The Alladins

1953年・カリフォルニア州・サンディエゴ 
Edward Williams(lead)・Ted Harper(tenor)・Alfred Harper(baritone)・Gaylord Green(bass)

■Remember・Cry baby cry(Aladdin-3275)55.04
■I had a dream last night・Get off my feat(Aladdin-3298)55.09
■All of my life・So long, farewell, bye-bye(Aladdin-3314)56.02
■Help me・Lord show me(Aladdin-3358)56.11

The Aladdins
SP SP盤から45回転シングル盤への移行期にリリースされた本グループのSP盤。近年多くのグループに関する未発表作品を含めたコンプリートCDが相次いで発売されていますが、シングルリストからもわかるように本グループに関してはアルバム一枚を成立させるだけの音源がそもそもないという理由で単独LPアルバムやCDはありません。グループ名の由来であるAlladinレコードが製作したオムニバスだけでなくDoo Wopベスト集などに必ず登場するので、彼らの音楽に接する機会は多いのではないでしょうか。

The Aladdinsの在籍したAladdinレコードは当時すでに多くの素晴らしいグループ(The Robins・The Five Keys・The Feathers・The Sha-Weez等)と契約を結んでいた。入社後、レーベル名にちなんでグループ名をThe Aladdinsと改名した。Ted Harperの音楽活動はサンディエゴでの教会聖歌隊から始まった。彼自身は「自分は上手なシンガーとは言えなかったけれど、歌うことは大好きだったよ。それにしても歌で稼ぐなんて考えたこともなかった。街を歩いているといつも誰かの歌声が聞こえてくるんだ。あの頃の私はそれに刺激を受けて『よし、それじゃ何について歌おうかな』なんて考えはじめたんだ」と振り返る。53年に州軍兵を退役する頃にはすでに歌うことを決意し間もなく自身のグループを結成する。グループはリンカーン・アンド・ビクトリー劇場(ロサンジェルス)に出演している。この時に多くのミュージシャンと出会い交友の輪をひろげた。Ted Harperは「ロスのBobby Byrd(後年The Hollywood FlamesのベースシンガーBobby Dayとして一躍有名となる)やGaynell Hodgeの家を訪ねたりしていたよ」と語っている。当時、同じロスにはJesse BelvinやCornell Gunterなども在住している。この頃Alfred Harper(Ted Harperの兄弟)・Eddie Williams・Gaylord Greenが参加しThe Caprisという名前で活動を始めた。サンディエゴ東部から中西部の都市にいたグループはエコーのよくきく地下鉄のプラットホームで練習を行うのが普通だった。Ted Harperのもうひとりの兄弟Reginald Harperはビクトリー劇場(サンディエゴ)の管理をしており、その伝手で劇場に出演した。Hunter Hancock(DJ)司会のサタデーナイト・アマチュア・ショウであった。そしてこのショーを見に来ていたJohnny Otisによってグループは見い出されることとなる。54年の後半にグループはおよそ1年間にわたりJohnny Otisとともにツアーに同行した。Johnny OtisはグループをAladdinのEddie Mesnerに紹介した。AladdinレコードはマネージャーにFrank Galloを担当させた。55年1月4日、グループ最初のレコーディングセッションを行いCry cry baby・Eternally・Help me・Remember・Lord show meを収録した。ちなみにLord show meは初回プレスでマスターナンバーがミスプリントされており、後年コレクター間では高値で取り引きされることとなる。AladdinレコードはRememberを気に入ったが、グループ自身はこのレコーディングに満足せず3月24日に再びこれを再録するためにスタジオにはいっている。この時のセッションではOff my feet・Had a dream last niteもあわせてレコーディングした。グループ最初のシングルRemember(セカンド・バージョン)は55年4月にリリースされ、4月30日のレビューで両面ともに好評を得た。この週のレビューには Ain't it a shame(Fats Domino)・Be mine or be a fool(The Penguins)・If loving you is wrong(The Inspirators)・Rollin stone(The Marigolds)・Love me now or let me go(The Dominoes)・Do bop sha bam(The Spence Twins)・Siam sam(The Val-Tones)・Why don't you write me(The Feathers poorly-rated)らが登場している。