The Mellow Moods

1950年・ニューヨーク州・ブロンクス
Ray 'Buddy' Wooten(lead・tenor・通称 Ray)・Alvin 'Bobby' Batlor(tenor・baritone)
Monteith 'Monte' Owens(tenor・guiter)・Bobby williams(baritone・piano・~61)・Jimmy Bethea Martinez(bass)

■How could you・Where are you ?(Robin-105)51.12
■I couldn't sleep a wink last night・And you'll just have to go through life alone(Red Robin-104)52
■Call on me・I tried, tried and tried(Prestige-799)52
■I'm lost・When I woke up this morning(Prestige-856)53.10

The Candles
45s How could you
Robin-105
1951年

Frankie Lymon and The Teenagersよりも10年以上前にデビューしたキッズグループ。The Teenagersはティーンエージャー・マーケットを対象にプロモーションされていたが、The Mello-Moodsは成人マーケットに向けられ、大人の歌を歌っていた。The Mello-Moods以前にもキッズグループというものは数多く活動していたが、それらが人気を得る事はなかった。The Mills Brothers・The Ink Spotsといった(大人の)グループが全盛期を迎えた40年代後半に、The Ravens・The Oriolesなどとともに彼等も登場している。James Betheaは「当時の僕達は一番若いプロのグループだった」と語っている。グループは49年(50年という説もある)に結成された。新築された公営住宅団地Harlem River Housesにある公園で4人の若い子供たちが歌い始めた。Raymond Wooten・Bobby Williams・Alvin Baylor・Monteith Owensである。全員がResurrection Grammar Schoolの8年生であった。ある日、彼らがいつものように公園で練習をしている時に、James Betheaが彼等の歌に合わせててベースラインを歌ってみせた。「そんなことがあって、しばらくしたら僕は私は彼らと一緒に歌っていたんだ」とJames Betheaは語っている。グループが手本としたのはSonny Til and The Oriolesだった。当時のグループはIt's too soon to know・A kiss and a rose・Donkey serenadeなどをレパートリーとしている。そのなかの一曲にWhere are you(now that I need you)というナンバーがある。この曲はThe Oriolesが舞台でよく歌っていた(レコーディングはされていない)Frank Loesserのヒット曲である。ブロンクスのMacombs Dam公園(ヤンキースタジアムの裏手にある)でストリートパフォーマンスをするなどして活動していた。練習は公園でするのが日課となっていたが、ピアノを持っていたBobby WilliamsやJames Betheaのアパートでも行った。この頃にJimmy KeyesとDemetrius Clareという二人の人物に出会っている。彼等はJames Betheaの姉が参加していたグループ(名称不明)のメンバーだった。二人はJames Betheaのアパートで聞いたグループのWhere are youを聞き、「もう少しテンポを落とした方がいい」とアドバイスを与えたのをきっかけに彼等はグループのアドバイザーとなっている。グループを結成しておよそ1年が過ぎた頃、Bobby Robinsonがレコード会社を発足させたということを耳にし、さっそく彼に会いリハーサルを申し出た。Bobby Robinsonは、グループに可能性を見い出しマネジャー(この頃すでにJimmy KeyesはThe Chordsのマネージメントを担当しかなりの多忙となっていた)としてJoel Turnero(タップダンサーでもあった)を紹介している。当時まだグループの名前がなかったのでBobby Robinsonの新しいレーベルRobinにちなんでThe Robinsと命名した。この名前は短期間しか使用していないが、理由は不明。間もなくThe Mello-Moodsに改名した。51年11月に、グループ最初のセッションでWhere are you・How could you(ともにJoel Turnero作)をレコーディング、Schubert Swanston Trioがバッキングを担当している。Eddie 'Schubert' Swanston(キーボード)・Jimmy Buchanan(テナーサックス)・Maurice 'Chink' Hines(ドラム)がメンバー。Maurice HinesはのちにThe Solitairesのマネジャーとなる人物で、Gregory Hines(歌手・ダンサー・俳優)の父親である。