The Five Echoes

1953年・イリノイ州・シカゴ
Tommy Hunt(lead・tenor・33.06.18~)・Walter Spriggs(lead・tenor)・Constant Count Sims(baritone)・Herbert Lewis(baritone)・Jimmy Marshall(bass)

The Five Echoes with The Fats Coles Band
■Lonely mood・Baby come back to me(黒ラベル・Sabre-102)53
■Lonely mood・Baby come back to me(赤ラベル・Sabre-102)53
The Five Echoes
■So lonsome・Broke(Sabre-105)54
■Why oh why・That's my baby(Sabre-107)54
■Tell me baby・I really do(Vee Jay-129)54
■Fool's prayer・Tstee freeze(Vee Jay-156)55
The Flamingos(Tommy Hunt 参加シングルのみ)
■The ladder of love・Let's make up(Decca-30335)57
■Helpless・My faith in you(Decca-30454)57
■Where mary go・The rock and roll march(Decca-30687)58
■Lovers never say goodbye・That love is you(End-1035)58
■But not for me・I shed a tear at your wedding(End-1040)59
■At the prom・Love walked in(End-1044)59
■I only have eyes for you・At the prom(End-1045)59
■I only have eyes for you・Goodnight sweetheart(End-1046)59
■Ever since I met lucky・Kiss-a-me(Decca-30880)59
■Love walked in・yours(End-1055)59
■Jerri-Lee・Hey now !(Decca-30948)59
■I was such a fool・Heavenly angel(End-1062)59
■Mi amore・You, me and the sea(End-1065)60
■Nobody loves me like you・You, me and the sea(End-1068)60
■Besame mucha・You, me and the sea(End-1070)60
■Mi amore・At night(End-1073)60
■When I fall in love・Beside you(End-1079)60
■That's qhy I love you・Ko ko mo(End-1085)60
■Time was・Dream girl(End-1092)60
■My memories of you・I want to love you(End-1099)60
Tommy Hunt
■Human・Parade of broken hearts(Scepter-1219)61
■Door is open・I'm wondering(Scepter-1226)62
■So lonely・The work song(Scepter-1231)62
■Didn't I tell you She'll hurt you・Poor millionaire you're so fine(Scepter-1235)62
■And I never knew・I just don't know what to do with myself(Scepter-1236)62
■Do you really love me・Son, my son(Scepter-1252)63
■I am a witness・I'm with you(Scepter-1261)63 
■It's all a bad dream・You made a man out of me(Scepter-1275)64
■I don't want to lose you・Hold on(Atlantic-2278)65
■I'll make you happy・The clown(Capitol-5621)66
■The biggest man・Never love a robin(Dynamo-101)67
■Words can never tell it・How can I be anything(Dynamo-105)67
■Complete man・Searchin' for my love(Dynamo-110)67
■I need a woman of my own・Searchin' for my baby (lookin' everywhere)(Dynamo-113)67
■Born free・Just a little taste (of your sweet lovin')(Dynamo-124)68
■Loving on the losing side・Sunshine girl(Private Stock-45 115)76
■Oh no not my baby(Maxine Brown)・Human(Collectables-Col 030077)81
■The work song・Please stay(The Ivory's)(Town-103)80's
■The magic touch(Melba Moore)・The pretty part of you(Horaces-001)90's