翌5月にはThe Plattersの成功が記事となっている。Ted Harperは「その頃のヒットは40枚くらいあって近所の女の子はそのどれかを1枚は持っていたよ。 僕達はお金のことはあまり考えていなかった。僕達のしたことといえば1曲22.50ドルでサインしたことだけだったよ。本当にそれがすべてだった、22.50ドルと女がね」と語っている。さらに「僕らには振付け師・伴奏者・会計士・弁護士といった専門家なんかはいなかった。あらゆることを自分達でやらなかったけれど、そのすべてが地獄だった。ほとんどのグループは私達と同じような状態だったから、みんなは連合みたいに結束したんだ。だって皆お金がなかったからね。今じゃ誰もが音楽の価値を知っている。僕達の時代は、もし母親に『僕達のヒットレコードを出すんだ』なんて言ったら笑われるのがオチだった。今なら自分の親がマネージャだとしてもおかしくない。もし僕達の活動していた頃がそんな時代だったら、今頃もっと大きいポジションにいたんじゃないかって考えることもあるよ」。55年9月に2枚目のシングルI had a dream last nightがリリースされ、10月15日のレビューで好評を得た。この週はThirty days(Chuck Berry)・Smokey Joe's cafe(The Robins)・Somewhere over the rainbow(The Moroccos)・Believe me, my beloved(The Chanteclairs)・Where's my girl(Jesse Belvin)・On chapel hill(The Ravens)・Nite owl(Tony Allen and The Champs)・Very truly yours(The Evergreens)・You are so beautiful(The Five Notes)なども登場している。56年2月20日にAll of my life・So long, farewell, bye byeのレコーディングのためにスタジオ入りし、The Aladdinsの3枚目として同月にリリースされた。Sister sookey(The Turbans)・That's what I'll do(Shirley and Lee)・Darling listen to the words of this song(Varetta Dillard)・How soon(The Jacks)・To our love(The Counts)・Lonesome tonight(The Feathers)などと同じ週にリリースされたがレビューされなかった。56年夏、Ted HarperはThe PenguinsのDexter Tisbyと交代するためにグループを去ったが、Dexter Tisbyは2カ月後に復帰しTed Harperは仕事を失ってしまう。56年11月にLord show me(両面ともに最初のセッションからのカッティング)がリリースされた。この頃のAladdinレコードでのグループの立場は微妙だった。Ted Harperは「この頃にはレコードのコピーさえもらえなかった。第一そんなシングルがあるなんて思いもしなかったんだ」と語っている。このシングルもレビューされていない。レビュー誌にサンプル盤さえ送らなかったと思われる。57年2月16日にはTeenage love(The Teenagers)・Sugar sugar(The Cadillacs)・Since I fell for you(The Buckeyes)・Come go with me(The Federals)・Dreamy eyes(The Squires)・But officer(Sonny Knight)がレビューされたが、The Aladdinsは登場していない。56年の終わり頃にはグループはすでに不仲になっていた。Eddie WilliamsはThe Coltsに加入するためにグループを去り、57年遅くにはTed HarperもThe Penguins(今回はCurtis Williamsと交代・彼は62年を通してここに在籍した)に再加入した。The AladdinsはThe Penguinsがステージに立てなかった数カ月間に代役として少数のショーを行ったが間もなく解散した。65年にTed HarperはThe Coastersに加入し、90年2月26日にCornell Gunterが死亡するまで(70代初めの2年間を除いて)このグループに在籍した。解散後にグループのマネージャだったBack Rumは再びEdward Williamsを中心にグループを結成させThe FortunesとしてAntlerレコードからデビューさせている。