The Beavers / Lionel Hampton and The Hamptones

1949年2月・ニューヨーク州
Dick Palmer(tenor)・Freddy Hamilton(tenor)・John Wilson(baritone)・Raymond Johnson(bass)The Beavers

■That lucky old sun・If my dream would come true(Sittin' in With-524)49.08
■If you see tears in my eyes・I gotta do it(Coral-65018)49.10
Lionel Hampton & The Hamptones
■Rag mop・For you my love(Decca-24855)50.01
■I'd rather be wrong than blue・Big mouth mama(Coral-65026)50.03
■Dreamin' is my business・Happy feet(Coral-60248)50.07

The Beavers
SP That Lucky Old Sun
Sittin' in with-524
1949年

If My Dream Would Come TrueとのカップリングでリリースされたHerb Lance And Vocal Quartet名義のSP盤。歌っているのはBeaversのメンバーたちです。

ニューヨークの音楽学校で声楽の教師をしていたJoe Thomas(兄弟のWalter 'Foots' ThomasはCab Callowayのバンドでサックス奏者)はRaymond Johnson・Dick Palmerの両人にグループ結成をすすめたことからこのグループの歴史は始まる。Raymond JohnsonはすでにThe Palmer Brothers(Clarence Parmer・Ernie Palmerの兄弟がメンバー・Clarence ParmerはのちにThe Jive Bombersのリードとして有名になる)を結成していた。Raymond Johnson・Dick PalmerはFreddy Hamilton・John Wilsonを誘い4人編成のグループを結成する。彼らは(当時流行していた)鳥の名前ではなくThe Beaversと命名した。49年8月1日に行われたThe RavensのLilacs in the rainのセッション後、The Ravensのピアニスト・アレンジャーだったHoward Biggsと契約する。同じ頃The RavensのボイストレーナーだったJoe ThomasがDeccaレコードのR&B部門のディレクターに就任した。The Beaversの最初のセッションは成功とはいえないものとなる。49年6月30日に、彼らはRCA Victorで数曲のレコーディングを行っている。Hold me baby・The Huckle-Buckなどであったが(マスターは連番ではない)、このセッションからのリリース予定をRCAはまったく示さなかった。8月、The BeaversはHerb LanceのLucky old sun(Frankie Laineのスマッシュヒットのカバー)・If my dream would come trueにバッキングとして参加し、同月にSittin' in Withレコードからリリースされた。しかしThe Beaversの名前がラベルにクレジットされることはなかった。Herb LanceのLucky old sunはR&Bチャート第6位のビッグヒットだっただけにグループの名前がクレジットされなかったのは残念であった。Joe ThomasはこれまでにもThe Delta Rhythm Boysと共に仕事をしており、彼らのマネージャーPaul Kappとは旧知であった。この関係からDave Kapp(Paul Kappの兄弟・DeccaレコードのA&R副主任・のちにPaul KappとともにKappレコードを設立する)はTheBeaversと接触、Coral(Deccaレコードの子会社)との契約を結ぶこととなった。49年9月22日、The BeaversはDeccaでの最初のレコーディングでIf you see tears in my eyes・I'd rather be wrong than blue(ともにJoe Thomas・Howard Biggs作)・I gotta do it・Big mouth mamaの4曲をレコーディングした。Paul KappはThe Delta Rhythm BoysとThe Jubalairesのマネージャーとなる。ちなみにThe Shadowsというグループ(The Beaversから派生したグループ)もマネージメントしており、I'd rather be wrong than blueをThe Shadows(49年・Leeレコード)やThe Delta Rhythm Boys(50年2月・Deccaレコード)にレコーディングさせている。The Shadowsは53年にもDeccaからBig mouth mamaをリリース、The Delta Rhythm Boysも50年1月にIf you see tears in my eyesをAtlanticレコードでレコーディングしており、Paul Kappは自分の抱えていた他のアーティストのためにデモとしてThe Beaversを使っていたようにも受け取れる。49年10月3日、The BeaversはArthur Godfrey Talent Scouts show(WCBS・TV局)に出演し、St. Louis bluesを歌ったが、Burt Sheldonというシンガーに優勝をさらわれた。John Wilsonによると、このショウの後にDeccaレコードでSt. Louis blues・Lonesome roadをレコーディングしたということだが、Decca・Coralレコードの資料にはこれらの曲は見出せない。If you see tears in my eyesが49年10月にリリースされたがほとんど話題にならなかった。The Beaversは49年12月29日にRag mop(The Ames Brothersのヒット曲)のカバーを製作中のLionel Hamptonのレコーディングにボーカルで参加するためにスタジオに戻っている。この曲は50年1月にDeccaからリリースされ、R&Bチャート第4位大ヒットとなり、1月28日付でexcellentの評価を得た。この週のレビューにはCook's tour(Paul Gayten)・The fat man(Fats Domino)・Red sails in the sunset(The Balladeers)が取り上げられている。このシングルではThe BeaversではなくThe Hamptonesとしてクレジットされていたが、彼らにとっては2枚目のヒットとなった。50年3月、Coralから2枚のシングルBig mouth mama・I'd rather be wrong than blueがリリースされ、50年3月20日付でIf You See Tears In My Eyes(The Delta Rhythm Boys)・Sentimental Me(The Ray-O-Vacs)・Johnson Rag(Amos Milburn)・Waxie Maxie Boogie(Frank Culley)・I Want A Roof Over My Head(The Red Caps)・Your Ever Lovin' Slick(The Whispers)らとともにレビューされた。The Beavers は短期間の活動だったが、プリンスエドワードホテル(トロント)を含め、その多くをクラブのライブで過ごし、アポロ劇場などの一流劇場での公演は一度もない。The Beaversの最後のセッションは50年6月5日に行われ、Dreamin' is my business・Happy feet・Comanche roseを収録する。しかしこれらのすべてのメインアーティストは、ピアニストのRoy Rossであり、彼等はあくまでバッキングでの参加であった。この2曲は50年7月にリリースされている。グループは結成からあとおよそ1年ののち解散し、John Wilsonは生まれ故郷であるボルティモアに戻ったが、Ray Johnson・Dick PalmerはDeLoach・Tommy AdamsにかわってThe Blendersに参加した。Ray JohnsonはThe Blendersにおよそ1年間在籍後、The Marshall Brothersに加入した。このグループも解散することとなったが、その後もThe DominoesのBill Brownにかわって加入し、短期間であったがグループでの活動をしている。また、のちにソロとしてもAladdinレコードからCalypso bluesを、MercuryレコードからはI'll never let you goをリリース。60年代にはBilly Bowenの率いるThe Ink Spotsに参加したが、70年代後半に死去した。