The Colts

1955年・カリフォルニア州・べーカーズフィールド 
Ruben Grundy・Joe Grundy・Carl Morland・Leroy Smith

■Adorable・Lips red as wine(Vita-112)55.9
■Adorable・Lips red as wine(Mambo-112)55.9
■Sweet sixteen・Honey bun(Vita-121)56
■Never no more・Hey you shoo-be-doo-be(Vita-130)56
■Shake of Araby・Never no more(Antler-4003)59
■Shake of Araby・Guiding angel(Antler-4003)59
■I never knew・Oh when you touched me(Delco-4002)59
■Sweet sixteen・Hey pretty baby(Plaza-505)62

The Colts
45s Adorable
Vita 112
1955年

高校の同級生で結成。55年8月、Leroy SmithはSamuel 'Buck' Ram(The Platters・The Penguinsをマネージメント。また幼い頃から彼等と共に聖歌隊で一緒だった)のすすめで、ロサンゼルスのMamboと契約。Adorableでデビューする。Samuel Ramは、重役らが「ラテン音楽専門レーベルだと思われる」と強く主張したため、レーベル名をMamboからVitaに変えた。そのため、Mambo-112とVita-112の両方が、店頭で競い合うかたちとなった。一方、ニューヨークのAtlanticは、彼等のAdorableを聞き、在籍中のThe Drifters(Clyde McPhatterがグループを去った頃)でカバーバージョンをリリースする。西海岸で人気を得たAdorableは10月下旬から11月にかけて徐々にThe Drifters版がヒットしていく。55年10月、The Coltsはサンディエゴで400のクラブで最初の公演を行ったり、ローカルテレビに出演。ロサンゼルスでも大きいR&Bレビューに出ている。56年早く、Curtis Williams(The PenguinsのメンバーでEarth angelを書いた)の書いたSweet sixteen、 Never no moreをリリース後、Dotへ移籍する。この時、Mickey Lynn(Johnny Otis BandのシンガーMel Williamsの妻)がボーカリストとして加入するが、ヒットはだせなかった。57年夏、マネージャーのSamuel Ramが設立したAntlerからSheik of Arabyをリリースしたものの、Samuel Ramは 当時、彼の最も売れっ子だったThe Plattersの世界的な成功に集中しておりグループに対し充分なプロモーションをしなかったといわれている。The Coltsはその後まもなく解散した。