The Meadowlarks

1952年・カリフォルニア州・ロサンゼルス
Don Julian(lead・37.04.07~98.11.06)・Randolph Jones(bass)・Earl Jones(baritone)・Ronald Barrett(tenor)・Billy Pruett

■Real pretty mama・Love only you(RPM-399)54
■LSMFT blues・Pass the gin(RPM-406)54
■Heaven and paradise・Embarrassing moments(Dootone-359)55
■Always and always・I got tore up(Dootone-367)55
■This music be paradise・Mine all mine(Dootone-372)55
■Please love a fool・Oop boopy oop(Dootone-392)56
■I am a believer・Boogie woogie teenager(Dootone-405)56
■Blue moon・Big mama wante to rock(Dootone-424)56
LP
■The Best Vocal Groups(Dootone-DL 204)57

The Meadowlarks
45s The Best 
Vocal Groups
Dootone-DL204
1957年

南ロサンゼルスで育ったDon Julianが、52年にジョン・C・フリーモント高校の同級生と結成。92年のインタビューによると、Don Julianは「教会を通じ、多くのアーティストと知り合った」と語っている。Joe 'Honeydripper' Ligginsからピアノを学び、独学でギターもマスターする。結成時はThe Soulinairesと名乗っている。ゴスペル系のネーミングだったため、間もなくThe Meadowlarksと改名する。当時のヒットグループの大半が鳥の名前をつけていた(一連のDoo-Wopをバードグループと呼ぶのはここからきている)からである。The Flairs(後にThe Coasters)のCornel Gunterが、The MeadowlarksをModernに紹介する。デビューシングルは、Love only you・Real pretty mama。続いて、L.F.M.S.T. blues・Pass the ginをリリース。L.F.M.S.TはRandolph Jones(後にThe Penguins、The Coastersへ参加する)の作品で、Maxwell Davis(Modernのプロデューサー・アレンジャー)が担当する。Pass the ginはDon Julianの経験に基づいたオリジナルで、作曲活動をはじめていた彼にとっても自信を深めた。やがて彼等は、Dootoneへ移籍し、本格的な発声法を学ぶ。なおこの頃DootoneはすでにThe Medallions・The Penguinsらと契約している。'Dootsie' Williams(Dootone社長)はDon JulianのオリジナルHeaven and paradiseを含む2曲を聞き、シングルのレコーディングが決まる。リリースされまもなく、ヒットを記録する。Heaven and paradiseの成功で、Johnny Otisと共に西海岸のツアーにも参加した。このツアー後、Don Julianは彼自身のバンド(ギターとピアノを弾いた)を結成することになる。The MeadowlarksはDootoneから6枚のシングルをリリースしたが、作曲者であるDon Julianには正当な支払いもなく、レコードにもクレジットされなかった。Don Julianは57年にDootoneを去り、翌年Original Sound(Art Laboe設立)へ移籍。92年のインタビューでは「Money移籍の前は、Rudy HarveyのDynamiteに在籍していたよ。当時、Rudy Harveyは地元のディスクジョッキーだった。私はSlauson shuffleという歌をDynamiteでレコーディングしてヒットした。でも彼はちょっとした金を儲けたにもかかわらず、私に支払わなかった。結局それで私はMoneyへ移籍することにした。3カ月後に私はThe jerk(The Larks名義でリリース)で成功したんだ。」と語っている。Original SoundからリリースしたPlease (say you love me) はローカルヒットした。そして彼の最大のヒットがMoneyから発表したThe jerkによって記録される。MoneyはDon Julianの親しくしていたJohn Dolphin(~58.01.02)が設立したレーベルで、大きなレコード店(ラジオ番組の公開録音の場として、Bobby Bland・The Penguins、The Oriolesなどがその店に連日訪れていた)も経営。Moneyからは、The Hollywood FlamesやBobby Dayを送りだしている。「The jerkは私が妹の家に行った時に、彼女の娘がダンスを、それも激しく踊っていたのでちょっと呆然としたんだ。それから『それはなんという踊りかい?』と訪ねたら、彼女は『The jerk !よっ』と言ったのさ。それから家に帰って、すぐに書いたんだ。Ted Brinsonのスタジオ(ハリウッド)でレコーディングして、あとはJohn Dolphinにわたすだけだった。彼の妻(彼女もMoneyのアーティストだった)にも気に入ってたよ。私は彼女のバッキングとしてショーに参加したこともある。週に6つのナイトクラブで働いんだ。そんな事があっておよそ1カ月後には、我々はバンクーバーからトロントまでを巡業するDick Clarkのツアー興行で歌っていたのさ。我々は興業で金を儲けていたけれど、それを使う場所がなかった。30日間バスにいたようなものだよ。バスを降りても、非常に忙しかったのでベッドなんかに眠れなかった。」とのちに語っている。Moneyが300ドルをかけてThe Larksのアルバムをリリースした。