The Master Tones

1951年・ニューヨーク州・ホワイトブレインズ
larence Pop Gray(lead)・Emmanuel Doc Robinson(tenor)・George Bronx Rivers(tenor)
Frank McCray(baritone)・Charlie Stoney Dimbo(bass)

■What'll you do・Tell me(Bruce-111)54
■What'll you do・Tell me(Bruce-111)54

The Master Tones
45s What'll you do
Bruce-111
1954年

51年に ホワイトプレインズ(ニューヨーク)にあるBattle Hill Junior High Schoolの生徒が結成したThe Heartsが母体となった。メンバーはラッセル通り・フルトン通りの近所に住む友人同士であった。メンバーは、Clarence Pop Gray・Charlie Stoney Dimbo・Emmanuel Doc Robinson・Frank McCray・George Bronx Riversの5人。メンバー共通の友人Billy Barrelsがグループのマネージャーとなり、ブリーンバーグ(ニューヨーク)の彼の家に集まって練習を重ねた。54年頃には、メンバーのほとんどが未成年であったが、地元のクラブに出演するようになった。ニューローシェル(ニューヨーク)のノースアベニューにあるRed Roseというあまり流行らない店であったが、ここを活動拠点としていた。当時のすべてのボーカルグループと同様に、富と名声を夢見てアポロ劇場のアマチュアコンテストに参加し、Money Honey(The Driftersのヒット)で入賞した。まもなくグループの友人の伝手でThe Heartsは4曲のオリジナルでオーディションを受け、Bruce(Morty Craft設立・ニューヨーク)と契約した。54年6月のビルボード誌では「カリフォルニアに創設されたBruceは、間もなく全米のレコード販売業者のもとに届くだろう。このレーベルは新しいグループThe Master Tonesと契約した」と報じている。Raoul Cita(The Harptonesのメンバー)とのインタビューで、Doc RobinsonはThe Harptonesのセッションのあとに、同じスタジオで行われたThe Master Tonesのメンバーと顔を合わせていることが確認された。メンバーはコネチカットからやって来たとも話している。Stoney Dimboによると、このセッションのバッキングとして参加したバンドのリーダーはJimmy Smithであるという。Jimmy SmithはBruceからJughead(B面はDancing)をリリースしている。Stoney Dimboによるとこの頃に、同名の女性グループがあることを知りThe Master Tonesと改名をした。ちなみにこのThe Heartsは、本グループよりも早くにBaton(Monte Bruce設立)でレコーディングを行ったグループである。メンバーは新しい名前を話し合ったが、今まさにそのマスターをレコーディングしている、ということからMaster Tonesと命名したという。The Master TonesのデビューシングルWhat'll you do(Clarence Gray・George Rivers共作) はBruce-111として54年にリリースされ、ラジオからも盛んにオンエアされたが、全米チャートには失敗した。B面のTell meはClarence Grayと彼の兄弟Gene Grayとの共作だがGene Grayはグループメンバーとして歌での参加はしていない。54年8月のビルボード誌は「Bruceは8月21日にPower(ニューヨーク)を傘下に収めた。これによりBruceはPowerのマスター及び在籍していたアーティスト契約のすべてを獲得した。今後は、PowerはBruceからリリースされることになった」と報じている。当時Bruceに在籍していた最も売れっ子スターグループであったThe Harptonesは有名なCopa(ピッツバーグ)との出演契約を成立させた。この頃のBruceには、Don Gardner・Herb Lance・Shytans・The Master Tonesらの有能なアーティストが在籍した。このTell meは54年にリリースされたものだったが、The Master Tonesの作品はは62年に再び登場することとなる。Tell meはTimes Square(Slim Rose設立)が提供するラジオ番組Night Trainでオンエアされ、評判を集めはじめた。すでにコレクターの間ではクラッシックとなっていたこのBruce作品は、Slim Roseの依頼によりRelic(George Lavatelliオーナー)が再発したとDonn Fileti(Cliftonオーナー・Relicの元共同オーナー)は語っている。Donn Filetiは、当時Wayne StierleとともにLeo RogersのBruceで働いている。彼によると、Bruceが約500枚(うち半分がカラーワックス)のプレスをKayレコード(Little Ferry設立・ニュージャージー州)に発注し、商品をSlim Roseに卸した(Slim Roseはせいぜい50~100枚程度を希望していた)そうである。Slim RoseはこのシングルをAlan Fredericks(Night Trainを担当したDJ)にオンエアさせ、62年1月にTimes Squareレコード・ベストセラートップ100のリストに第7位に加えられた。このシングルは、コアなR&Bレコードファン・コレクターの間で徐々に知られていき、オークションや個人的な売買で高値を呼んだ。現在では、オリジナルのシングル盤は2000ドル以上の値が付き、R&Bボーカルグループレコードのなかでもレアなものとなっている。