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The Lamplightersは52年春にWillie Rockwell・Matt Nelson・Thurston Harris・Al Frazierの4人がロサンゼルス南部で結成した。地元のナイトクラブに出演し、やがてRalph Bassがシンシナティで設立したFederal・Kingレコードと契約する。グループ最初のシングルは53年夏にリリースされたTurn me looseで、同年末に続いて発表されたBe bop winoが西海岸で人気を集めた。この頃FederalはグループをJimmy WitherspoonのSad lifeのバッキングに起用している。The Lamplightersは54年1月にLinda Hayes・The Flairsとともに南カリフォルニア一帯で公演を行ない、Federalは同月にI can't stand itをリリースした。春にはI used to cry mercyがリリースされ、ロサンゼルスのWrigley Fieldで開催された10th Anniversary Cavalcade of Rhythm & Bluesに出演を果たした。このショウにはRuth Brown・Count Basie・Louis Jordanらとともに出演し、好評を博した。The Lamplightersのなかでも最も盛んにオンエアされたのはSalty dog・Ride Jockey rideで、セールスも好調であった。彼らは南カリフォルニアではかなり名を知られるようになっていく。8月中旬、グループはHunter Hancockがホストをつとめるショウに出演している。会場はロサンゼルスのSavoy Ballroomで、Johnny Otis・Shirley Gunter & The Queens・The Plattersらとともに出演した。この頃にYou hearがリリースされている。一風変わったカップリングで、The LamplightersはジャズミュージシャンBuddy DeFrancoとともに再びSavoy Ballroomに出演した。54年の終わり頃にYum yumをリリースした。この頃にはシングルも大してヒットせずにメンバーは音楽的にも財政的にも不安定となり、メンバーチェンジを何度となく行った。55年1月にI wanna knowとLove rock, and thrillがリリースされたがいずれもヒットしなかった。FederalはThe Lamplightersに対し興味を失いつつあった。この頃のメンバーはEddie Jones・Harold Lewis・Carl White・Sonny Harrisとなっている。55年の後半にグループはDeccaへ移籍し、レコーディングセッションからBig joke・After allをリリースしたが、こちらもヒットには至らなかった。一方のFederalはグループのマスターからのリリースをThe Tenderfootsとしてリリースを行った。この名前でリリースされたシングルは4曲であったが、Federalからの半年間での3枚のシングルと同じくグループの運を変えたわけではなかった。55年10月にHug a little kiss a littleがリリースされている。1956年2月にBo peepが、そしてFederal最後のシングルIt ain't rightが同年4月にリリースされた。The Lamplighters・The Tenderfootsは、57年にThe SharpsとしてThurston Harrisの大ヒットLittle bitty pretty oneやDo what you didのバッキングに参加した。60代初めにはThe Lamplighters・The Tenderfoots・The SharpsからのメンバーがThe Rivingtonsを結成し、Poppa ooh mow mowをSurfing Birdからヒットさせている。