セッションは、Bobby Robinsonの経営していたレコード店の片隅やスタジオでおこなった。Raymond WootenとJames Betheaが16歳、Bobby BaylorとMonte Owensが15歳の時のことである。セッションはおよそ12時間におよんだ。ちなみにGeorge Grant(The Castellesのリードシンガー)も最初のセッションを16歳で経験している。Where are youは12月にリリースされた。RobinはJubileeから配給され、The OriolesのBaby please don't goやBuddy LucasのDianeとともに広告がうたれている。ちなみにRobinsonからリリースされたThe Mello-Moodsのシングル盤に割り当てたレコードナンバーはなぜか奇数ばかりである。またその後Robinは、テネシーにある同名レーベルからの勧告によりRed Robinと社名を変更し、グループのシングル3枚(Robin 101・103・105)をRed Robinとして再発している。Where are youは51年12月29日にWagon wheels(The Ravens)・October twilight(Chris Powell)Every hour(Little Richard)・Laughing on the outside, crying on the Inside(The Majors)とともにレビューされ、R&Bチャート第7位の大ヒットを記録した。Where are youのリリース直後に、マネージャのJoel TurneroはBobby Baylorをグループから抜けさせている。リハーサルへの不参加が理由であった。間もなくBobby Baylorは彼自身のグループThe Hi-Litesを結成している。カルテットとなったグループだったが、メンバーの補充はおこなっていない。この頃のメンバーは、彼等の親の支配下にあって、まるでタカの目のごとく監視されているような状態だったという。親たちにとって最も重要なものは学校であり、それを邪魔するものは何でもつぶそうとした。もちろん酒場などへは入る事もできなかったし、ともかくメンバーはそれほど若かった。James Betheaは「僕達の親は、Joel TurneroやBobby Robinsonとよく言い争っていたんだ」と語っている。こういった状況のなか、グループはアポロ劇場で開催されたアマチュアナイトに出演するために地下室でリハーサルをしている時にOtis Blackwellが現れ、グループを非常に気に入り、一緒にショウに出ようと励ましたという。アマチュアナイトではOtis Blackwellが優勝、The Mello-Moodsは準優勝だった。Arthur Godfrey主催のタレントスカウトのオーディションにも応募したが決して呼ばれることはなかった。Monte OwensはSpotlight On Harlem(Ralph Cooper司会)というTV番組に出演したThe Mello-Moodsを見て、Hotel Teresaから放送されたラジオショウにEarl Bosticと共に出演させ、またニューヨーク下町での公演にもNipsey Russellと共に出演させた。グループにとって最も大きな公演はRuth Brown・Willis 'Gator Tail' Jacksonとともに出演したBrooklyn Academy of Musicであった。ほとんどはYMCAといった場所で公演するのが常だった。Joel Turnero・Robinsonに対し契約更新の時期が訪れ3年間の契約に署名した。「Joel Turneroは僕達のスタイルを変えようとしんだ。彼の歌を歌うことになったんだ」とメンバーは語っている。52年3月に2回目のセッションを行った。I couldn't sleep a wink last night(Harold Adamson・Jimmy McHugh作)・And you just can't go through life alone(Joel Turnero・'Schubert' Swanston作)をレコーディング、I couldn't sleep a wink last nightは、映画Higher And Higher(43年)で Frank Sinatraが歌った曲である。4月にリリースされ、Every beat of my heart(The Royals)・Red sails in the sunset(The Five Keys)・Have mercy baby(The Dominoes)・Beside you(The Swallows)・Until the real thing comes along(Billy Bunn & The Buddies)・Lawdy miss Clawdy(Lloyd Price)・Goin' home(Fats Domino)とともにレビューされている。52年秋、Joel TurneroはグループをRobinsonからPar(Prestigeの子会社)へトレード移籍させている。レキシントン通りにあるスタジオで 'Schubert' Swanstonの指導のもとにリハーサルを重ねた。'