4曲のリリースに気づき契約違反を訴えたためにOld Town側の対抗策が掲げられる。しかし結果的にはOld Townレコードからはいずれの曲もリリースしなかった。1960年、The Beltonesは売れない日々を送っていた。「あの頃の僕たちは、小さな仕事をして走り回っていた」とRobert Brownは語っている。Wilbur Brownも「小さなショーやダンスパーティー、それにJewish Centerの結婚式でさえ歌ったんだ」と言い足している。この頃にAndrew Popeが陸軍に入隊しWilbur Brownもグループを去って行く。また同じ時期にJ&S・Scattの両レーベルからThe Belltonesという同名のグループがデビューしているが彼らと無関係である。残ったRobert Brown・Dickie Williams・Buster Cottmanは再びHerb Rooney・David Banks(バリトン)の加入で、The BeltonesからThe Mastersへと正式に改名した。改名後の1961年11月にEndレコードからA man is not supposed to cry・Look outをリリースする。前者はBuster Cottman、後者はDavid Banksがリードを担当している。このリリース直後にRobert Brownが徴兵され、Frank Turnerが加入した。Buster Cottmanは、陸軍に在籍中のAndrew Popeに、Crying my heart out(Andrew Popeが作曲し、これまでにもThe Beltones・The SymbolsとしてOld Townでレコーディングしている)のレコーディングへの参加を求めた。Andrew Popeはこれに同意し、1962年にLe Sageレーベルでレコーディングを行った(しかし、シングル盤のラベルには作者としてBusterと書かれている)。The Masters にはThe Masterettesという姉妹グループがいる。メンバーはBrenda Reid・Carol Johnson・Lillian Walker・Sylvia Wilburの4人で、同じLe Sageレコードでシングルを残している。 Follow the leader・Never neverで Brenda Reidがリードを担当した。理由はともかくBuster CottmanはHerb Rooneyをあまり好きではなかったらしく、The MastersがCrying my heart outのリリース直後に彼をメンバーからはずした。The Mastersを去ったHerb Rooneyはその後The Masterettesに加入し、代わってSylvia Wilburが去っている。The Masterettesはこのメンバー交代の直後にThe Excitersと命名し、数カ月後にTell himというモンスター・ヒットを放った。Andrew Popeが陸軍退役後、Herb RooneyとともにThe Excitersに多くを作品を共同で書くこととなった。Herb RooneyとBrenda Reidは後に結婚、Clayton "Dickie" WilliamsとSylvia Wilburもまた結婚している。1975年にRobert WardはThe Love Larksのメンバーと再会し、The Five Sharpsとして活動を再開した。参加したのはPete Le Monier・Robert Brown・Buzzy Brownで、バッキンング・ピアニストはTommy Duckettが担当している。