The Penguins

1954年・カリフォルニア州・ロサンゼルス
Cleveland Duncan(lead・35.07.23~)・Deter Tisby(tenor・36.~)・Curtis Williams(baritone・21.12.23~79.07.06)・Bruce Tate(bass・37.01.27~73.06.20)

■No there ain't no news today・When I'm gone(Dooto-345)54
■Earth angel・Hey senorita(Dooto-348)55
■Love will make your mind go wild・Ookey ook(Dooto-353)55
■Kiss a fool goodby・Baby let's make love(Dooto-362)55
■I need you・Be my lovin' baby(Dooto-428)56
■Sweet love・Your mind(Dooto-432)57
■Do not pretend・If you're mine(Dooto-435)58
■You're an angel・Mr. Junkman(Dooto-456)58
■Dealer of dreams・Peace of mind(Wing-90076)55
■Be mine or be a fool・Don't do it(Mercury-70610)55
■Walking down Broadway・It only happens eith you(Mercury-70654)55
■Devil that I see・Promises, promises, promises(Mercury-70703)55
■A Chritmas prayer・Jingle jangle(Mercury-70762)55
■My troubles are not at an end・She's gone, gone(Mercury-70799)56
■Earth angel・Ice(Mercury-70943)56
■Will you be mine・Cool baby cool(Mercury-71033)57
■Pledge of love・I knew I'd fall in love(Atlantic-1132)57
LP
■R & B Best Vocal Groups(Dooto-204)55
■Cool, Cool Penguins(Dooto-242)58

The Penguins
45s R&B Best 
Vocal Groups
Dooto-204
1955年

LP Cool, Cool Penguins
Dooto-242
1958年

ヒットからずいぶん時間が経ってからリリースされたLP盤ですよね。素敵なジャケットはファンにはたまりません。のちにモノクロジャケット仕様で再発されました。でもなぜモノクロ?

