The Rivieras

1956年・ニュージャージー州・イングルウッド
Homer Dunn(lead)・Ronald Cook(tenor)・Andrew Jones(baritone)・Charles Allen(bass)

■Count every star・True love is hard to find(Coed-503)58.04
■Moonlight serenade・Neither rain nor snow(Coed-508)58.12
■Our love・Midnight flyer(Coed-513)59
■Our love・True love is hard to find(Coed-513)59
■11th hour melody・Since I made you cry(Coed-522)59
■Moonlight cocktails・A blessing of love(Coed-529)60
■Great big eyes・My friend(Coed-538)60
■Easy to remember・Stay in my heart(Coed-542)60
■Eldorado・Refrigerator(Coed-561)61

The Rivieras
45s Moonlight cocktails
Collectable-5086
1992年

Doo Wopの全盛期を過ぎようという50年代の終わりに現れたグループである。58年はR&R革命の最初の波は、世間から非難を受けていた。Alan FreedやDr. Jive(本名Tommy Smalls)といった大物DJはすでにペイオラスキャンダルの渦中にほうり込まれ、エルビスは陸軍経入隊した。Dick Clarkの生み出した大手レーベルの看板スターは、親が安心するような飼い慣らされた番犬と姿を変えていた。こうした背景のなかThe Rivierasは登場した。彼らはイングルウッド(ニュージャージー州)から成功をゆめ見てニューヨークにやって来たグループであった。Homer Dunn・Ronald Cook・Andrew Jones・Charles Allenの4人が結成したThe Four Artsが母体となった。Homer Dunnは元 The Bob-O-Linksで結成は54年、Okehでレコーディングを行ったが同年夏に兵役のために解散し、結婚後にイングルウッドに移ってきた若者だった。The Four Artsはイングルウッド・ニュアーク・ニュージャージ周辺を中心に活動を始め、56年頃にThe El Rivierasに改名している。やがてWilliam Fixがマネージャに就任した。彼はThe Ames Brothersをマネージメントし、ポップミュージック界で成功を収めていた人物である。William Fixはグループに可能性を見出し、ニューヨークのブリルビルでCoedレコードを運営していたGeorge Paxtonのオフィスに向かった。間もなくグループのためにレコーディングセッションが準備された。George Paxtonはまずグループの名前から「El」を外し、The Rivierasと正式に決まった。58年春、Count every starでシングルデビューをはたした。この曲はThe Ravensのヒットカバーである。Dick ClarkのAmerican Bandstandにも出演し話題となり全米で放送され、グループは最もホットなグループの一つとなった。The Rivierasは大会場で公演を行い、レコードも好評で多くのローカルテレビへ出演し、アポロ劇場への出演も果たした。58年冬、グループはポップスターとしての絶頂期を迎えるなか新しいシングルMoonlight serenadeをリリースした。この作品はGlen Miller・Mitchell Parish(Miller's theme songを作曲した)共作のスタンダードである。このシングルも好調な滑り出しで、ポップミュージックとしてさかんにオンエアされ59年1月にチャートに登場、2月にはポップチャートトップ50にランクインするヒットとなった。50年代の後期という時代にボーカルグループとしてトップクラスになるためのいい状況がThe Rivierasにはあり、グループ自身も有利な立場にあった。つまり、R&Bチャートだけでなくポップチャートでヒットを出す、言い換えればより白人層の支持を得るということであった。The Drifters(Ben E. King在籍時)はすでにAtlanticからThere goes my babyをリリースし、Phil Spector(当時はアシスタントプロデューサーだった)によるストリングセクションの導入でそのユニークなサウンドが注目を集めていた。CoedレコードはOur loveをリリースし、ストリングスバージョンを試みた。オリジナルシングルのB面にはMidnight flyerが収録されていたが、Nat Coleも同じ曲をリリースしたために、True love is hard to findに差し換えて急遽再発された。しかしながら3枚目のシングルは大衆に魅力ある作品とはならなかった。ほどなくCoedはもう一度ポップスナンバーを試みようとメンバーをスタジオに集めた。Duke Ellingtonが歌った 11th hour melody(Al Hibbler作・56年にDeccaからリリース)であったが、ポップチャートトップ100にも入り込むことはできなかった。翌60年、さらにMoonlight cocktailsというGlen Miller作品をリリースした。60年にCoed がリリースしたThe Rivierasのシングルはさらにもう2枚ある。Great big eyes・Easy to rememberで、ともにヒットしなかった。さらに61年にCoedからEldoradoをリリース、これがThe Rivieras最後のシングルとなった。