The Five Echoes
SP 45s So lonesome
Sabre-105
1954年

上はSP盤、下はシングル盤。  

サウスサイドの35~39番街に住む4人の少年が結成したThe Flamesが母体となる。メンバーのTommy Huntは後年 Humanを作曲している。グループは、39番街にあるMorocco Hotel・Cottage Grove・The Flame(有名なナイトクラブ)といったところでたむろしていた。 52年末、The Flamingosがら解雇されたリードボーカルのEarl Lewis(41.02.11~)は、新しいグループを探し求めていた。やがてThe Flamesと出会いグループに加入する。グループには、お抱え運転手としてFreddie Matthews(時折メンバーとして歌っていた)がいた。まもなく、彼らはThe Flamesというグループの存在を知り、The Five Echoesに改名する。Earl Lewisはレコーディングに到るまでのことを「ある日Walter Spriggsという人物がやってきたんだ。彼はグループの事をすでに知っていたようだ。もっとも、我々はまだ39番街あたりで歌ったり、ぶらぶらしている頃だったけどね。 彼は『いつまでそうやってるつもりかい。とりあえず、しばらくクラブで歌ってみないか。そうすれば私の思うように君たちを育ててみせるけれど。』と言うんだ。 jacketクラブというのは、ウィンスコンシンのケノーシャにあるRight Spotのことだったよ。週末に我々はそのクラブへ行き、夜に演奏したんだ。我々には素晴らしい観客がいるんだって実感したよ。それは彼が計算していた方法だったけれど。クラブのオーナーも、我々を気に入ってくれて、結局1年間はそこで勝負したんだ。The OriolesやThe Dominoesのほとんどの歌をやったよ。その頃から、自分達の歌が欲しいと思うようになったのさ。Walter Spriggsは、苦労しながらも2つの歌を書き上げたんだ。それがLonely moodとBaby come backだったのさ。そんな頃に、Ewart Abner(Chance設立・彼等はLittle Abnerと呼んでいた)がクラブにやってきたんだ。彼も我々を気に入ったのさ」と語っている。やがてBaby come back to meをレコーディング。Walter Spriggsは両面でリードをとったが、メンバーはセッションのためだと思っていた。53年9月にSabreからシングルがリリースされた。Constant Sims・Herbert Lewisはバリトン、Earl Lewisがファーストテナー、Tommy Huntはセカンドテナー、Jimmy Marshallはベースを担当した。シングルは両面ともに全国的にラジオから流されたものの、全米チャートには登らず、いわゆるターンテーブルヒット、つまりオンエアーは多いのにもかかわらずレコードが売れないという状況だった。それでも、グループの知名度は上がっていった。このリリース直後にTommy Huntが徴兵され、グループを去っている。交代にJohnnie Taylor(38.05.05~00.05.31)が加入。彼はMarshallと名乗り、地元のゴスペルグループThe Highway QC'sで歌いながらシカゴを放浪していたカンサス出身のシンガーだった。彼は60~70年代にかけて成功を収めている。当時、彼はすでにゴスペルからブルースへ転向しており、また数年後にR指定を受けるような歌を歌うということを考えれば、ゴスペル界にいるタイプであったかどうかは疑わしかったが、Earl Lewisによれば「Johnnie Taylorは宗教のかたまりのような男で、本物のゴスペルシンガーだったよ。彼はリズム・アンド・ブルースの中をちょっとぶらぶらしただけさ」と断言している。Johnnie Taylorを加えたグループの次のレコードが、54年2月にSabreからリリースされた。So lonesomeであった。So lonesomeはConstant Sims・Johnnie Taylorがリードを、BrokeはConstant Simsだけのリードでボーカルを担当している。54年、グループはNew Heat Wave(1月)・Martin's Corner(3月)といったクラブでレギュラー出演するまでになった。また、同年4月にはミッドウエスト公演のツアーに出発する9月には、Corpus Christi講堂で開催されたMcKie's Variety Showに出演、22のアーティストが出演したこの公演にはThe El Dorados・The Five Chances・The Fascinatorsといったグループも出演している。グループ最後のセッションで、レコード会社の方針により、ブルース的な作品よりも受けのよさそうなバラードWhy oh whyとジャンプナンバーThat's my babyをレコーディングする。兵役中だったTommy Huntは無断欠勤までしてこのセッションに参加し、Why oh whyでセカンドリードをとった。しかしこのことでTommy HuntはFBIに連行され、営巣へ送還され、54年の終わり頃にグループは解散した。64年にThree Constellationからグループの未発表セッションがアルバムとしてリリースされている。