フェルモント高校の生徒だったCleveland Duncanは、53年の遅くにはすでにロサンゼルスのクラブでセミプロとして活動していた。ジェファーソン高校に通うCurtis Williamsは51年にThe Flamingos(シカゴのグループではない)を結成し活動していた。The Flamingosのメンバーは、Richard Berry(のちにThe Flairsを結成)・Cornelius Gunter(後にThe Flairs・The Hollywood Blue Jaysを結成、Arther Lee Maye and The Crownsでも歌う)・Gaynel Hodge(のちにThe Hollywood Flamesに加入)・兄弟のAlex Hodge(のちにThe Plattersを結成する)の4人。Curtis Williamsは、彼の美しいテナーを気に入っていたCleveland Duncanの二人はやがて意気投合し、グループを結成する。Curtis WilliamsはThe JeffersonのバリトンシンガーBruce Tateを、Cleveland DuncanはThe FremontのテナーシンガーDexter Tisbyをそれぞれ誘い、ここに新しいカルテットが誕生する。メンバーのDexter Tisbyが持っていたタバコ(Koolという銘柄)のパッケージに描かれたWillie the Penguinと呼ばれるペンギンがクールだと感じた彼等は、グループ名をThe Penguinsとした。この頃、Curtis WilliamsはGaynel Hodgeと共にPatti Page作曲のI went to your wedding(52年夏にヒット)の歌詞の一部「a vision of your loveliness」を書き換えたEarth angelを共作する。これがのちに裁判にまで発展する事となる。当時Cleveland Duncanは「Jesse & MarvinのDream girl(Phillips・Specialty・53年)そっくりに聞こえた」と語っており、Cleveland Duncanがメロディーも一部書き直している。こうして出来上がったEarth angel(最初はEse Chi-quitaというタイトルだった)を持って、Cleveland Duncanの叔父にあたるTed Brinson(郵便局勤務、Jimmie Lunceford Bandに在籍)を通し、地元のDootoneへ売り込みに行った。Dootsie Williamsは、彼らをブルースシンガーWillie HeadonのAin't no news todayのレコーディングのバックコーラスとして参加させる。間もなく契約をかわし、No ain't no news(カップリングはWillie Hendersonのソロ)でデビュー。続いてEarth angel・Hey senoritaをレコーディングする。スタジオの設備が悪く、犬の声なども入ったりで、数回録音したという。Dootsie WilliamsはDolphin's of Hollywood All Nightというレコードショップを経営していたDolphinという人物ににデモ盤を持って行く。彼の店のすぐ横がR&B系のローカル放送局だったからである。そこの白人ジョッキーDick 'Huggy Boy' Huggが放送をはじめる。その時点ではHey senoritaがA面、Earth angelがB面だった。Dick HuggyはDootsie Williamsに「B面がとても人気がある」と伝えたが、54年10月のリリース時にはHey senoritaはA面のままだった(Dootone 348-A)。しかしEarth angelが話題になって後、これをA面としたシングルを急遽発売した。当時、市場には2種類のレコードが存在した。54年12月18日にR&B チャート第1位を、そしてクリスマスにはポップスチャートでも第1位を記録する。The Penguinsは、ポップスチャートのトップ10にはいった最初の西海岸のR&Bグループとなる。そして55年初頭にはポップスベストセラー第8位に達した。ちなみに3週の間ナンバーワンを記録したEarth angelを落としたのはJohnny AceのPledging my love。55年、Dootoneと3年の契約を新たに結び、1月中旬、彼らはソングライターのBuck Ram(Duke EllingtonやCount Basieのアレンジャー。44年Savoyに所属)と組んで、Love will make your mind go wildを発表する。しかしEarth angelほどのヒットはしなかった。2月21日にグループはDootoneのアーティストThe Medallions・The Meadowlarksと共にSavoy Ballroom(ロサンゼルス)で開催されたThe Ookey Ook Dance Partyに出演。4月8日には、The Moonglows・La Vern Baker・The Three Chuckles・Red Prysock's OrchestraらとともにBrooklyn Paramountで開催されたAlan Freed's Rock & Roll Easter Showに出演した。ステージの翌日、彼等はBuck RamのすすめでMercuryと契約する(その後、Dootsie Williamsとの契約は、メンバーが未成年者であったため、無効であるとの裁判所の決定により、Mercuryの勝訴となる)。彼の作品If you want this, you have to take thatを、当時まだ無名(すでにFederalから9枚のシングルをリリースしていた)だったThe PlattersとThe Penguinsに歌わせ、Mercuryは両方をリリースした。Dootoneでの最後のセッションのあと、Bruce Tateは交通事故を起こし、Randolph Jonesと代わる。55年4月に2枚のバラードシングルが発表される。MercuryからのBe mine or be a foolとDootoneからのKiss a fool goodbyeだった。しかし、いずれも話題にはならなかった。55年4月、Buck Ramは、「Curtis Williamsが未成年者であったにもかかわらず契約に署名させた」として、Dootoneに対し10万ドルの損害賠償金を要求。2週間後の55年5月13日には、Dootoneが「The Penguinsに契約を破らせた」として、Mercuryを告訴した。同じ週には、Johnny GreenとJesse Belvinが「Earth Angelは我々の作品の盗」だとしてCurtis Williamsを告訴する…という裁判沙汰がいくつも重なる。結果的に、Dootoneが出版権を得た。Earth angelはCurtis Williamsの作品となっていたが、版権取得直後、Gaynell Hodgeに版権を売却した。Dootsie Williams・Curtis Williams・Gaynell Hodgeの三者間で話し会うなか、この曲がJesse Belvinの作品をベースに3分の1ほど手を加えたものであることが発覚。最終的にJesse Belvinを加えた4者でなんとか話し合いがつき、数人が著者として認められた。61年にリリースされたOldies but Goodiesというレコードでは、Williams-Hodge-Belvinとクレジットされている。56年8月にDootoneからBest Vocal Groups of Rhythm and Bluesというアルバムがリリース。The Penguinsのほかに、The Meadowlarks・The Medallions・The Dootonesが収録された。57年の初期に彼等はAtlanticに移籍、Pledge of loveでR&Bチャート15位を獲得したが後が続かずロサンゼルスに戻っている。Cleveland Duncanは扁桃腺炎で入院、Curtis WilliamsはThe Hollywood Flamesで歌うことになる。Teddy Harperを加えた今度のThe Penguins は、Cleve Duncan・Dexter Tisby・Randy Jones・Teddy Harperの4人。彼らは再び、Dootsie Williamsを訪れ、3枚のシングルとアルバムThe Cool Cool Penguinsをリリースしたが、ほとんど注目されなかった。59年の遅く、Earth AngelがDootoneから再発されみごとな売上を記録した。63年にカリフォルニア・ランカスター出身のFrank Zappaの作品Memories of El Monteをリリースし大ヒットする。66年にHeavenly Angel(Original Sound)を発表して活動を停止する。Dexter Tisby・Randy Jones・Teddy HarperはThe Coastersへ参加。69年にCleve Duncan・Walter Saulsbury・Glenn MadisonがThe Penguinsとして再び活動始める。Dexter Tisbyはハワイに移る。Curtis Williams・Bruce Tateは死去。Dootsie WilliamsはRedd Foxxのアルバムで富を得る。