Schubert' Swanstonはステージングなども指導している。52年11月6日、Call on me・I tried, tried, And tried・I'm lost(Otis Ren作)・When I woke up this morningの4曲をTeacho Wiltshire Bandをバッキングにレコーディングした。I'm lostは、King Cole Trioの44年のヒットで、他の3曲は歌はJoel Turnero・'Schubert' Swanstonの共作であった。12月12日に再びスタジオに入り、The Christmas song(Mel Torm作)をCharlie Ferguson Orchestraをバックにレコーディングしている。ほかにもEddie 'Schubert' Swanston(キーボード)・Ed 'Tiger' Lewis(トランペット)・Peck Morrison(ベース)・Herb Lovelle(ドラム)などが演奏に参加している。この曲は96年まで未発表のままだった。Par在籍中にはKing PleasureのJumpin with symphony sid・Red topにバッキングで参加している。しかしリリースされたのは別のグループによるバッキングのバージョン(詳細は不明)である。53年1月に、Call on meをリリース、1月24日に Nobody loves me(Fats Domino)・When boy meets girl(Fat Man Matthews & The Four Kittens)・Do I, do I, I do(The Red Caps)らとレビューされている。しかし、大きなヒットにはいたらずチャートに失敗することとなった。53年6月にJames Betheaがハーレン高校を卒業、Bethea一家はマンハッタンからクイーンズに引っ越しをする。このことでメンバーのリハーサルが困難になり徐々にスタジオへ顔を出す事も少なくなっていく。そしてグループはついに解散した。James Betheaは「美しい場所へ越してきたのはよかったけれど、親は練習に行くことを許さなかった。すべてが「学校のこと」だった。僕達はJoel Turneroが親をなんとか説得してくれるだろうと考えていたけれど、どうにもならなかったのさ。だから彼との契約を破棄しようとしたんだ。自分達の音楽に満足していなかったんだ、本物のR&Bがやりたかったんだ。もちろん歌うことは楽しいけれど、彼とは性格があわなかった。彼の作品を歌ったけれど、もっと他の曲もやりたかったのさ。彼は僕達をMills Brothersにしようとしていたんだ。そして彼は僕達を手放さないだろうと思えたから、彼との契約を破棄するためには歌うのをやめるしかなかった」と回想する。グループ解散後、Bobby BaylorはThe Solitairesに参加している。彼は結成当初からThe Solitairesに参加(のちにEddie 'California' Jonesに代わる)しているが、Rudy Morgan・Nick Anderson(ともにオリジナルメンバー)の脱退にともないBobby Williams・Monte Owensを誘ったのであった。リードシンガーのHerman Curtisはグループ最後の加入メンバーで、The Vocaleersに在籍していた。Herman dunhamのヒットがある。Bobby WilliamsはCharlie Mingusに加入するために56年にグループを去っている。Monte OwensはJimmy Castorとともに活動を始めた。Bobby Baylorはレコード業界に嫌悪の念を抱き、結婚後には歌うことをやめてしまった。Arthur Murrayは、様々なクラブで歌っていたが、彼も結婚を機に歌を断念。ダンススタジオからボーカルスタジオに変え、ボイストレーナーとしてレッスンしている。また音楽を学ぶために1年間クイーンズ大学に入学した。53年10月ごろ、The Mello-Moodsが解散した(解散の公表はされていない)のちにPrestigeからI'm lostがリリースされている。このシングルはレビューされることはなかったが、In the mission of st. Augustine(The Orioles)・I'm not the one you love(The Crickets)・Marie(The Four Tunes)・Down at Hayden's(The Hunters)・Surrender your heart(The Love Notes)・Without a song(The Ravens)・Daddy rollin' stone(Otis Blackwell)・I feel that-a-way(The Royals)・Hey, Mae Ethel(The Wanderers)・White Cliffs of Dover(The Blue Jays)・Ten days in jail(The Robins)・Golden teardrops(The Flamingos)といった曲とおおいに健闘した。Bobby Williamsは61年に白血病で死去した。Bobby Baylorもすでに死去。