The Master TonesのTell Meは、Gus Gossert(ニューヨークのDJ)が監修したGus Gossert Presents-The Original New York Doo-Wopというアルバムに収録された。Doc Robinsonは後年のインタビューで「Tell meは、What'll you doと同時にレコーディングしたんだ。たしか2~3テイクを採ったと思うよ、それほど悪い出来じゃなかったからね。スタジオのマイク位置が高かったので、俺は箱の上に乗って歌ったんだ。やけに急いだセッションだったのをおぼえてるよ。ともかくそれが終わって俺達は家に帰った。ある日、俺の友だちがこう言うのさ『ラジオで君の曲が流れてたよ』ってね。彼からその話を聞くまで全く知らなかったんだ。Bruceからの連絡もなかったしね。それからというもの俺達の曲を数回ラジオで聞いたし、地元のジュークボックスにも置かれるようになったんだ。実際のところWhat'll you doはほとんど聞かれることはなかったね。レコーディングが終わってすぐに、俺達はわずかなミュージシャンと一緒に南部へツアーに出たんだ。ワンナイトのある晩にThe Coastersと同じホテルに泊まったのを覚えているよ。それから数カ月たった頃、俺達はバージニアにいたんだ。ある晩ここで強盗にあったんだ。バンドボーイをひとりを残してホテルの部屋を出たんだけれど、帰って来たらそいつは酔っぱらって気を失っているんだ。誰かが俺達の金と楽器を盗んだのは一目見てわかったよ。」と話している。このツアーを最後にThe Master Tonesは解散した。解散語の55年、Doc RobinsonはWhite Plains High Schoolを卒業し、Donald Sledge・James Brabham・Charlie Drew・Buddy Lucas, Jr.とともにThe Partnersを結成した。メンバーのJames Brabham・Charlie Drewは、RainbowでThe Swansとしてもレコーディングを行っているが、The Partnersはレコーディングは行っていない。まもなくThe Partnersは解散し、Doc RobinsonはホワイトプレインズのグループThe Five Soundsに参加した。このグループはWilliam Riley・Leon Carter・Joe Ruff・Charles Blakelyがメンバー。いくつかのディスコグラフィーにはこのThe Five SoundsをWilliam Russ Riley and The Five SoundsとしてAl Jonレコードに在籍したと紹介しているが、このグループは別のグループでWilliam Rileyと名前がよく似ているものの偶然の一致の可能性が高い。Doc Robinsonの聞く限りWilliam Russ Riley and The Five SoundsのTonight must live onは、彼の知るWilliam Rileyではないと断言している。またAl Browne Brooklyn Doo Wop(CD)のライナーによるとThe Love NotesというグループがWilliam Russ Rileyのバッキングに参加していると書かれている。近年発掘されたBruceレーベルのThe Harptones作品にInsulting Blues Boogie(SP盤)があるが、The Master Tonesのレコーディングではないかと言われている。The HarptonesのメンバーRaoul CitaによるとこれはThe Harptonesではないと断言、一方のDoc Robinsonは記憶が定かではないと話している。またDoc Robinsonは、50年代初期にホワイトプレインズを中心に活動したThe Dronesにも加入していた。メンバーはRay Roberts(リード)・Ray Dingle・Johnny Jones・Jimmy Watsonで、レコーディングを行ったかどうかは不明。The Dronesの南部ツアーにはRay Robertsが抜け、The Master TonesのFrank McCrayが代役をつとめた。前出のThe Swansも同じ ホワイトプレインズ出身のグループで、53年にRainbowからMy true loveをリリースしたグループ。The DronesのリードボーカルRay Robertsが参加しこの曲でもリードを担当した。The Mater TonesのオリジナルベースシンガーのStoney Dimboはレコーディングの後、58年に入隊しグループを去っている。彼は南アフリカに配属されたが、この時にReuben Wright・Eddie Warner(いずれも元The Caprisのメンバー・GothamからGod only knowsでヒットした)と出会っている。3人は、Leroy Gordon・George Sierra(後に俳優となり、Sanford and SonというTV番組に出演する)とともにThe Master Tonesとして米軍基地で公演活動を続けた。退役後のStoney Dimboは、クリーブランド(オハイオ州)に住み、The Emanons(メンバーはJared Stout・Donald Lavoie)というジャズトリオで演奏した。彼は73年に故郷のホワイトプレインズに戻り、ゴスペルグループThe Christian Travelers of The Bronxのメンバーとして5年間在籍した。Doc Robinsonは74年に引退し、家族とともにTrevose(フィラデルフィア州)に住んでいる。Stoney Dimboは現在もホワイトプレインズ(ニューヨーク州)に住んでいる。Stoney Dimboによると、Frank McCray・George Riversはすでに死去している。Clarence Grayは58年にホワイトプレインズからブルックリに移り、新しいボーカルグループThe Vimsを結成したがレコーディングを行う間もなく死去した。